永山則夫事件 判決文抜粋(所謂「永山基準」)

2016-01-12 | 死刑/重刑/生命犯

永山則夫事件 判決文抜粋

1979年7月10日東京地方裁判所刑事五部(裁判長裁判官蓑原茂廣)言い渡し
・主文
 一、被告人を死刑に処する。
 二、押収してあるジャックナイフ一丁とアメリカ硬貨九枚を被害者ジェームス・S・ジョゼフに、白布 袋一枚を所有者辻山良光に、押収してある腕時計一個と時計バンド二本を被害者佐藤秀明の相続人に、それぞれ還付する。
・理由
〔一〕本件各犯行は、京都以東の東日本全域にわたる規模であり、わが国の犯罪史上まれにみる重大な事件というべきである。
  ①被告人は、四名もの善良な市民の生命を奪った。平凡な社会人として真面目に生き、春秋に富み、今後安楽な余生を送りえた人たちが、凶弾により生命を奪われた。四名の被害者および遺族らの無念さと憤りは、想像に余りあるものがある。原宿事件でガードマンに発射した二発の弾丸が命中しなかったことは偶然の結果で、生命への危険性はきわめて大きかった。
  ②四名の殺害は、約一ヵ月のあいだに次々と犯行が重ねられたもので、原宿の強盗殺人未遂をふくめれば、犯行は五回におよんでいる。
  ③各犯行は、東京プリンスホテル事件の殺人が偶発的とはいえ、被告人に憫諒すべき動機が存しない。二件の殺人は、自己の犯罪の発覚をおそれ、逮捕を免れるだけの動機をもって、いとも簡単に射殺した。二件の強盗殺人は、函館では金品を奪うため、名古屋では自己の足取りが警察に判明して逮捕される結果となることを防ぎ、かつ金品を奪うために射殺した。一件の強盗殺人未遂は、事務所に侵入し金品を物色中に発見され、逮捕を免れるため射殺して逃走しようとした。以上いずれも、人命蔑視の念が如実にあらわれている。
  ④犯行の手段、態様は、ピストルという最も危険な凶器を用い、実包を装填していつでも弾丸を発射できるようにしていた。しかも、至近距離から被害者の頭部、顔面などを狙撃し、かつ数発の弾丸を撃ち込むという、確実かつ残虐な殺害方法を用いた。
  ⑤被告人は、二つの殺人事件を起こしたあと、次兄に犯行を打ち明けて、強く自首を勧められ、犯行を止める機会が与えられたにもかかわらず、「自首するなら死んだほうがマシだ」と拒否し、より重い二件の強盗殺人ならびに強盗殺人未遂の犯行におよんだ。
  ⑥一連の犯行は、約半年のあいだに各地においておこなわれたもので、全国民に強い衝撃を与え、大きな不安と恐怖を生じさせ、社会的な影響は甚大であった。
  ⑦被告人には、非行歴が存し、更生のための保護措置が与えられたのに、保護観察中に各犯行におよんだ。
  ⑧反省悔悟の情なく、その改善は至難である。当初は捜査官に、「すまなかった」「申し訳ないことをした」と述べ、自己の著作の印税を函館事件の被害者に贈るなど、改悛の情を示すような点も見受けられ、また、“静岡事件”を自白した。しかし、犯行の原因を自己の責任ではなく、貧困と無知を生み出した社会や国家のせい、資本主義のせいであるとする。さらに幼いころから母親の愛情のなさ、兄たちの思いやりのなさを非難し、保護司などが勤務先に訊ねてきたため転職せざるをえず、更生できなかったと述べ、他罰的、自己中心的な性格をあらわにしている。
  法廷では、弁護人、検察官、裁判官に罵言を浴びせ、脅迫的言辞を発し、暴行を加えようとする態度を示すなどして、国選弁護人に辞任を強要しようとした。その他、「情状は要らない、後悔しない」と述べ、“静岡事件”を起訴しなければ本件の審理に応じないと妨害し、三回にわたり弁護人を解任し、辞任させるにいたったりした。
  十年におよぶ拘束期間中に読書も重ね、反省をする機会も十分あったにもかかわらず、自己の犯した重大な犯罪を悔悟反省することなく、自己中心的、他罰的、爆発的、非人間的な性格は根深く固着化し、石川義博鑑定人の「被告人の改善は可能である」との証言にもかかわらず、その改善は至難と思われる。
