小林多喜二(蟹工船)=特高による拷問で体を「墨とべにがら」色に変えられ、なぶり殺された

2008-10-30 | 社会
水の透視画法  SFとしての『蟹工船』 2008/10/30中日新聞夕刊
 会合で大学にいく途中、ラーメン屋でギョーザ定職(月曜特価330円)を食べた。たまたま相席になった学生二人は、それにラーメンをつけたセットメニュー(同510円)をズルズルかきこんでいた。口にものをいれたまま一人がモグモグとぐちる。「なんか、うめーもん食いてえ・・・」。もう一人が「ぜいたくゆうな、超安いんだから。“飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ”だってよ」。ぐちったほうが「う、う、やめろ。食ってるときにそれゆうな。気持ちわりい」。その時点ではなんの話かわからなかった。興味もなかった。若者たちはたちまちたいらげる。課題の本を読みおえたか、レポートをだしたか、たがいに問うている。あれこれ話してから、二人ともしきりに慨嘆した。「半端ねえ。まじ、半端ねえよな・・」
 何が半端ではないというのだろうか。課題本の内容か。レポートのむずかしさか。世の中の急な暗転の不気味さか。聞き耳をたてた。話のはしばしからテキストが小林多喜二の『蟹工船』であることはわかった。声をひそめてかれらはいう。「あんな船、まじ、あったの?」「クソツボとかいっぱいでてきて、きったねえし」「現実感ないよな。けど、ひっかかるよな。おっかねえ・・・」「また、ああなるってこと?」「わっかんねえよ」。テーブルをはなれぎわに一人がつぶやいた。「SFみたいだよな・・・」。なるほど。私は内心あいづちをうつ。
 学生はかれの時代感覚から『蟹工船』をサイエンス・フィクションのようだといったのである。私は、しかし、「暗黒の木曜日」がおきた1929(昭和4)年に発表された小説が、ふたたび世界大恐慌前夜ともいわれるいま、大学のテキストとなり、理解のどあいはべつにして、若者たちに読まれているということが感にたえない。過去、現在、未来をふくみもつこうした時空間の全景こそ、まるで空想科学小説のようではないか。「飯のことで文句を云うものは、偉い人間になれぬ」だの「糞壺」だのという作中のことばや情景に、かれらは実感をもってはいない。でも、いまという時代が、見たこともない深くて暗いクレバスに堕ちつつあることは、うすうす感づいているようだ。
 私は金色に光るキャンパスのイチョウの下をゆっくりとあるいていた。色のことをかんがえながら。多喜二といえば、なにより「墨とべにがら」の色がうかぶ。「・・墨と紅ガラとをいっしょにまぜてねりつぶしたような、なんともいえないほどのものすごい色で一面染まっている」。多喜二の遺体を見た作家、江口渙の文である。みごとな直喩に学生だった私はこころを染められた。おびえふるえて、「墨とべにがら」ということばの混色を、まねたくても絶対にまねたことがない。1933年、特別高等警察による拷問で、逮捕当日になぶり殺された多喜二のからだの内出血が、どれほどまでに凄惨であったか、「墨とべにがら」の混色はつたえている。「墨とべにがら」は以来、私にとって戦前、戦中のイメージ・カラーにあった。これはSFではない。
 多喜二の作品は権力を怒らせた。『蟹工船』も『一九二八年三月十五日』も。前者は不敬罪の対象とされ、後者は警察の拷問をえがいたことで憎しみをかった。そのために、体を「墨とべにがら」色にされたのだ。若者のおおくはそれを知らない。やっかいだな、と思う。「墨とべにがら」はいまはない、とされている。多喜二をつかまえた治安維持法もいまはないことになっている。現在のダーク・チェンジは経済分野であり、国家全体のそれではない、とみなされている。そうだろうか・・・とうおいつ思いをめぐらせて私はあるいた。「墨とべにがら」色はいま、ぼんやりと社会の底に沈潜しているだけではないか。またうかぶこともないではない。
 「労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事件だった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると・・・どんな事でもするし、血路を求め出してくる」(『蟹工船』)。これをどう読むか。『蟹工船』セールにのりだした側は、多喜二の思想を広めたいのではなかろう。売れるから売るのだ。資本と権力はとどのつまり「どんな事でもする」。かつてより“半端ねえ”のは、それではないか。
辺見庸(へんみ・よう=作家)
...................................
『蟹工船』の下層にもっと劣悪非道な収奪 小林多喜二ブームめぐる論者の場外乱戦 中日新聞2008/11/5 

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。