橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い 2017.11.22

2017-11-23 | Life 死と隣合わせ

橋田壽賀子氏×小笠原文雄医師「安楽死」と「安楽な死」の違い
2017.11.22 07:00
 現在、生き方、死に方を綴って、ともにベストセラーとなっている著者2人が初対談を果たした。『安楽死で死なせて下さい』著者である脚本家の橋田壽賀子さん(92才)と『なんとめでたいご臨終』の著者、医師の小笠原文雄さん(69才)。それぞれの主張の相違点と共通点からは、私たちにこの先どんなことが待ち受けているのか、どんな心持ちで生きていけばいいのか、たくさんのヒントがあった。
  橋田さんが8月に出版した『安楽死で死なせて下さい』をめぐり、賛否両論が巻き起こっている。安楽死とは、患者の同意のもと、意図的に人の生命を絶ったり、短縮したりする行為のこと。主に終末期の患者に対して使われるもので、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」がある。致死薬を投与する前者は日本では認められていない。延命措置を施さず自然に死期を早める後者は「尊厳死」として、終末期のあり方の1つということで昨今認知されている。
  改めて橋田さんにその真意と反響について尋ねると──。
橋田:死ぬなら安楽死がいいというのは、私の個人的な“つぶやき”でした。でも雑誌に載り、本になると公論になり、賛意や共感を示してくれる人、「安楽死は殺人ですよ」と忠告してくれたり、不快感を示したりする人も出てくる。「日本にも安楽死法案を!」という先頭に立つつもりはないので、ちょっと困っているところもあるんです。
小笠原:ぼくも拝読しましたが、医師として、いわゆる安楽死には複雑な思いを持っています。患者さんが望むから、患者さんを苦しみから解放してあげたいからと、薬剤で死に至らしめるのは、殺人行為であるだけではなく、医師として敗北ではないか、と思っているんです。
橋田:私が安楽死を望むのは、90才を過ぎ、足は痛いわ背中は痛いわ、もう体の衰えがひどいからです。夫が28年前に亡くなり、子供もおらず、親戚づきあいもしてこなかったので天涯孤独の身。例えば認知症になったり、半身不随で寝たきりになったりすると、下の世話まで人手を借りなければならない。人に迷惑をかけます。私はその前に死にたい。かつ、痛みの中では死にたくない。それで「安楽死したい」と言ってるんです。
小笠原:それは致死薬の注射を打ってということですか?
橋田:そうですね。麻酔薬か睡眠薬を打ってもらう。そうしたら眠っている間に逝けますでしょう。
小笠原:そういう注射は、緩和ケア病棟などで使われていて、がん末期の患者さんに施す「持続的深い鎮静」に似ています。その名の通り、これを打ったら患者さんはもう目覚めません。打った時点で「心の死」を迎え、数日以内に「肉体の死」を迎えるので、二度死ぬのです。
橋田:打ってから死ぬまで、その間意識はずっとないんでしょう?
小笠原:ありません。
橋田:それです。私はそうしてほしいんです。でもそれは、日本では殺人になってしまうんですよね。
小笠原:「持続的深い鎮静」は、殺す目的ではなく医療行為ですから、末期の患者さんに行うときは、ご家族の同意などがあれば、安楽死とは異なり、殺人にはなりません。でも橋田さんが望まれているタイミングは、重篤な症状に“なる前に”ということですよね。橋田:そうです。
小笠原:そのタイミングで打つと、医師が殺人に問われます。薬を処方する間接行為でも、自殺幇助になります。
橋田:その注射を打ってくださったら、どんなに感謝することか。お医者様は功徳を施すと思ってくださるといいのに。とにかく私としては、安らかに楽に死にたいんですよ。
小笠原:お気持ちはわかります。ぼくだって、死ぬときは安楽に死にたいですから。でも「安楽死」と「安楽に死にたい」では意味が全然違うんです。「安楽死」を行うことは、医師を殺人者にするだけではなく、本人は自殺行為を行うことなんです。対する「安楽に死ぬこと」は、暖かい空気に包まれて旅立つことができる。在宅ホスピス緩和ケアなら、致死薬を打ってもらわなくても、病状が進行したとしても、安楽に死ぬことはできるんですよ。
 『なんとめでたいご臨終』にも書きましたが、がん末期の患者さんでも、認知症の患者さんでも、みなさん笑顔で旅立たれ、「笑顔でピース!」と見送られるご遺族もいます。認知症になったらもう終わり、人に迷惑をかけるという考え方も違っています。認知症の患者さんも笑顔で、毎日を過ごしていらっしゃいますよ。ぼくが往診に行ってもわからないのに、通い慣れたヘルパーさんにはニコッと笑う。認知能力が落ちている面があるだけで、すぐにゼロになるわけじゃありませんから。
橋田:笑うってことは、まだ生きる喜びがあるんでしょうね。でも、私みたいな孤独で誰もいないような人が生きていたらかわいそうでしょう。
小笠原:ぼくはひとり暮らしのかたを57人看取りましたが、そのうちの数人はぼくを頼って岐阜でアパートを借り、「先生、私は自宅で死ねるのね」とすごく嬉しそうでした。
橋田:子供さんも全然いないかたですか?
小笠原:57人の中には、そういうかたも半分ぐらいいらっしゃいました。橋田さんは人に迷惑をかけたくないから安楽死したいとおっしゃいますが、医師も看護師も「人」です。人のいのちを助けたいと思っている医師が、殺人行為である安楽死をさせてほしいなんて言われたら、心が折れます。迷惑の極みです。
橋田:ああ、プライドを傷つけてしまいますか。じゃあ、それこそ「人」に迷惑をかけていますね。
小笠原:そうなんです。さっきの注射「持続的深い鎮静」のことを、ぼくは「抜かずの宝刀」と呼んでいて、最後の手段ではありますが、抜かないことに価値があると思っているんです。抜くくらいなら、痛みを取る名医になるべきだ、と。ぼくも今では、100%とは言いませんが、ほとんどの場合、痛みを取ることができますから。
 ※女性セブン2017年11月30日・12月7日号

 ◎上記事は[NEWS ポストセブン]からの転載・引用です


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