〔二〕他面、その素質、生育歴に同情すべき事情があり、量刑にあたって考慮の対象とすべき点も存する。
  ①被告人は、人格形成上もっとも重要な幼少時から、父が賭博にふけり家庭を顧みず家出して、母は働いて子どもの教育に手が回らず、かなり環境の悪影響を受けたと思われる。とくに幼児期、母親が実家に戻るとき置き去りにされたような、まことに同情に値する事情がある。
  ②素質的な負因が存するとみられ、姉は精神分裂病に罹り、親族にも精神的疾患に罹った者がいて、被告人自身、分裂病質に属する精神病質者で、性格が偏倚であることが窺える。
  ③本件は、いずれも少年時の犯行である。
  ④小・中学校時代に貧困などの理由で欠席日数も多く、協調性、社会性も未熟なまま、形式上の中学卒業の義務教育だけで、集団就職で上京し、大都会に放り出された。
  ⑤一時は改悛の情も見受けられたことは、捜査官に対する供述調書、著書の内容などから、ある程度は窺える。
  ⑥函館事件の遺族に著書の印税を贈っている。
  ⑦未決勾留が十年の長期におよんでいる。
〔三〕しかし、さらに翻って考えてみる。
  ①生育歴に同情すべき点はあるが、同じ条件下に育った兄弟たちは、おおむね普通の市民生活を送っている。なによりも各犯行は、上京して社会生活を三年以上も送ってからおこなわれた。転職を繰り返したとはいえ、常に就職の機会は与えられて、職なく食うに困ってやむなく犯した犯行ではない。上京後は兄も東京にいて、まったく相談相手がない状態ではなかった。したがって、幼少時の環境不良のみを過大視すべきではなく、被告人がみずから選択した無反省な生活態度を、無視することはできない。被告人は母親の愛情のなさを責めるが、一九六九年三月、手紙で「交通事故を起こした」と偽り一万円の送金を頼み、五千円の送金を受けており、非難には疑問が存する。
  ②素質的負因は同情に値するが、刑事責任に影響を及ぼすような耗弱にいたっていない。性格偏奇は存するが、知能程度はかなり良い。自衛隊の一次試験に合格し、明治大学の付属の定時制高校でクラス委員にも選ばれた。本件犯行後の手記や著述から推測すると、犯行当時に能力が低かったとは考えられない。
  ③犯行時に年少少年ではなく、十九歳三ヵ月から十九歳九ヵ月の年長少年であった。
  ④未決勾留が長期に及んでいるが、その原因は被告人が作り出したものである。すなわち、一九七一年六月に第一次論告がおこなわれてから、弁護人を三次にわたって解任し、辞任するにいたらせ、静岡事件の起訴を求めて、審理を遅延させる原因を生じさせた。
〔四〕弁護人の心神喪失または心身耗弱の主張について、当裁判所の判断。
  ①新井鑑定は、「症状としては、精神病質中の分裂病質で、事物の弁職能力または弁職に従って行動する能力は正常」という。石川鑑定は、「犯行時には精神病に近い精神状態で、事物の弁職能力または弁職に従って行動する能力はいちじるしく減退していた」という。右の石川鑑鑑定は、鑑定時や公判廷で被告人が述べた、合理性もなく、客観性もない事実をそのまま受け入れて鑑定しており、その鑑定方法に重大な誤りがある。
  ②被告人の「静岡事件」についての主張は、その内容が認められるか否かは別として、論理的矛盾や意味不明な点はなく、みずからの立場を有利にするために一定の効果を期待しての言動と推認され、パラノイア的であっても、パラノイアではない。
  ③石川鑑定人は、脳波について専門的な知識経験を有しておらず、α波の左右差も被告人程度であれば問題なく、通常人にも往々にしてみられる現象である。
  以上のとおり、被告人はきわめて孤独、内向的、自己中心的で社会的協調性に乏しく、気分易変で爆発しやすく、劣等感が強く、その半面で自己顕示欲もかなり強いなど、性格の偏りは認められるが、本件各犯行時に精神状態が異常であったとすることはできない。
〔五〕以上の諸事情を総合して量刑について考察する。
