〈来栖の独白〉
昨夜、テレビ朝日『「刑事一代~平塚八兵衛」』というドラマを見た。平塚八兵衛という刑事さんは、帝銀事件や吉展ちゃん誘拐事件を扱ったそうだ。「吉展ちゃん」という名前は、私の記憶にある。
胸に刺さったのは、誘拐犯小原保の老いた母親が、雨の中、捜査に当たる平塚さんたち刑事に土下座して「足の悪い保を注意して育ててきた。もし、もしも保が人の道に外れたことをしたのなら、どうか天罰を下してやってください」と懇願するシーンである。
この母の姿を、声紋鑑定のためという最後の調べの機会に平塚さんは土下座して保に伝える。直前の自らのアリバイを覆す供述と共に小原容疑者は、激しく動揺する。平塚さんは更に言う。「親のためには、嘘吐きではなく、真人間になることだ」と。小原容疑者が落ちたのは、その瞬間だった。
ここから小原保役の俳優の演技が一変する。侘しさが漂う。この侘しさは、死刑確定した清孝が漂わせたものだ。---清孝は全事件を自ら告白していったから、容疑者の時点ですでにこの「侘しさ」を感じたそうだが、容疑者時代を私は知らない--- 小原保役の俳優は、よく演じていると思った。死刑囚という、極限の侘しさ。
やがて歳月を経て平塚さんのもとへ宮城刑務所から電話が入る。「小原保が今朝、刑を受けました。『平塚刑事さんに、小原は真人間になって死んでゆきました。戴いたナスの漬物、美味しかったです、と伝えてください』ということでした」。「真人間」とは、清孝も使った言葉である。
ところで、小原保の母親は土下座して「天罰を下してください」と言う。が、これは、先般公判のあった「土浦8人殺傷事件」の父親とはニュアンスが違うように、私には思えてならない。金川被告の父親は、息子を「金川被告人」と呼ぶ。小原保の母親とは違うことを、如実に物語っていないか。天地の開きがある、と私は思う。
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勝田清孝の手記『冥晦に潜みし日々』(6) 結之章〈後篇〉 より
贖罪
しかし懺悔したからといって決して心が安らいだわけではないのです。多少胸のつかえは取れたものの、目の裏に焼き付いた当時の光景がありありと浮かび、むしろ懺悔してからの方が自責の念にさいなまれ続けているのです。
人間として生まれ変わるには一切の悪業をさらけだし、1日も早く被害者に詫びる以外に道はなかったのですが、告白した直後の私は、正直言って「これで俺の一生は終わったのだ・・・」という暗澹とした心境でした。いわば覚悟していたとはいえ、罪科による死期が一層身に切迫した感に、何とも言えぬ寂しい気分だったのです。
でも、同じ裁きを甘受するのなら、真人間に立ち返ってから裁かれようと、大阪での猫かぶりを省みて、自らの意志で宿悪の苦悶から脱却を図ったことも事実だったのです。だから、暗澹とした気分ではあったが、告白した事実に対する後悔はまったくなかったのです。むしろ、我ながら「よく打ち明けたぞ」と、勇気を出した素直な自分に心から喝采を送れる心境でいられたのです。
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土浦8人殺傷事件公判 金川被告の父親に対する証人尋問
裁判長「手紙のやりとりをしているということですが、言っておきたいことはありますか?」
父「誰にですか?」
裁判長「金川被告にです」
父「被告人に言っておきたいことは…」
《法廷の場で裁判長に促されたとはいえ、父親はこのとき、自らの息子のことを「被告人」と呼んだ。すぐ横の被告席には、当の金川被告が座っているが、そちらのほうを向きもせず、裁判長の方を向いたまま、ゆっくりと語り始めた》
父「自分が犯したことは重大なことで、許されることではないということを認識してほしい。気が付いた暁には、謝罪した上で、男らしく責任をとれ、と言いたいです」
《父親から「被告人」と呼ばれた金川被告。目の前に立つ父親の言葉を聞いているのか、聞いていないのか、ただ盛んにまばたきをしている。顔は紅潮しているようにも見えるし、そうでないようにも見える。表情に変化はない》
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(追記) 2012/02/02Tue.
■ 刑事一代 渡辺謙 vs 萩原聖人 迫力のシーン
■ 刑事一代 渡辺謙 vs 萩原聖人 迫力のシーン2
■ 刑事一代 渡辺謙 vs 萩原聖人 迫力のシーン3
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◇ 本田靖春著『誘拐』ちくま文庫…吉展ちゃん誘拐殺人事件…小原保死刑囚(昭和46/12/23刑死)
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◇ 尾形英紀氏の「将来のない死刑囚には反省など無意味」に疑義〈来栖の独白2012/2/8〉
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