五木寛之氏の『親鸞』④ 幼年期との別れ(6)

2008-10-30 | 仏教・・・

2008/10/30【58】
  幼年期との別れ(6)
 町にはさまざまな噂がささやかれていた。
 この数日、これまでわがもの顔に横行していた六波羅童(ろっぱらわっぱ)たちの姿が見えない。市でも、辻でも、それまでになく誰もが、のびのびと大声でしゃべっている。
「あの六波羅王子が、暴れ牛に殺されたそうな」
「いや、死んでへん。牛頭王丸に角ではねとばされて、倒れたところを黒頭巾の蹄でめちゃめちゃに踏みつけられたんや。あの綺麗な顔が、ふた目と見られんザクロのような人相に変わったとか」
 無数の矢をうけた血まみれの2頭の牛を、牛飼童や車借たちが、荷車にのせて駆けていくのを見た、という者もいた。
「いったい何事があったんやろ」
「わからん。館の門は、まだ閉まったままや」
「なんか、胸がすっとした気分やなあ」
 日野家にも、別段これという厄介事もおきなかった。伯父も、口うるさい伯母も、こんどの件については何もいわない。
 しかし、忠範はひどく元気をなくしていた。弟たちにいろいろたずねられても、黙って首をふるだけだった。
 河原房どのは関東へ帰ってしまわれたのだ、と、忠範はそのことばかりを思い返した。法螺房弁才、ツブテのや弥七、皆いなくなってしまった。なんともいえずさびしい。
 寺へやられると知ったとき、忠範には一つの計画があったのだ。それは日野家をとびだして、ひそかに河原房たちの仲間に加えてもらおうという無謀な計画だった。その世界は世間一般の人びとから一段低く見られながら、ある意味では畏れやあこがれさえいだかせる垣根の外の世界だ。
 乞食(こうじき)の聖(ひじり)、遊芸人、印地打ち、牛や馬をあつかう童、車借、馬借とよばれる輸送交易の民、神人(じにん)、僧兵、漁師、狩人、博徒、そして盗賊や遊び女や、その他もろもろの雑民(ぞうみん)たちが、世間の底をけもののようにうごめき流れている。
 その地熱のような活力に、忠範は心惹かれずにはいられない。みずからを、石ころ、ツブテのごとき悪人とし、この世も地獄、あの世も地獄と覚悟した者たちの世界に、一種のあこがれすらおぼえるのだった。
 しかし、いまはもうその門は閉ざされてしまった。残された夢が、一つだけある。
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