わき道をゆく~魚住昭の誌上デモ 第五十三回 検察は蓋し君子に非ず
現代ビジネス 2013年10月20日(日) 魚住 昭
6年前にベストセラーになった『反転闇社会の守護神と呼ばれて』(幻冬舎アウトロー文庫)という本を覚えておいでだろうか。
著者の田中森一さん(70歳)はかつて腕利きの特捜検事だった。だが、上司らと対立して44歳で退官。その後一転して、検察の捜査対象になった政治家、暴力団幹部、仕手筋などの弁護人となり、「闇社会の守護神」とまでいわれるようになった。
そんな豹変ぶりが災いしてか、やがて彼自身が検察の標的になり、'00年3月、東京地検特捜部に逮捕された。〝地下経済の帝王〟といわれた許永中氏と共謀して約180億円の手形をだまし取った容疑だった。裁判では無罪を主張したが、'08年2月に実刑が確定して収監された。
その田中さんが約5年ぶりに滋賀刑務所を出所し、JR浜松町駅近くの事務所で論語塾を開いたと聞いたのでインタビューに行った。
私は彼の特捜検事時代をよく覚えている。ぶ厚い胸板を着古した背広に包み、東京地検の廊下を足早に歩く姿がまぶしかった。
ところが、事務所で出迎えてくれた田中さんはすっかりやせて面変わりしていた。67㎏あった体重がいまは52㎏だという。服役中に何があったのか?
「(服役3年目の)'11年初めの定期健診で胃に異常があるといわれて大阪医療刑務所に移されてね。精密検査の結果、『胃がんです。胃の摘出手術を行います』と宣告された。いきなり死の崖っぷちに立たされて頭が真っ白になり、その場に立ちすくんだよ」
手術後、24時間の麻酔から目が覚めたときは医療刑務所の独房の中だった。回りに面倒を見てくれる者は誰もいない。猛烈な痛みと、真冬の寒さで夜も眠れない。寝返りも打てない。じっと身を横たえていると、鉄格子つきの窓の外に立つ桜の木が目に入った。
「その桜がわしに語りかけてくるのよ。『田中、大変だろうが頑張れ。俺を見てみろ。寒風にさらされ、雪をかぶっても、春に花を咲かせるために耐えてるんだ』と。もちろん幻聴だわな。だけど人間、極限状態になると、そういう声が聞こえてきたりするんだよ」
約1ヵ月後に抗がん剤の投与が始まった。副作用で朝から吐き気・脱力感に襲われ、息をするのも辛かった。ましてや食事をとる気にもなれず、体重は38㎏まで落ち込んだ。
「目の前のメシを食わんといかんかと思うと悲しくて涙が出てくるのよ。でも、そんなときに思い浮かべたのが中学・高校時代に習った論語。『越えられない試練はない。自分の根っこにある正直な気持ちを偽らず、夢をもちつづけたら必ず立ち直れる』と論語がわしを励ましてくれた」
逆境をバネにして立ち上がる田中さんの精神力は、幼いころに培われたものだ。彼は長崎県・平戸島の貧しい漁師の長男だった。
夜明け前に父の漁を手伝い、それから4㎞離れた小学校にわらじ履きで通った。雨が降っても傘はない。蓑を着ていくから学校に着くころはびしょ濡れになった。
そんな厳しい生活から抜け出すため島を出て、苦学の末に司法試験に合格した。貧乏の辛さが骨身にしみているから、同じような境遇の犯罪者の気持ちが手に取るようにわかる。それは、彼が検事として犯罪者の心を開き、自白を引き出す際の大きな武器になった。
「だけど弁護士になってからはそれが仇になった。手形の裏書や保証人を頼まれると、情に負けて断れん。これは弁護士として絶対してはいかんことよ。ビジネスとして一線を引かなきゃならんのだが、できんかった。でも後悔はしていない。自分の生き方だから」
刑務所での抗がん剤投与は1年つづき、がん再発の懸念もなくなった。そもそもがんを早期発見できたのは刑務所の定期健診のおかげである。「もし外にいたら、胃の痛みを薬でごまかして手遅れになっていたはず。刑務所には感謝してるよ」と明るく笑う。
刑務所側も田中さんの処遇には気を遣ったらしい。彼を独房に入れたうえ、作業場や食堂でもいちばん端の席に座らせ、他の受刑者と極力接触させないようにした。
それでも受刑者同士の会話が許される体操時間(1日30分)になると、彼に法律相談を持ちこんでくる受刑者が次々と現れ、運動場の一角はさながら〝行列のできる法律相談所〟と化した。
「その相談が全部自分の刑罰への不満なのよ。懲役1年で済むはずが3年になったとか、その類の話ばかり。要するに自分の罪を反省してないのよ。検事も弁護士も裁判所も心の通った対応をしないから彼らを納得させていない。反省のないところに再犯防止も更生もあるわけないやろ。自分が検事や弁護士としてしてきたことは何だったのかと情けなくなったよ」
ところで私は田中さんにぜひ聞きたいことがあった。彼が塀の中にいる間に検察を取り巻く情勢は一変した。村木厚子・厚労省元局長の冤罪事件をきっかけに証拠改竄などが明るみに出て、検察の威信は地に落ちた。国民の信頼を取り戻すため取り調べの一部可視化などが試行されているが、その検察改革の現状は彼の目にどう映っているのだろうか。
「証拠改竄事件なんて氷山の一角。調書の捏造や証拠隠しは検察では珍しくなかった。そんな捜査をなくすには被疑者も参考人も取り調べの全過程を可視化しなきゃ。それに、検察に不利な証拠も開示されるよう証拠品を管理する『第三者機関』を作って弁護人も閲覧できるようにすべきだよ。でも、そうした対策の前にまず解決すべき問題がある。裏金だよ」
検察は'90年代末まで、調活費の名目で年間5億円前後の裏金を作り、幹部らの交際費などにあてていた。'02年、それを内部告発した三井環・大阪高検公安部長(当時)を微罪逮捕し、彼の口を封じた。いまだに法務・検察は裏金づくりの事実を認めていない。
田中さんは「裏金を認めて頭をさげることが改革の出発点」と言う。そうすれば検察OBが聖人君子のような顔をして企業の監査役に就くこともできなくなるだろう。彼らは収入源の大半を失い「ヤメ検ビジネスもパーになる」。だが、そうした痛みを乗り越えて初めて組織は再生するという。
「裏金問題に目をつぶった検察改革は茶番劇だとわしは思う。だって、自分たちがしてきたことに対する反省がないじゃない。反省のないところに改革があるかいな」
検察取材に長年携わってきた者として田中さんの意見には共感するところが多い。いまの検察幹部は論語を読むべきだと私は思う。
そして孔子のこの言葉の意味をかみしめるべきだろう。
過ちては則ち改むるに憚ることなかれ。
『週刊現代』2013年10月19日号より
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◆ 検察を支配する「悪魔」 田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)2007年12月5日 第1刷発行
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◆ 田中森一著『反転・闇社会の守護神と呼ばれて』幻冬舎刊 2007-08-03 | 読書
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