二度と麻原公判のような裁判はさせない、という国家の意思 麻原彰晃裁判のデタラメぶり 安田好弘弁護士

2006-09-16 | オウム真理教事件

二度と麻原公判のような裁判はさせない、という国家の意思 安田弁護士
 中日新聞 2006/9/16
  オウム真理教元代表の麻原彰晃被告(51)=本名・松本智津夫=の裁判は、初公判から最高裁の結論が出るまでに十年余りの歳月を要した。この間、二〇〇九年に始まる裁判員制度を視野に入れた刑事裁判の改革が相次いで打ち出された。麻原公判を「反面教師」とした裁判の迅速化が狙いだが、刑事弁護の専門家からは「被告人の利益が不当に損なわれる恐れがある」との声も上がっている。 中日新聞(社会部・鬼木洋一)
 政府の司法制度改革審議会は二〇〇一年六月、裁判員制度や法科大学院(ロースクール)の創設などを盛り込んだ最終意見書を提出した。戦後最大級となる司法改革への提言と並び、刑事裁判の現状に対する厳しい認識が記されていた。
 「国民が注目する特異重大な刑事裁判の遅延は、国民の刑事司法全体に対する信頼を傷つける一因ともなっている」「国民参加の(裁判員)制度を新たに導入することとの関係で、その(迅速化の)要請はいっそう顕著なものとなる」。こうした文言が、裁判の迅速化の流れを決定付けた。
 名指しはしていないが、麻原裁判を念頭に入れたのは間違いない。実際、一九九六年四月に始まった麻原公判は、異例ずくめの展開をたどった。
 「全世界がこの事件に注目している。判決は五年以内に出したい」
 東京地裁の阿部文洋裁判長は国選弁護団にこう告げ、事件ごとの並行審理を提案したが、弁護団側は拒否。月四回の開廷ペースに反発し、審理をボイコットする騒ぎもあった。
 証人尋問に検察側の五倍の約千時間をかけ、一審だけで七年十カ月を費やした。こうした戦術には「引き延ばし作戦」との批判も浴びたが、それも現在では事実上、実行不可能になった。
 司法制度改革審の意見書に応えるように、〇三年七月には、一審判決を二年以内とする目標を明記した裁判迅速化法が成立した。そして、裁判実務への影響がより大きいのが、翌年五月、裁判員法とともに成立した改正刑事訴訟法だった。
 その柱は、検察側と弁護側が初公判前に争点を絞った上で、公判開始後はほぼ連日法廷を開いて審理期間の大幅短縮を図る「公判前整理手続き」の創設だ。この手続きを経た公判では、事前に決めた争点でしか争えない。全国の地裁で昨年から活用され、東京地裁で開かれているライブドア前社長堀江貴文被告(33)の裁判もその代表例だ。
 「二度と麻原公判のような裁判はさせない、という国家の意思の表れだ」。麻原被告の国選弁護団の主任だった安田好弘弁護士は急速な裁判迅速化の流れに反発する。
 安田弁護士は今年三月、最高裁が期日指定した山口県光市の母子殺人事件の弁論を欠席。「準備期間が足りない」などと主張したが、最高裁から次回弁論に出頭し、途中退廷を禁じる「出頭在廷命令」を受けた。これも、〇四年成立の改正刑訴法で定められた審理遅延防止策の一つだ。
 「審理に時間がかかるのは真実を発見しようとする努力の結果。それを否定するのは刑事弁護をするな、と言うのに等しい」と安田弁護士は憤る。
 刑事裁判に対する国民の要請の中に「真相の解明」(刑事訴訟法第一条)があるが、迅速化を求めるあまり、真相解明がなおざりになる恐れも指摘されている。
 「裁判員が加わった裁判の判決文は、今よりもずっと簡素なものになる。事件の背景などについて抜け落ちる部分もあるだろう」。ベテラン裁判官は、米議会が二〇〇一年の米中枢同時テロについて詳細な報告書を提出した例を挙げながら、こう強調する。