  東京プリンスホテル事件では、ピストルの所持や横須賀事件の発覚を防ぐというだけの理由で、至近距離から顔面を狙撃した。刑責はまことに重大というべきであるが、偶発的な面を否定できないので、有期懲役刑を選択する。
  原宿事件については、すでに四名を殺害しながら、さらにガードマンを殺害しようとしたもので、きわめて悪質な犯行であるが、幸いにも弾丸が命中せず死傷の結果が発生しなかったので、無期懲役刑を選択する。
  京都事件、函館事件、名古屋事件は、被告人の素質および生育歴に同情すべき点があり、極刑は慎重のうえにも慎重を期し、まことにやむをえない場合に限るべきで、少年の場合はとくに配慮が必要と考えるが、それにしても、東京プリンスホテル事件を起こしながら、なおも殺人一件、強盗殺人二件の犯行を重ね、善良な市民の生命を、残虐な方法で次々に奪い、その家族らを悲嘆の底に陥れたもので、非人間的な所業というべきであり、何ら改悛の情の認められない被告人にとって、有利な一切の事情を参酌しても、京都事件、函館事件、名古屋事件について、死刑を選択せざるをえない。
  したがって、当裁判所は、まことにやむを得ず、死刑を言い渡すものである。
  よって、主文のとおり判決する。
   一九七九年七月十日
   東京地方裁判所刑事五部
 裁判長裁判官 蓑原茂廣
    裁判官 豊吉 彬
    裁判官 西修一郎
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1981年8月21日東京高等裁判所刑事二部(裁判長裁判官船田三雄)言い渡し
・主文
 原判決を破棄する。
 被告人を無期懲役に処する。
 原審における未決勾留日数五〇〇日を右刑に算入する。
・理由
  被告人は、窃取したピストルを使用し、一九六八年十月十一日から、わずか一カ月足らずの間に、東京、京都、函館近郊、名古屋において、合計四人を次々に射殺して、新聞、テレビ、ラジオを通じて「連続射殺魔」と呼ばれ、マスコミを賑わせた。
  捜査当局は、広域重要一〇八号事件として全国的な捜査体制を取り全力を投入したが、原宿事件の直後に被告人を逮捕し、ようやく終結を見た。原宿事件は殺害にいたらなかったが、被告人によって四人の貴重な生命が奪われ、東京プリンスホテル事件、名古屋事件においては、二十歳代の春秋に富む真面目な独身の勤労青年の生命が奪われた。本人の無念さはいうに及ばず、最愛の息子を被告人に奪われた両親の無念さは察するに余りあり、事件後十余年を経過した現在、なお被告人の提供する慰藉の気持ちとしての印税をかたくなに拒否して、せめてもの息子への供養である旨の言葉に、悲痛な親の心情がよく表現されている。
  被告人は、一九六九年五月二十四日に起訴され、原審において審理を受けたが、七一年六月十七日に死刑の論告求刑を受け、当時の私選弁護人(第一次弁護団)を解任し、第二次弁護団は解任または辞任して、第三次弁護団は辞任し、第四次弁護団(三人の国選弁護人)の弁護を受け、七九年七月十日、ようやく判決宣告にいたった。
  起訴から判決まで、十余年を経過しているが、その長期化は被告人の法廷闘争に原因があり、深層心理において死刑への恐怖があったとしても、とうてい許されない訴訟行為である。原審当時における被告人の行動は、いかなる面から検討しても、許すべからざるものといわなければならない。
  各犯行当時、被告人が狭義の精神病に罹患していたとは認められない。情意面の偏りはある程度認められ、分裂病質ないしアメリカの精神医学にいう「精神神経症状態」をみとめるにやぶさかではないが、是非弁別、行動統制能力は存在しており、いちじるしく減退していたとは認められないから、原判決に事実の誤認はなく、法令適用の誤りもない。
  以上の情状を総合考慮するとき、原審が被告人の本件各犯行に対する刑事責任として、死刑を選択したことは、首肯できないわけではない。
  しかしながら、死刑はいうまでもなく極刑で、犯人の生命をもってして、犯した罪を償わせるものである。このような刑罰が、残虐な刑罰として憲法三六条その他の関連条文に違反するものでないことは、最高裁判所も同様の見解である。
