死刑制度は必要か 宗像紀夫 2016/12/04

2016-12-04 | 死刑/重刑/生命犯

 あぶくま抄・論説
日曜論壇 死刑制度は必要か(12月4日)
 今年の10月、日本弁護士連合会(日弁連)が開いた大会で、日本の死刑制度を廃止すべきとの宣言を採択した。これは私にとって大きな驚きだった。全国のもろもろの見解を有する弁護士がいる団体が国家の刑事司法制度の根幹の一つである「死刑」の罰則をなくすべきだと言うには、それなりの議論と会員の考え方を、時間をかけて聴取し結論を出すべきだからだ。さらに驚いたことには、この大会に作家の瀬戸内寂聴さんからビデオメッセージが寄せられたが、その内容は死刑廃止に賛意を表し、「殺したがる馬鹿どもと戦ってください」などというものだった。この発言は後に謝罪がなされたが、犯罪被害者団体からは、強い反発の声が上がった。
 そもそも死刑制度を存置すべきか廃止すべきかという問題は古くて新しい問題である。死刑が規定されている罪名は、殺人、強盗殺人、現住建造物放火等「人の死を伴う犯罪類型」が中心であるが、犯人を死刑にしてほしいと思う遺族等の感情は十分に理解できる。それでは、なぜ死刑は廃止すべきだという考え方が根強いのか。それは、死刑は国家による殺人だという見方の他に、死刑執行後に冤罪[えんざい]と判明した場合には取り返しがつかないという理由からだ。
 刑罰の本質は、犯罪を行ったことに対する「応報刑」と、犯罪者を更正させるための「教育刑」という考え方の二大潮流がある。私は、刑罰の本質は、ハムラビ法典の「目には目を」の応報思想を基本に、犯人の更正、教育の思想を加味したものだと考えている。そもそも、個人から報復する権利(あだ討ち)を取り上げ代わって国家がこれを実行してくれるというのが刑罰権の始まりなのだ。犯人に生ぬるい刑罰しか与えないようでは、個人的に報復する人が出てくるのを止められまい。
 私は、長年検察官として凶悪犯罪を捜査、訴追する側から見てきた。たとえば、12人もの人々の命を奪い、何千人もの人々に傷害を負わせ、日本国中を恐怖に陥れたオウム真理教幹部らによる地下鉄サリン事件等について、その遺族らの心情を思うとき軽々に死刑廃止などと口にできるものではない。
 確かに、人間が裁くものである以上、誤判による冤罪が絶対になくなるとは言えないかもしれない。しかし、日本の刑事司法制度は、冤罪防止のため三審制にし、再審制度も設け、自白の強要も禁じている。近時、重罪事件について取り調べの可視化も取り入れられることになった。凶悪重大犯罪に対して、死刑以外の刑罰の選択が考えられない場合には犯人に死刑を科すこともやむを得ないと考える。ちなみに、過去の世論調査を見ても、日本国民の約8割は死刑制度を容認していることを忘れてはならない。
 死刑判決を受けた人も、その処刑前には澄んだ心になる人も多いと聞く。しかし、この問題は情緒的に捉えてはならない。正義に資する制度はなにかを冷静に見極めることが必要なのだ。(宗像紀夫、内閣官房参与・弁護士、三春町出身)
( 2016/12/04 09:08 カテゴリー:日曜論壇  )

 ◎上記事は[福島民報]からの転載・引用です
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「法に定められた死刑の執行は当然だ」死刑執行で弁護士グループが初の声明 死刑に否定的な日弁連会長声明は「弁護士の総意ではない」2016/11/11
日弁連の「死刑廃止」宣言・・・全ての弁護士が加入を義務付けられた強制加入団体である日弁連が、このような特定の思想・立場を表明することが許されるのか? 
疑問だらけの日弁連「死刑制度廃止」表明と寂聴氏の「殺したがるバカども」発言 2016/10/15 ケント・ギルバート  


検察の取り調べ=普通の社会で生きてきた人にはとても耐えきれない、拷問と言っていい非人道的手法  
 (抜粋)
 【宗像氏から】
 リクルート事件は、私の36年間の検察官生活の中で最も記憶に残る記念碑的な事件でした。
 値上がり確実な未公開株の譲渡が単なる「経済行為」なのか「贈収賄」なのか、難しい法律問題がありましたし、江副さんをはじめ当時のリクルート関係者の抵抗も激しかった。真実の供述を求めて、取り調べでもギリギリの攻防が展開されました。だから江副さんからみて圧力を感じる調べもあったのかもしれません。真剣勝負でした。
 あれから20年。起訴した人は全員有罪になり、誤りのない事件処理だったと自負しています。いちいち反論するつもりはありませんが、一つだけ言うとすれば、保釈について説明したのは「司法取引」ではなく、否認のままだと証拠の隠滅の恐れがあるから「保釈は難しいですよ」と説明したのかもしれませんね。一般的に、犯行を認めていれば証拠隠滅の恐れがなくなるので保釈が認められる可能性は高まるのです。
 それから、検察官は昇進や出世のために人を起訴するわけではありません。検察官は、例外なしに強い正義感で日々の困難な事件に取り組んでいます。
 江副さんは若くして独創的な事業を興して、リクルート社を築き上げ成功した人だけあって信念の人という印象でした。当時も今も悪い感情は全くありません。なかなか折れにくい「生木のような」意志の強い人、「手ごわい敵」という感じでした。
 江副さんの言う通り、取り調べの全面可視化は避けられない流れだと思います。最近、冤罪があちこちで起きていますからね。取り調べは難しくなりますが、これは乗り越えなければならない試練だと思います。正式な司法取引制度の導入など、何か対抗手段を考えてもいいかもしれません。
 リクルート事件は、江副さんが「出るくい」だから打ったわけではありません。確かに当時、メディアに注目されていましたが、関係なく、あくまで川崎市助役の疑惑報道をきっかけに捜査した結果です。事件のスケールは違いますが、民主党の小沢一郎幹事長の政治団体をめぐる事件でも報道が過熱しました。ただ、あれは騒ぎ過ぎですね。
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2 コメント