 「法廷での真相解明には限界がある。司法以外の解明の場をつくるべきだ。それには捜査資料の開示制度など大胆な改革が必要になるのだが…」
<解説>
 未曾有のテロ事件の首謀者とされた麻原彰晃被告の控訴審は、一審に八年もの時間を費やしたのとは対照的に、実質審理に入らないまま死刑が確定し、刑事司法の役割を十分に果たせずに終結した。
 最高裁第三小法廷は、「控訴した側が争点を明示する」という控訴審の大原則にのっとり、控訴趣意書提出を軽視した弁護団に対して「趣意書提出の遅延を正当化する理由はない」と結論づけた。
 第三小法廷は約三カ月かけ、一審からの記録を精査。重大事件とあって通常あまり例がない最高裁独自の判断を「職権」で示したが、「責任は麻原被告にもある」と踏み込んで指摘した以外、中身は高裁決定と同じだった。
 刑事訴訟法は、事件の真相解明と刑罰の適正で迅速な適用を、法律の目的として明記している。しかし、初公判から十年が過ぎ、麻原被告から真実を引き出す機会は失われた。
 「被告に訴訟能力はない。治療すべきだ」として公判の停止にこだわるあまり、被告の裁判を受ける権利が奪われる致命的な結果を招いた弁護団の責任は重大である。一方で、弁護団の精神鑑定への立ち会いや鑑定医への尋問を認めず、対立を深めた高裁の訴訟指揮も、柔軟さを欠いた。
 真相解明に向けた手段は尽くされたのか。犯罪史上に残る重大事件の控訴審に手続き論で幕が引かれた事実は、やはり異常と言わざるを得ない。弁護団はもちろん、裁判所も重く受け止めるべきだ。(北島忠輔)
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安田好弘弁護士が語る「麻原彰晃(松本智津夫)裁判のデタラメぶり」
 後世に残したいラジオの話 2012年11月29日 03:16
 2012年11月22日にTBSラジオで放送された「ニュース探究ラジオ Dig」にオウム真理教・地下鉄サリン事件や和歌山カレー事件、光市母子殺害事件などの被告人弁護士を務め、一部で『悪魔の弁護士』などと呼ばれている安田好弘弁護士がゲスト出演していた。この日のテーマは「日本の司法制度と死刑」で、安田弁護士が過去の重大事件の話を交えて日本の司法について語っていた。 
 この投稿はオウム真理教の一連の事件について部分の書き起こし。証拠提出前に裁判長に『2年で片付ける』と言われた話など、かなり危ない話が満載でした。
■会話をしている人
 安田好弘(弁護士)
 青木理(ジャーナリスト)
 江藤愛(TBSアナウンサー)
 
 まず麻原彰晃(松本智津夫)の主任弁護人を務めた経緯などについて話していた。
青木 光市母子殺害事件の少年ってのはね、例えば今うかがっていると、まぁひとつには物凄く幼いってのものあるし、そのー、何ていうのかな、『事実が違うじゃないか!という思いもあった』というんですけれど、
安田 うん
青木 この、松本智津夫死刑囚の事件については、その、どんな風に思ってらっしゃるんですかね。その、事実が違うのか、それとも、何ていうのかな、他の思いがあってそのように取り組まれたんですか
安田 あの、これは国選弁護人ですから、あの、自分が選んだわけではなくってですね、まぁ、あの、正確に言うとやる人が居なくって
青木 フフ(笑)。それもだってアレでしょ、国選弁護人って言ったってアレでしょ、日弁連というか弁護士会でやる人がいなくていなくて最後に安田さんに『お願いします!』ってきた国選弁護人でしょ?