  右のように、死刑が合憲であるとしても、その極刑としての性質にかんがみ、運用については慎重な考慮が払われなければならず、ことに死刑を選択するにあたっては、他の同種事件との比較において、公平性が保障されているか否かにつき、十分な検討を必要とする。
  ある被告事件について、死刑を選択すべきか否かの判断に際し、審理する裁判所の如何によって結論を異にすることは、判決を受ける被告人には耐えがたいことであろう。もちろん、わが刑法における法定刑の幅は広く、同種事件について判決する裁判所によって、宣告される刑期に長短があり、執行猶予が付せられたり、付せられなかったりすることは、望ましいことではないが、裁判権の独立という観点からやむをえない。
  しかし、極刑としての死刑を選択するときは、かような偶然性は、可能なかぎり避けねばならない。ある事件につき死刑を選択するときは、その事件について、いかなる裁判所がその衝にあっても死刑を選択するであろう程度の情状がある場合に、限定せらるべきものと考える。
  立法論として、死刑の宣告には裁判官全員一致によるべきものとすべき意見があり、その精神は現行法の運用にあたって考慮に値する。最近における死刑宣告事件数の逓減は、以上の思考を実証するものといえる。
  右の見解を基準として、被告人の情状につき、再検討を加えてみよう。
  第一に、本件犯行は、被告人が少年のときに犯されたものであることに、注目しなければならない。六八年十月十一日から十一月五日まで、一ヵ月足らずでおこなわれた一連の射殺事件は、一過性の犯行当時、被告人は十九歳の少年であった。
  少年法五一条によれば、十八歳に満たない少年に対しては、死刑を科し得ないことになっている。被告人は十九歳であったから、法律上は死刑を科すことは可能である。しかし、少年に対して死刑を科さない少年法の精神は、年長少年に対しての判断に際しても、生かされなければならない。
  被告人は、出生以来きわめて劣悪な生育環境にあり、父は賭博に狂じて家庭を省みず、母は生活のみに追われて被告人らに接する機会もなかった。幼少時に母が、被告人らを見放して実家に戻ったため、兄や姉の新聞配達の収入などにより辛うじて飢えをしのぎ、愛情面においても経済面においても、きわめて貧しい環境に育ってきた。人格形成に最も重要な幼少時から少年時にかけて、右のように生育してきたことに徴すれば、犯行当時十九歳であったあったとはいえ、精神的な成熟度においては、十八歳未満の少年と同視しうる状況にあったと認められる。
  かような成育史をもつ被告人に対し、犯した犯罪の責任を問うことは当然であるとしても、責任をすべて被告人に帰せしめ、その生命をもって償わせることによって事足れりとすることは、酷に過ぎないであろうか。
  劣悪な環境にある者に対し、早い機会に救助の手を差しのべることは、国家社会の義務であって、その福祉政策の貧困も原因の一端というべきである。換言すれば、本件のごとき少年の犯行について、社会福祉の貧困も、被告人とともに責任をわかち合わなければならない。
  第二に、被告人の現在の環境に、変化があらわれたことである。
  一九八〇年十二月十二日、かねてから文通で気心を知った大城奈々子と婚姻し、人生の伴侶を得たことがあげられる。同人について、当審において証人として尋問したが、その誠実な人柄は法廷にもよくあらわれ、たとえゆるされなくても被害者の遺族の気持ちを慰藉し、被告人とともに贖罪の生涯を送ることを誓約している。
  誠実な愛情をもって接する人を身近に得たことは、被告人のこれまでの人生経験で、初めてのことであろう。当審における被告人質問には素直に応答し、その心境の変化が、如実にあらわれているように思われる。
  第三に、被告人は本件犯行後、獄中にて著述を重ね、出版された印税を被害者の遺族におくり、慰藉の気持ちをあらわしている。