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追加 (中森鬼乱)
2016-12-09 11:05:34
最近、私は図書館で、『無知の涙』という本を、ーーーぱらぱらっとですがーーー読みました。
著者は、永山則夫という人物で、昭和四十三年暮に、ピストルで数人の人を連続射殺して、
翌年春、逮捕され、その後、死刑判決をうけ、平成九年に死刑執行されています。
永山は、拘置所内で、多くの書物を読みながら、手記や小説、詩などを数多く執筆し、
前記の『無知の涙』は、その処女出版らしいです。
永山則夫は、極めて、凶悪な刑法犯罪者にすぎないのですが、獄中では、いっぱしの、
『政治犯』きどりだったようです。。。。
つまり、自分は最底辺の貧困階級であり、自分の行為はプロレタリアの立場からの行動であった、という趣旨の主張をくりかえしています。
たぶん、弁護人の中に、そういう思想を吹き込む連中がいたのでしょう。
ただ、永山自身も獄中で、それなりの勉強をしたことは確かです。
『無知の涙』を見ても、いちおう理路整然としており、語彙もゆたかです。むしろ、最近の
『左翼系ブログ』なんかよりも、名文?、かもしれません。
永山則夫は、処刑後、多くの支援グループがいたこともあり、かなり立派なお葬式をしてもらえたようです。遺骨は、獄中結婚した女性の手で、故郷の北海道の海に散布されたということです。
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感想 (中森鬼乱)
2016-12-09 10:33:55
私は、現状では、死刑制度は、やはり必要だと思います。
とくに、複数の人を残虐なやり方で殺害した者や、偏った思想によりテロ行為を行った者、
女性をレイプしたうえで殺害した者は、死刑にあたいします。
瀬戸内寂聴が、死刑賛成者にたいして「殺したがる馬鹿ども」とか、それこそ馬鹿なことをいったそうですが、殺したがる馬鹿な殺人者を処罰するのが死刑制度じゃないですか。
※瀬戸内寂聴は、もう尼さんは、やめたほうがいいんじゃないですか。

★ところで、それと関連しますが、我が国ではいまだに、犯罪者が逮捕された場合、その家族にまで、社会的制裁を加えようとする傾向がありますが、これは全くおかしな事という他ありません。
例えば、リンゼイさん殺害事件で、医師の息子であった容疑者が捕まったとき、父親は、医者をやめられたそうですが、全然、お辞めになる必要はありません!
もっと、むごいのは、平成時代初期におこった、幼女連続殺人犯の宮崎勤の場合です。
宮崎の犯行は、未曾有の猟奇的な凶悪犯罪であり、まさに万死にあたいします。
しかし、その家族に加えられた社会的制裁は、過酷なものでした。宮崎の実家には連日、抗議の電話や膨大な非難の手紙が殺到したらしいです。ーーこういう抗議をする事が正義であると履き違えてる、連中がいることが情けないです。
結果的に、宮崎勤の妹さんは婚約を破棄し、弟は職場を辞め、もう一人の妹は学校を退学したそうです。ーーーいったい、こんな理不尽なことがありますか?
さらに、叔父さんも、会社役員を辞任を余儀なくされています。(そもそも、叔父は甥にたいする監督責任などないでしょう)
宮崎勤のお父さんは、家と土地、その他の財産をすべて処分して、被害者に賠償したのち、
自死されています。ーーー賠償責任をはたされたら、もうそれ以上の責任は無いはずです。
宮崎勤は、平成二十年に、死刑執行されましたが、お母さんは、宮崎勤の遺体の引き取りを
拒否なさったそうです。これにも、私は理解できません。たとえ、凶悪犯罪者であっても、
ご自分の息子さんじゃないですか。ささやかな、供養をして、お骨ひろいは、お母さんの
手でなさるべきだったんじゃないですか?

☆ーともかく、この宮崎勤事件は、さまざまな意味で不条理な事件でした。。。。
☆それから、最後に言っときます。死刑囚は、処刑されたら、もはや『死刑囚』ではありません。『法務死亡者』です。
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