安田 ええまぁ確かにそうですけどね。まぁ細かい経緯を言うと色々とあるんですけどね。
青木 うん
安田 ただ、あの事件で、やはり何でこんな事件が起こったのかというところを解明したかったですね。
江藤 うん
青木 うん
安田 で一般で考えると、あの夏の東京のど真ん中でね、サリンを地下鉄に撒くという動機も理解できないし
江藤 はい
安田 『そもそもそんな事がどうして可能になるのか?』と。この日本の社会の中でね。
青木 うん
安田 それも、やっぱ理解できなかったんです。
江藤 うん
安田 それを、そういうことを宗教団体がやると、いうことも当然理解できないわけでしてそういう事実を丁寧に解きほぐしていく必要があったのかなぁと思ったんです。
青木 うん
安田 それでやっぱりそれをやりたかったんですけども、結局できないままで
青木 まぁそうですね、捕まっちゃってね。
安田 私が100回公判を終ったあとで、逮捕されてしまいましたから。(注:松本智津夫被告の第100回公判の後に主任弁護人である安田好弘弁護士は警視庁に強制執行妨害容疑で逮捕される。青木理さんもこれを冤罪であったという見解を述べている。)
江藤 うん

 次に、『オウムの事件は本当に麻原の指示だったのか?』という話をしていた。
青木 あのー、一般的にはね、江藤さんどう思っているか聞きたいんですけど、その、全て麻原彰晃教祖が指示をして、地下鉄サリン事件も松本サリン事件も、あるいは坂本弁護士事件も、えー、全部麻原彰晃教祖指示のもと信者たちがやったんだと、いう事になっているわけですよね。でまぁそれで一応確定もしているわけですね
安田 ええ
青木 日本の刑事司法上は。でもこれは安田さんはずっと違うと仰っていますね
安田 そう、ですね。あの、事件は確か16あったんですけども、その16個あった事件すべて彼が直接手を出していないんです。ぜんぶ共同・共謀正犯といいましてね、
青木 うん
安田 指示命令したと。ですから現場に行って実際に手を出したっていう事件はないもんですから、結局共犯者とされる人たちが『これは教祖に指示されたんですよ』と、そういう供述だけで成り立っている事件なんですね。
江藤 うん
安田 しかもその共犯者の人たちが何故やったかという理由の中では、これはもう、『教祖にマインドコントロールされていたんだ』と。『だから教祖に言われるままにやりましたよ』と。いう話になってしまっている訳です。でこれ客観的事実でも何でもないんですね。・・・結局、人の言葉ですから。
青木 うん
安田 検証しようがないわけです。そうすると当然、指示したとされる彼からも聞かなきゃならないし、指示されたというその実際の実行行為者、まぁ実行行為をした人ですね、その人からも話を聞かなきゃならないんですけど、あるいは法廷は全部バラバラに分断されていましてね、同じ事件をやったのに被告人ごとにこう事件が、あの、法廷が違うわけです。それで、例えば彼の法廷に共犯者といわれる人が、つまり実際に地下鉄にサリンを撒いた人が呼ばれて来るんですけども、ほとんど話してくれないんですね。
江藤 うん
安田 と同時に、仮に話してもらったとしてもいわゆる自己防衛的といいますかね
青木 うん
安田 まぁこれはやむを得ないことだと思うんですけども。まぁ『マインドコントロールの中にいて分からなかった』という話になってくるわけですから、ほとんど事実が明らかになっていないんです。
青木 マインドコントロール。僕ね、ずっとね、この事件ね取材していて思ったんですけれど、マインドコントロールって一体何なのかと。
江藤 うん
青木 もちろん頭ではわかっているんですよ?何となくわかった気にはなっているんだけど、よくわからない。で、マインドコントロールされたから、そのー、まぁ一流の大学を出たからいいって訳じゃないんだけど、まぁ一応みんなインテリな人たちですよねぇ。大学、それも一流大学の医学部とかね、出た人たちが、そのー、『マインドコントロールをされてやっちゃったんだ』と。わかりやすいようで全然わからないんですよね(笑)。