  村田紀男、佐藤秀明の遺族は、受領するに至っていないが、佐川哲郎の遺族に対しては、七一年五月十八日から七五年八月十二日まで、合計四百六十三万一千六百円を、鶴見潤次郎の遺族に対しては、七一年八月五日から七五年一月十日まで、合計二百五十二万四千四百円を送った。
  永山奈々子は、被告人の意をうけて、弁護人と共に、佐藤、佐川、鶴見の三遺族を訪れた。佐藤秀明の遺族は金員の受領は拒んだけれども、永山奈々子に快く応対して、激励の言葉すら述べていることが窺える。また、村田紀男の墓参をして衷心から弔意を表し、佐藤秀明、村田紀男の遺族に対しても、将来その受領が認められるならば支払いをするために準備し、永山奈々子、被告人ともども、印税をその支払いにあてるべく誓約している。
  一連の犯行により、家族を失った被害者の遺族の気持ちは、これらで償えるものではないけれども、永山奈々子の行動で、村田紀男の遺族を除く三遺族の気持ちは、多少なりとも慰藉されているように認められる。
  以上のとおり、原判決当時に存在した、被告人に有利ないし同情すべき事情に加えて、当審によって明らかになった、さらに有利な事情を合わせて考慮すると、死刑を維持することは酷に過ぎ、各被害者の冥福を祈らせつつ、その生涯を贖罪に捧げしめるのが、相当というべきである。
  よって、刑訴法三九七条、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条により自判する。
   一九八一年八月二十一日
   東京高等裁判所刑事二部
 裁判長裁判官 船田三雄
    裁判官 櫛淵 理
    裁判官 門馬良夫
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1983年7月8日最高裁第二小法廷(裁判長裁判官大橋進)宣告 (http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/235/050235_hanrei.pdf
・主文
 原判決を破棄する。
 本件を高等裁判所に差し戻す。
・理由
〔一〕第一審判決は、犯行の動機に同情すべき点がなく、ピストルに実包を装填して携帯する計画性があり、その態様も残虐で、四人の生命を奪った結果が重大で、遺族らは精神的、経済的に深刻な打撃を受け、「連続射殺魔」と報道されて社会的影響が大きく、被告人に改悛の情の認められないことを総合すれば、生育環境、生育歴に同情すべき点があり、犯行当時は少年であったことを参酌しても、死刑の選択はやむをえないとした。
〔二〕第二審判決は、不利な情状を総合考慮すれば、死刑判決は首肯できないではないとしながら、被告人にとって有利な情状を考慮し、第一審判決を破棄して、無期懲役に処した。
〔三〕死刑は残虐な刑罰にあたるものではなく、死刑を定めた刑法の規定が憲法に違反しないことは、当裁判所大法廷の判例にあるが、生命そのものを永遠に奪う冷厳な極刑で、究極の刑罰であることにかんがみると、その適用が慎重におこなわれなければならないことは、第二審判決の判示するとおりである。
  しかし、犯行の罪責、動機、態様、殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性、殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などを考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも、一般予防の見地からも、極刑がやむをえないと認められる場合には、死刑の選択も許される。
  本件犯行についてみるに、犯行の罪質、結果、社会的影響はきわめて重大である。殺害の手段方法は、凶器としてピストルを使用し、被害者の頭部、顔面などを至近距離から狙撃して、きわめて残虐というほかなく、名古屋事件の被害者・佐藤秀明が、「待って、待って」と命乞いするのを聞き入れず射殺し、執拗かつ冷酷きわまりない。
