〈来栖の独白2017.11.30 Thu 〉
本年は2月24日(Fri 零時半頃)、母の死去(92歳)。そのことに心とらわれているうち、10月17日(Tue)、愛猫くろのすけ永眠(16歳)。くろのすけ(クック)は亡くなる10月まで元気にしていたので---食欲不振で受診は繰り返していたが---急に亡くなったという感じで、私は未だにクックの死を受け入れられずにいる。そんな中、10月30日は私の生誕日。何十年も前の小さな出来事だ。
そして、17年前の本日、勝田清孝の帰天。17年前の今日も木曜日であった。以下のような次第。
・死亡年月日 平成12年(2000年)11月30日 午前11時38分 第2次森内閣(内閣総理大臣 第86代 森喜朗) 保岡興治法相による死刑執行命令
・死亡地 名古屋市 東区 白壁 1丁目 1番地
・死亡報告日 平成12年11月30日
・ 々 報告者 北仲省三 死亡者との続柄:公設所の長
・受理者 愛知県 名古屋市 東区長 (本籍地への送付 平成12年12月4日)
・火葬執行 平成12年12月2日午後1時25分
・火葬の場所 名古屋市天白区天白町大字八事字裏山69番地 火葬場(名古屋市立八事霊園斎場管理事務所)
本年は、最も関わり深い者との永別があり、私の中から多くが失われたように感じる。歳をとるとは、喪失することである。年相応に(?)獲得したものを、手放してゆくことだ。音楽や文学や演劇など、楽しみを多く得てきたが、歳は、愛する者や想い出(記憶)などを多く、失わせる。近くの公園の紅葉を見、落葉した裸木を見るに付け、「人生に似ているな」と感じる。ただ、紅葉・裸木は美しいが、人生のそれは醜い。
あと何年、この喪失・醜さを耐えていかねばならないのだろう。人生は、気が遠くなるほど長くなった。長くなりすぎた。醜いだけだ。
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◇ 5羽の雀は2アサリオンで売られているではないか 栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった 「カトリック聖歌171」 2017.10.25
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拙著のこと、ありがとうございます。
世の中の高齢(者)ゆえの事象を見聞きするに付け、他人事ではなく、鬱々としてしまいます。「早く、そちらへ呼んでください」、これが私の朝夕の祈りです。
本日は朝8時半にセブンイレブンへ行き、『Hanada』新年号を受け取ってきました。谷口智彦さんが書いているので、楽しみでした。まぁ、この先何年かは、読み物や演劇、カトリックの聖歌・バッハ・モーツァルト・ベートーベン・ショパンを弾くことで凌げる(愉しめる)と思います。一日も早くあちらへ往けるに越したことはありません。
「おまえは 人生はもうそう長くないと思っているだろう。これからまだまだ長いぞ~」と言うのを見ました。
楽しいぞ、と言う意味では無くて。
私自身ハッと気付かされました。
ゆうこさんもお母様の年齢まで生きられるとすると、まだまだ長いですよね。
新しいことを初めてみませんか。
是非また本を書いてください。
フィクションでは無い勝田さんの手紙を読ませて頂いて、色々と感じるものが有りました。
死刑では無くても、乗っている飛行機が落ちそうな時とか 自分の命がもうすぐ終わると分かった時に 私は何を思うのだろうかと考えました。
失うものは多いですが、こうしてお心を戴けること、ほんとうに有り難いです。
我が家のくろのすけとほぼ同じ頃、あやか様も21歳5ヵ月の猫ちゃんを亡くされましたね。・・・残された虎猫ちゃん、元気を回復されたでしょうか。遺される方が、辛いですね。
宥子さまの、お母さまは、その清孝さんを養子になさってたんですね。
さまざまな御事情はあったと思いますが、。。。。。
清孝さんの、ご冥福を祈ります。