江藤 うーん
安田 自分の体験、あるいは自分の生活感から事件って見ていく必要がありましてね。
青木 うん
安田 マインドコントロールという言葉の中で事件をみる、ってのは見誤ってしまうだろうと思いますねぇ。
青木 うん
安田 私どもが日常生活の中で、いかに、その人間関係が濃くってもですよ、そんなマインドコントロールなんかされてサリンなんか撒いてしまうんだろうか?、と。
江藤 うーん
安田 それはやっぱり、私たちの中で有り得ない話でしてね、やっぱりどっか、それはそれなりの意味があって、それなりの道筋がありね、それなりの、おー、出来事が起こってそういうことになってきたんだろうと思うんですけど
青木 うん
安田 それがマインドコントロールという言葉でぜんぶ捨象されてしまったと。
青木 あのー、一番まぁ大きな事件っていうのは地下鉄サリン事件ですね。1995年3月ですね。僕もその時取材していたんですけども、あれはー、そのー、どうなんですか?この事件に絞って聞いてみたいんですけど。そのー、麻原教祖がね、その指示をしたっていうのは、ひとつ、まぁ主にひとつしかない訳ですね、その証拠っていうのは、その、井上嘉浩死刑囚が、えー、車の中でね、えー、麻原彰晃教祖に、まぁ指示をされたんだと。これしかない。
安田 そうですね。
青木 どうなんですか?なぜあの事件をね、麻原教祖が指示をしたからやったんですか?それとも、何か別の、何て言うのかな、動機というかね、その暴走に至る背景というのがあったという風にお考えですか?
安田 それは背景には、あの、あと2、3日中にね、上九(注:上九一色村)といって当時オウムの本部があったところに警察が捜索に入ると
青木 うん
江藤 うん
安田 それを阻止しなきゃならない、という背景があったのは確かだろうと思いますねぇ。ですから都心にサリンを撒けば、そういう混乱の中で警察が入ってこないと、いう風な状況があったのは確かですね。
青木 うん
安田 しかしそんな事で阻止できるはずがありませんからね。
青木 うん
安田 ですからそんな、計画的に本当にやったんだろうか?と、いう風に思うんです。
青木 うん
安田 それからもう1つは、あのー、当然集団的な行動ですから、集団心理が働くかもしれませんけど、あの中にキーパーソンがいるんですね。
青木 うん
安田 つまり村井さん(注:村井秀夫/オウム真理教幹部だったが南青山にあった教団東京総本部前で暴力団員の男に殺害された)という人が、この人がキーパーソンで、この人が亡くなっているものですから全く話が聞けないんですね。
青木 うん
安田 しかしオウムのこう、十何件の事件をみてくると、確かに結果は大きくて、そして被害者の数も大変多いですしね、それからその、やろうとしたことも大きな事なんですけど、しかしやっぱり場当たり的というかね
青木 うん
安田 あの、組織で何かをやるというようなものではなかったのではないかと僕は思いますねぇ。
青木 うーん

 続いて『警察が地下鉄サリン事件を阻止できなかったのは不可解』という話をしていた。
安田 でちょっと今話が出なかったんですけど、僕はもうひとつあの事件で興味があったのはですね、どうして警察はアレを阻止できなかったのかと。
青木 うん
江藤 おお
安田 そんなに緻密な計画でもないんですね。
江藤 へぇー
安田 というのは、あの、実行した人たちっていうのは実行の前日ですけども、2回も往復している訳です。高速道路も使っているわけでして。しかもサリンを持ち出した場所っていうのは道路のマン前なんですよ。
江藤 うーん
安田 つまり建物の中から出てきたんじゃなくって、道路に接している建物、そこから出てきている訳ですから、もう傍から見ればすぐ分るわけですね。で、そういうものがどうして阻止できなかったのかと。
青木 うーん
安田 そこら辺りもやっぱし、あの事件では解明されなければならない、もうひとつのテーマだっただろうなと思うんですけどね。