  遺族らの被害感情は深く、佐藤秀明の両親は、被害弁償を受け取らないのが息子に対する供養と述べ、東京プリンスホテル事件の被害者・村田紀男の母も、被害弁償を固く拒み、どのような理由があっても被告人を許す気持ちはないと述べており、その心情は痛ましいの一語に尽きる。
  被告人にとって有利な情状は、犯行当時に少年であったこと、家庭環境がきわめて不遇で、生育歴に同情すべき点が多々あり、第一審の判決後に結婚して伴侶をえたこと、遺族の一部に被害弁償したことなどが考慮されるべきであろう。幼少時から赤貧洗うがごとき窮乏状態で育てられ、肉親の愛情に飢えていたことは同情すべきであり、このような環境的な負因が、精神の健全な成長を阻害した面があることは、推認できないではない。
  しかし、同様の環境的負因を負う兄弟は、被告人のような軌跡をたどることなく、立派に成人している。犯行時に少年であったとはいえ年長少年で、犯行の動機、態様からうかがわれる犯罪性の根深さに照らしても、十八歳未満の少年と同視することは困難である。そうすると、犯行が一過性のもので、精神的な成熟度が十八歳未満の少年と同視しうるなど、証拠上明らかではない事実を前提として、国家・社会の福祉政策を関連づけることは妥当でない。
  第一審の死刑判決を破棄して、被告人を無期懲役に処した第二審判決は、事実の個別的な認定および総合的な判断を誤り、はなはだしく刑の量定を誤ったもので、これを破棄しなければ、いちじるしく正義に反するものと認めざるをえない。
〔四〕よって第二審判決を破棄し、本件事案の重大性、特殊性にかんがみ、さらに慎重な審理を尽くさせるために、東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
   一九八三年七月八日(昭和五八年)
   最高裁第二小法廷
 裁判長裁判官 大橋 進
    裁判官 木下忠良
    裁判官 鹽野宜慶
    裁判官 宮崎悟一
    裁判官 牧 圭次
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1987年3月18日東京高等裁判所刑事三部(裁判長裁判官石田穣一)言い渡し
・主文
 本件控訴を棄却する。
・理由
  弁護人の所論は、本件当時において、被告人が少年であったことを重視すべきとし、その成長過程におけるさまざまな負因から、順調な発育が阻害されて精神的な成熟度が未熟であり、十八歳未満の少年と同視しうる状況にあったと主張する。
  被告人の幼少期の生活環境、生育歴には深く同情すべきものがあり、幼児から自己の責めによらずして、筆舌に尽くし難い辛酸をなめ、困苦にみちた生活を余儀なくされたこと、それが性格形成にも多分に暗影を投じたであろうこと、素質的負因と思われる性格の偏りがあることなどは、記録上でもうかがうことができる。
  その程度が、十八歳未満の者と同視しうるものであったかどうかはともあれ、被告人の精神的な成熟度が、多少とも未熟であったといえなくはない。
  それらの事情は、いずれにせよ十九歳の少年であったこと、犯罪時に少年であった者の処遇については少年法の精神で慎重に検討すべきものであることなど考え併せ、量刑にあたっては十分に考慮すべきである。
  さらに所論は、被告人の犯罪の原因は成長過程において固有の一過性のもので、成長とともに犯罪性が消滅すると推測されると主張する。
  そのような事柄は、たやすく予測しがたいことではあるけれども、被告人が本件を契機として、勉学に強い意欲を示し、自己の文芸作品を世に発表するなどの活動を展開している事情は、それなりに量刑上評価されてしかるべきものと考える。
  また、自己の著作の印税から金員をおくり、あるいは申し出をするなど遺族の慰藉にも意を用いているほか、当公判廷においても、自己と同じ階級に属する仲間を殺したことを後悔している旨を述べるなど、特異な表現ではあるけれども、被告人なりに被害者らの殺害を反省しているように見受けられる。
