中日新聞 「特報」2008/08/06より(抜粋)
枯れたマングローブの“死の世界”で遊ぶ少年。ベトナム戦争中に米軍が散布した枯葉剤のダイオキシン禍を35年追い続けてきた報道写真家中村梧郎さん(67)=さいたま市南区=が撮影した代表作の一つだ。その少年、フン君は脳性麻痺を患い、先月29日亡くなった。今も散布地域で先天性の障害児が生まれ、2世代、3世代の猛毒惨禍は続いている。(関口克己、野呂法夫)
生まれつき話せない娘
小雨が降る静寂のマングローブの水路を小船で進む。ベトナム戦争が終わってちょうど1年の1976年5月。中村さんは73年から枯葉剤を取材するなか、「密林が丸ごと焼かれた」と聞き、激戦地の一つ、最南端のカマウ岬を訪れた。米軍は南ベトナム解放民族戦線の隠れ家として密林に枯葉剤を撒き、焼き払った。
間もなく鳥も鳴かない「死の世界」が現れた。生い茂った10㍍以上の緑の森は消え、立ち枯れした木々の不気味な光景が広がる。60年代末に枯葉剤が撒かれたという。「毒があるので入らないで」。案内の地元住民に制止されたが「大丈夫」と上陸した。すると裸足で遊ぶ子どもたちに出会った。立ち枯れの大きさが分かるようにと被写体に入れたのが、当時6歳のフン君だった。
中村さんは村長に手紙を送って居場所を確認していたが、再会したのは95年のこと。フン君は25歳になり、漁で生計をたてて結婚。子どももいたが、脳性麻痺が進行し始めていた。
枯葉剤に含まれる猛毒のダイオキシンが海に流出して汚染された魚介類を食べて育った世代だ。体の免疫力が低下し、熱病などの後遺症から病気になったという。
中村さんがフン君ら家族と76年の撮影現場に行くと、風景は一変していた。水路は日本向けのエビ養殖池に。ダイオキシン調査のため魚介類を愛媛大に持ち込むと残留度はゼロだった。「汚染されたヘドロは海へと押し流された。しかし、人体に蓄えられたのです」
フン君は4人の子どもに恵まれたが、2000年誕生の末娘は先天的に言葉が話せない。妻は失踪し、中村さんが05年に訪れると、フン君は寝たきりになっていた。
06年も現場に出かけ、撮影すると17歳の長男は昔のフン君と「うり二つ」に見えた。昨年8月に見舞ったときは膀胱結石の術後が悪く、先月「亡くなった」とのメールが届いた。38歳だった。(以下略)
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