中日新聞を読んで--2009/11/01Sun.
本紙の土曜日の夕刊に「伝統芸能」の欄がある。そこには、歌舞伎のおもしろガイドが載っている。
だが残念ながらわたしは歌舞伎を見たことがなかった。9月末の夕刊には、市川団十郎、片岡仁左衛門を大看板に「通し狂言 仮名手本忠臣蔵」が43年ぶりに御園座で演じられるという記事があった。これを逃せば死ぬまで通しの忠臣蔵を見ることはあるまいと出かけた。
休憩を挟み十時間近い長丁場だったが、緊張感あふれる絢爛豪華な舞台を堪能した。満員の観客が息をひそめるように見ているのは驚きだった。
もっと驚いたのは、高師直こと吉良上野介が徹底的に意地悪な悪人に仕立てられていることだった。高師直がねちねちと塩冶判官(浅野内匠頭)を責める場面が見どころとはきいていたが、これほど憎々しい悪役になっているとは思わなかった。
実在の上野介は品位にみちた美男であった。領地の愛知県吉良町に黄金堤を築き、塩の生産や新田開発で地域経済を潤した名君として地元では広く慕われている。彼の優れた資質と政治手腕はすべて、この芝居で埋もれてしまった。これでは上野介も吉良町もうかばれまい。
討ち入りは将軍綱吉の早急すぎる処断によっておこったゆえ、赤穂浪士は綱吉に歯向かうべきだった。だが浪士たちは怒りを幕府にぶつけるわけにはゆかず、上野介を血祭りにあげて亡君の恨みをはらす手段にすりかえたのだ。
真夜中に47人もの浪士が品のいいおじいさんの寝込みを襲い、よってたかって斬りさいなむとは卑怯千万。上野介をこんなに貶め、辱めた芝居が江戸時代にできたのは残念至極である。
かつてわたしは医学雑誌に浅野内匠頭の奇矯な病的性格や、上野介の傷の手当をした外科医栗崎道有(くりさきどうう・愛知県高浜市、山脇薬局のご先祖)について論考をくわえたことがある。今度は高家上野介の名誉挽回を期し「吉良どの無念!」という歴史小説を書きたい。