  そのほか、勾留中の被告人が婚姻し、後に離婚するにいたったことなど、犯行後の情状も存在する。
  また、原審当時に被告人は、常軌を逸した不穏当な行状と言動により、迅速・円滑な訴訟の進行を妨げ、司法の威信を傷つける挙に出たのであるが、原判決当時は、右当時にくらべて態度が改善されたとみることができ、消極的ながら情状として評価できないでもない。
  そこで、これら被告人の生い立ちをはじめとする、本件にいたる経緯、本件が少年犯罪であること、その他の原判決後の事情をふくめて、被告人のために酌むべき諸情状をつぶさに検討してみた。
  しかし、前記のような本件の罪質、態様、事案の重大性にかんがみると、現行の刑罰制度のもとにおいて、原審が本件の各犯行につき、それぞれ所定刑中の有期・無期の懲役刑ないし死刑を選択し、被告人に対し、死刑をもって処断することとした原判決の量刑は、重すぎて不当であるとはいえない。
  各論旨は、理由がない。
  よって、刑法三九六条、一八一条一項但書により、主文のとおり判決する。
   一九八七年三月十八日
   東京高等裁判所刑事三部
 裁判長裁判官 石田穣一
    裁判官 田尾 勇
    裁判官 中野保昭
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1990年4月17日最高裁判所第三小法廷(裁判長裁判官安岡満彦)宣告
・主文
 本件上告を棄却する。
・理由
  弁護人遠藤誠の上告趣意のうち、憲法三六条違反をいう点は、死刑がその執行方法を含め憲法に違反しないことは当裁判所の判例(昭和二二年(れ)第一一九号同二三年三月一二日大法廷判決・刑集二巻三号一九一頁、昭和二六年(れ)第二五一八号同三〇年四月六日大法廷判決・刑集九巻四号六六三頁)とするところであるから、理由がない。その余は、違憲をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、適法な上告理由に当たらない。
  被告人本人の上告趣意のうち、現行の死刑制度につき憲法九条、一三条、一四条、三六条違反をいう点が理由のないことは、当裁判所の判例(前記各大法廷判決及び昭和二四年新(れ)第三三五号同二六年四月一八日大法廷判決・刑集5巻五号九二三頁)の趣旨に徴し明らかであり、その余の違憲をいう点は、原判決に対する論難ではなく、判例違反をいう点は、所論引用の各判例はいずれも事案を異にし本件に適切でなく、その余は、すべて単なる法令違反、事実誤認、量刑不当の主張であって、適法な上告理由に当たらない。
  また、記録を精査しても、刑訴法四一一条を適用すべきものとは認められない(本件は、被告人が米軍基地内でけん銃を窃取し、これを使用して、わずか一か月足らずの間に、東京、京都、函館、名古屋の各地で何ら落ち度のない警備員二名及びタクシー運転手二名を射殺し、右タクシー運転手から売上金等を強取し、更にその約五か月後には、右けん銃を使用して、都内で強盗殺人未遂を起こしたという事案である。その犯行の罪責、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性・残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響等に照らせば、被告人の成育歴、犯行時の年齢等を十分考慮しても、被告人の罪責は誠に重大であって、原判決が維持した第一審判決の科刑は、当裁判所もこれを肯認せざるをえない)。
  よって、同法四一四条、三九六条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
   平成二年四月一七日
   最高裁判所第三小法廷
 裁判長裁判官 安岡満彦
    裁判官 坂上壽夫
    裁判官 貞家克己
    裁判官 園部逸夫
   .....................................

