
(読売新聞 - 01月04日 11:54)
職や住居を失った人たちが身を寄せる東京・日比谷公園の「年越し派遣村」には、3日も新たに入村する人たちが相次いだ。
入村者の中に、生きることに絶望し、元日に自殺を図るまで追いつめられた男性(46)がいた。家庭崩壊、長年のネットカフェ生活、そして失職。男性は、偶然知った「派遣村」で励まされ、「もう一度生きてみよう」と自分に言い聞かせていた--。
「もう仕事はない」。日雇い派遣労働者だった男性が派遣元の担当者から告げられたのは、昨年末のクリスマスイブだった。約7年間続けた製本の仕事は日当6840円。週5日働いてきたが、泊まり続けたネットカフェは1日1000円以上かかった。大みそかの朝、所持金は200円になっていた。「もう死ぬしかない」。あてもなく歩き始めた。
男性は、北海道釧路市出身。19歳で上京し、不動産会社の従業員だった27歳の時に結婚した。その後、タクシー運転手に。待望の長男を授かってからは、率先して炊事や洗濯、子守を手伝う良き父だった。
しかし、タクシーの仕事は減り、それに伴い夫婦仲も悪くなり、8年前に離婚した。空虚感から仕事が手につかなくなった。離婚から2年後、アパートを夜逃げ同然で飛び出し、ネットカフェなどで暮らしていた。
今年元日。イヤホンでラジオを聞きながら歩き続けた男性は、午後5時ごろ、羽田空港近くの木の生い茂った歩道にたどりついた。上京後、初めてデートした公園のそばだった。高い木を選んで枝にベルトをくくりつけ、自分の首に巻き付けた。
だが、ベルトのバックルが壊れ、一命を取り留めた。放心状態で聞いていたラジオから「派遣村」を紹介するリポーターの声が聞こえた。
「派遣村にどんどん人が集まっています。今、さまよっている人でも、ここに来ればなんとかなるかもしれません」
日比谷公園をめざして歩き始め、夜10時頃、公園に着いた。ボランティアの女性からおにぎりと温かいお茶を手渡されると、涙がこみ上げてきた。
同村で弁護士に住民票を持っていないことを明かすと、「そういう人を守るのが法律です。ともにがんばりましょう」と励まされた。
男性は派遣村が終了する5日、生活保護を申請する。「多くの人の温かさに触れた。もう一度、頑張ってみます」。そう誓った。
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http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/adagio/kan-amamiya.htm
雨宮 2006年には全国3、4ヵ所だったプレカリアート系メーデーが、08年には東京、札幌、熊本など全国14ヵ所と増えています。参加者は東京だけでも千人。今年は百ヵ所で開きたい。そういう拠点、居場所をつくれば自殺もだいぶ減るんじゃないかと。
姜 居場所という言葉は印象的です。居場所がないのが一番つらいから。僕は学生時代、同じ境遇(在日)の人たちと学生運動をやり始めて、初めて自分の居場所が見つかった。キーワードは居場所ときずな。それがないと自暴自棄、暴発に追い込まれる可能性がある。自殺もそう。自殺した7割の人は直前までいろんな形で相談し、頑張って生きようとしているという調査結果もある。
雨宮 職場での正規、非正規のような分断は、会社で始まったことではありません。子どものころから競争ベースの人間関係しかなくて、一人でも多く人を蹴(け)落とすように教えられてきた。それに疲れた人がそういう所から解放される場を、運動を通じてつくったという感じはします。