青木 不思議なんですよだからアレは。あの年は、95年はね。
江藤 はい
青木 まぁ、前の年の年末くらいから、そのー、オウムがね、どうも、山梨県のさっき安田さんが仰っていた上九一色村っていうところに、サリンの残留物質があったと警察が知ってですね、それを元日の読売新聞が特ダネでスクープするんですね。で、その後阪神大震災が起きるんですね、なので大混乱になっちゃうんだけども・・
江藤 うん
青木 その頃から警察はオウムを徹底的に追跡していたはずなんですよね
安田 完全にマークしていましたね。証拠関係を見ましてもね、あの、あの教団が買った薬品とかですね、あるいは色んな装置っていうのを徹底して調べているんですね。
江藤 へぇー
安田 ですから、何がどこに行ったかというのは、あるいは、どういう形でどこに貯蔵されているかって全部知っていたはずなんですね。証拠上出てくるんです。で、更にサリンってのは地上に存在しない物質ですから、存在しない物質が例の第七サティアンの側溝から見つかるんですよ。そこで作っている以外ない訳なんですね。それが割合早い時期に、その、発見されているんです。
青木 うん
安田 だから今のDNAみたいな形でですね、お墨付きは強く認定できるんです。でもそれはずっと置いていたわけですね。
江藤 うん
安田 で、先ほど出ましたね、読売新聞が一月一日の元旦の朝刊でしたね
青木 朝刊でしたね
安田 一面トップで出るわけです。
江藤 へぇ
安田 オウムの人たちはどうしたかというと、それで、そういうものは全部廃棄するんです。
江藤 はい
安田 材料から始まってですね、作ろうとしたプラントなんかも作れないようにしてしまうんです。ですからあそこには原料は無かったはずなんです。
青木 うん
江藤 うん
安田 ところが3月の、サリンが作れちゃったわけですからね。
青木 うん
安田 それもまた変な話なんですね。

 次に、『裁判所は植物状態の麻原に治療を認めなかった』という話をしていた。
青木 あのー、警察の問題もあるし、それからー、これ江藤さんね、麻原彰晃といったらね、まぁだからオウム真理教といったらね、戦後最大級の事件ですよね
江藤 はいはい
青木 まぁ結果としてですよ?
安田 はい
青木 もっと早く捜査できていたんじゃないかという疑問もね、安田さんが仰る通りあるし、僕も思い続けている事なんですけど、裁判の話、オウム裁判に目を移すと、これ、一審しか事実上やっていないんですよね。その松本智津夫被告ってのは一審で死刑判決が出たんですね
江藤 はい
青木 で、二審、だから高裁ってのはほとんど審議を開いていないんですよね
安田 全くやっていないですね
江藤 うーん
安田 彼はあの、一審の途中で精神的におかしくなりましてね、まぁ一種の植物人間的な反応しか出来ないような状態になったんですね。
青木 うーん
安田 で、まぁそれがどんどんどんどん重くなっていく。で、一審の死刑判決が終わった頃にはもう自分がどういう存在なのかもわからないと。そうするとそういうような状況で裁判は開けないんじゃないかと。
青木 うん
安田 で、精神科医の先生に診ていただくとですね、あの、5人の先生に診ていただいたんです。で5人ともですね、治療できると。
青木 うん
安田 心因性拘禁反応って言いまして、中にこう拘禁されまして、こう、精神的な刺激を受けて今のような状態になっていると。で、『そういうものは簡単に治療できるんだ』と仰ってらっしゃったわけです。
江藤 うん
安田 しかし今の状態は物事を理解することも出来ないし、あるいは自分が一体どういう所に居るかさえも理解できない状態だから、これは裁判続行など出来やしないと。いう事だんたんです。
江藤 うん
安田 ですから二審の弁護人の人たちは『今裁判を始めるんではなくって、彼を治療してから裁判を始めましょうよ』と。とやった訳ですけども、それが認められなかったんですね。