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「凶悪犯罪」とは何か(1~4) 【2】 光市事件最高裁判決の踏み出したもの

(抜粋)
安田 僕も全く同じ考えを持っています。光市の最高裁判決は、永山判決を踏襲したと述べていますが、内容は、全く違うんですね。永山判決には、死刑に対する基本的な考え方が書き込んであるわけです。死刑は、原則として避けるべきであって、考えられるあらゆる要素を斟酌しても死刑の選択しかない場合だけ許されるんだという理念がそこに書いてあるわけです。それは、永山第一次控訴審の船田判決が打ち出した理念、つまり、如何なる裁判所にあっても死刑を選択するであろう場合にのみ死刑の適用は許されるという理念を超える判決を書きたかったんだろうと思うんです。実際は超えていないと私は思っていますけどね。でも、そういう意気込みを見て取ることができるんです。ところが今回の最高裁判決を見てくると、とにかく死刑だ、これを無期にするためには、それなりの理由がなければならないと。永山判決と論理が逆転しているんですね。それを見てくると、村上さんがおっしゃった通りで、今後の裁判員に対しての指針を示した。まず、2人殺害した場合にはこれは死刑だよ、これをあなた方が無期にするんだったらそれなりの正当性、合理性がなければならないよ、しかもそれは特別な合理性がなければならない、ということを打ち出したんだと思います。具体的には、この考え方を下級審の裁判官が裁判員に対し説諭するんでしょうし、無期が妥当だとする裁判員は、どうして無期であるのかについてその理由を説明しなければならない羽目に陥ることになると思います。
 ですから今回の最高裁判決は、すごく政策的な判決だったと思います。世論の反発を受ければ裁判員制度への協力が得られなくなる。だから、世論に迎合して死刑判決を出す。他方で、死刑の適用の可否を裁判員の自由な判断に任せるとなると、裁判員が死刑の適用を躊躇する方向に流されかねない。それで、これに歯止めをかける論理が必要である。そのために、永山判決を逆転させて、死刑を無期にするためには、それ相応の特別の特別の理由が必要であるという基準を打ち出したんだと思います。このように、死刑の適用の是非を、こういう政策的な問題にしてしまうこと自体、最高裁そのものが質的に堕落してしまったというか、機能不全現象を起こしているんですね。ですから第三小法廷の裁判官たちは、被告人を死刑か無期か翻弄することについて、おそらく、何らの精神的な痛痒さえ感じることなく、もっぱら、政治的な必要性、思惑と言っていいのでしょうが、そのようなことから無期を死刑にひっくり返したんだと思います。悪口ばっかりになってしまうんですけど。

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正義のかたち:裁判官の告白/1 永山事件・死刑判決 2008-04-13 
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死刑とは何か 大谷恭子さんインタビュー 不登校新聞 2010-07-28 
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2 コメント

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Unknown (繊細居士)
2016-01-12 22:18:53
さっそく感謝します。
自分の前のブログで、来栖宥子さんの旧HPの内容をいくつかリンク先(資料として)使わせていただいていました。すごく良かったので…。
旧HPごと、止められたということでしょうか。

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コメント、ありがとうございます。 (ゆうこ)
2016-01-12 22:42:58
 今、貴ブログ拝見。
「それでも、永山則夫が好きだ」、快活な♪タイトル、いいですね。
 弊HPご覧くださって、ありがとうございました。幾つも理由があってお仕舞にしました。皆さまに感謝です。
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