http://sokonisonnzaisuru.blog23.fc2.com/blog-entry-575.html
<9月25日追記>
2点補足しておきます。
(1) まず、この被害者の意見陳述権は被害者の「権利」かどうかです。
刑訴法292条の2第1項は、裁判所は「被害者等」意見陳述の申出があるときは、公判期日においてその意見を陳述させるものと規定しています。「意見陳述の申出」は、被害者から裁判所に対して意見陳述させる旨の職権判断を促す行為にすぎません。それゆえ、被害者の訴訟法上の権利とまでいうことはできないと解されています。
(2) 意見陳述は無制限ではないということです。
裁判長は、意見陳述が「相当でないときは、これを制限することができる」(292条の2第5項)としています。この「その他相当でないとき」とは、基本的には裁判所の訴訟指揮に委ねられるため個別具体的事例によることになります。ただ例えば、被害者が多数である場合や、事案や被害者の性質上、意見陳述をさせるのが適当でない場合等が考えられるが、被告人と被害者の供述が大きく相反している事案で、罪体部分の立証が行われている場合は相当でないとされています(酒巻匡「犯罪被害者等による意見の陳述について」法曹時報52巻11号16頁参照)。
また、意見陳述の内容は犯罪事実の認定のための証拠とすることができない(292条の2第9項)ので、被害者の陳述が被告人の主張と対立する犯罪事実の存否や、それまでの証拠調べにおいて厳格な証明を経た事実関係とは異なる事実の存否にまで及ぶことになって、それが中心となってしまうような事態が生じれば、意見陳述手続をうち切り、訴訟関係人の請求又は裁判所の職権により、改めて犯罪事実に関して被害者の証人尋問を実施するということになります(酒巻・前掲論文26頁参照)。
この差し戻し控訴審では、弁護側は殺人罪ではなく傷害致死罪であるという主張なので、「被告人と被害者の供述が大きく相反している事案で、罪体部分の立証が行われている場合」に当たりうるので、意見陳述は「相当でない」として制限可能でした。また、本村氏の主張は、「法廷で真実を語っているとは到底思えない」と述べ、「被害者の陳述が被告人の主張と対立する犯罪事実の存否」に及んでいますので、分量によっては「相当でない」として制限可能でした。法律的に疑念が残る意見陳述であったように思います。
(http://www.law.keio.ac.jp/~yasutomi/keiso_semi/ronten/1.html参照)
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/
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春霞さんのブログコメント欄(春霞さんから)
>ゆうこさん:2007/09/27(木) 09:25:58
コメントありがとうございます。
>HPへ追記をupします。
ありがとうございます。
>小説とかドキュメントではないのに、感動してしまいました!
ありがとうございます。誤解が蔓延しそうだったので、すぐに追記してみました。
>被害者だからといって、言動が際限なく許されるわけではなく、正義は誰の占有物でもないでしょう。
追記した部分以外にも、本村氏の意見陳述については、法解釈論として他にも疑問点があるんですよね。実は、控訴審又は上告審において被害者の意見陳述ができるのか、という論点があるのです。
結論としては、控訴審については、刑事訴訟法が事後審制を採用していること、被害者等には第1審で意見陳述する機会を与えられていることから、控訴審での被害者の意見陳述は原則として認められないと解されています(松尾編『逐条解説 犯罪被害者保護二法』105頁)。
本村氏は、以前にも控訴審段階で意見陳述が認められ、差し戻し控訴審でも意見陳述が認められました。本村氏に対しては、原則認めないはずの控訴審で、2度も意見陳述を認めたのですから、かなりの特別扱いです。
この特別扱い振りは、一体どういうことなのだろうと、疑問に感じます。法適用の平等(憲法14条)からすると、おかしなことだな~と思うからです。
この結論からすると、元々、本村氏は意見陳述できなかったようにも思うので、「社会正義論」の是非の議論自体出てこなかったかもしれないのですけどね。
>慶應大学の先生のページ、いいですねぇ。勿論、読むのは大変なことですけど、ブックマークしましたので、これからは折に触れ・・・。
内容的に充実していますし、この先生自体非常に優秀ですので、安心していいと思います。内容自体は、演習問題ですし、レベル的にも高めですから、かなりしんどいかとは思います。
2007/09/28(金) 23:35:44 | URL | 春霞 #ExKs7N9I[ 編集]
本村さんのお気持ちは察するにあまりあります。
その一方、弁護側の主張ももっともだと思います。
両者の立場に立つということはできないものでしょうか。
世の中の騒ぎとか遺族への同情(というより遠慮)で率直な発言ができにくい中、春霞さんのように法的視点で冷静客観的に論説する「場」は必要だと私は思っています(そういう意味から、今枝さんのブログって、どうなんかなぁとも)。
本村さんは、そのテストケース(これまでもわずかに被害者・遺族側の意見陳述はなされていましたが)であるというのが個人的な意見です。
なかにはリンチで殺されるような残虐な事件もあります。
遺族側の無念さは、どれほどのものでしょう。
死刑廃止派の人たちは、犯罪者を「愛されることを知らない弱者、護るべき存在」としてとらえ、被害者や遺族に冷静さを求める。
同じような過去を持っていても、ドロップアウトしたもの勝ちということでしょうか。
真面目に生きているものが耐え忍ばなくては世の中にならないことを、切に祈ります。
この結論からすると、元々、本村氏は意見陳述できなかったようにも思う
特別扱い振り、これが今の刑事司法を物語っているように感じ、判決にも影響を及ぼすのではないかと、強い不安を覚えます。刑事弁護も然りです。私は死刑廃止派ではないですけど。