江藤 うーん
安田 それで、二審の場合ですと、控訴趣意書ってのを出さなければならないんです。これは一審の判決がどういうところがおかしいというのを書く書面なんですね。
青木 うん
安田 その書面を出す日が決まってましてね、それを過ぎてしまった場合、控訴自体が無効になってしまうんです。
青木 うん
安田 まぁそういう規定の中にあってですね、で、本人から一度も話を聞けない。一度も会えないような状態の中で控訴趣意書さえ書けない。で裁判所の方は『待ってあげましょう』と言っていたんですけど、途中から言葉を翻してですね『待つことはできない』と、いうことで控訴無効と。
青木 うん
安田 控訴棄却っていうんですけどね。棄却されてしまって確定してしまったと。
青木 あのー、麻原教祖が全て指示したのか、指示していないのか、わからない。それからもっと言えば戦後最大級の事件なわけですよねぇ。死刑の是非とかね、松本智津夫囚を死刑にするべきかするべきじゃないのかっていう議論も含めてなんですけど、でも本当はどうだったのか?っていう作業を事実上放棄しちゃって、で・・
江藤 な、なんで治療って認められなかったんですかね。
青木 うん
安田 あの、拘置所の方も裁判所も『彼はおかしくなっていない』と。いう風な事実を作り上げてしまったんですね。
青木 うん
江藤 うーん
安田 ですからそれを撤回するわけにはいかないものですから、結局それを強行してしまった。
江藤 うーん
安田 それからもう一つは、やはり当時はですね、『早く裁判をしろ』と。『早く決着をつけろ』と。あるいはもっとヒドイ声っていうかな、強い声っていった方がいいでしょうね、ヒドイじゃなくて。『もう早く潰してしまえ』と。
江藤 えぇ
安田 いう声が多かったものですから、裁判所もゆっくりしておれなかったと。いうのがありますね。
江藤 えぇ

 更に『結果ありきの政治裁判』という話をしていた。
青木 つまり、さっきの話じゃないですけど、『事実はハッキリ言えばどうでもいいんだ』と。こんな極悪人だし、教祖であるのは間違いないのだし、ましてやイッパイ悪いことしている訳だから、そんな余計なことをしている前にとにかく・・
江藤 早く結論を!みたいなことですか?
青木 っていうことなんでしょうねぇ
安田 そうですね。まぁそれは裁判が始まる時からそういう傾向はありましてね、で、僕が一審の弁護人になってですね、裁判所と打ち合わせをした時も『これは2年以内に片付けますよ』と。んなことをですね(笑)、その裁判長が言うわけですよ。
江藤 えー
安田 そんなこと有り得ないことでしてね、それは時間がかかることも有りますし、早く済んでしまうことも有るわけですけども、しかし記録さえも来ていない訳ですよ。
江藤 ええ
安田 まぁ日本の裁判は起訴状一本主義って言いましてねぇ。あの裁判所には、起訴された段階、つまりスタートの時点では起訴状にこの人は何をやったかというのが書いてあるだけでですね、証拠は一切書いていないんです。
青木 うん
安田 そーいう状況の中で『2年で片付けましょうよ』っていう話が出てくるもんですから
青木 裁判長が言ったんです?
安田 うん。・・・逆に言えば、国家をあげて早く決着を付けちゃおうと、いう思いがあったんでしょうね。
江藤 うーん
青木 まぁ松本智津夫囚をどういう風に見るかっていうのは別としても、まぁ一種の政治裁判だったということですか
安田 うん。あの、やっぱり司法がずっと今まで戦後続けてきた『事実が大切だ』と。『被告人の権利を守らんといかん』と。そして『裁判は公正に行わられなければならない』ということを一生懸命積み重ねてきたわけですね。
青木 うん
安田 それがこの裁判では一気に吹っ飛んでしまったという感じですね。
 と話していた。

 ◎上記事の著作権は[後世に残したいラジオの話]に帰属します
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