6 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 ほんとにお疲れさま (風) 2007-07-27 17:17:59 宥子さん。お疲れさま。よくこれだけ頑張られたと思います。 ゆうこさんがホームページで取り上げられていた太田氏のコラムを引用してみます。マスコミの露呈した問題を実に端的に摘出していますね。 ゆうこさん、少し休んでください。 この事件の被害者遺族は、積極的にメディアに登場している。犯行の残虐さを語り、被告の反省のなさに怒り、たとえ犯行時に少年であったとしても死刑が適用されるべきケースであることを主張している。 彼が語る「事実」に接すれば、多くの人びとが涙し、被害者に同情し、加害者の行為のむごたらしさに言葉を失うことになることは、見えやすい道理だ。 例外的な報道が皆無なわけではない。魚住昭の「追跡ルポ――死刑判決をめぐる司法の闇と本村洋さんの無念」(「FRIDAY」5月5日号)と田原拓治「異端の肖像6――弁護士 安田好弘」(東京新聞5月8日)は、本来ならば、すべてのメディアが調査し取材して報道しなければならなかった弁護人側の考え方を簡潔にまとめている。 前者によれば、受任してわずかな期間の間に数千頁の事件記録をデジタルカメラに収録しプリントした弁護人は、被告が自ら犯した罪と真正面から向かい合うことができるようにそれを精読させている。 すると、被告は自白調書と食い違う「事実」を語り始めた。それに基づいて遺体写真や鑑定書を分析した結果、一、二審は事実をないがしろにした地点で成立していたことがわかると弁護人は主張している。 「事実と向かい合うことなくして贖罪も悔悟もあり得ないということ」を被告は理解しだした、という弁護人の言葉には説得力がある。メディアに登場する誰もが、弁護人の態度について「被害者感情を無視している」という物言いを気安く使った。 だが、弁護人が選択した「公判欠席」や「殺意の否認」弁論の背後に、どんな「事実」があるのかを調べることもなく、それを言うのは、ただの怠惰である。http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/column10-oota.htm 返信する Unknown (ゆめ) 2007-07-27 17:37:37 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3029221.html で、HPを知りました。すごい、って先ず感じました。知りたいことに、ほとんど答えてくれました。特に不可解だったのが「傷害致死」の主張でした。すごいHPです。管理人さんが、一人で運営しているのですか。 返信する Unknown (rice_shower) 2007-07-28 13:18:58 風の音は聞こえていますか?疲れたら休むことです。 思いっきり脱力してみることです。 先般は敢えてコメントしなかったのですが(http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/cmt/cc7c63fd176ed4237743dad84ce4bfa4)、貴女の御本を読みながら「大変だ、これは.....」と感じていました。 死刑囚の言葉には恐らく、本人が意識せずとも、その一言一言に、当人の全時間、全心情、全存在が凝縮されているのだと思います。 打算(利害関係)を有さぬ一人の女性が受け止めるには、そもそも重厚で、深甚に過ぎる。 ご家族の支えが無ければ、この方はきっと潰れていたに違いない、そう感じながら読んでいました、失礼ながらも。疲れたら休みましょうよ、お互いに、それから皆さんも。 返信する Unknown (hiroko) 2007-07-29 15:42:33 初めまして。ずいぶん前からこちらのサイトとHPを読ませていただいておりました。ゆうこさんのおかげで、少しづつネットを介してテレビの報道番組では取り上げられない弁護側の主張が一般に届きつつあるのはないでしょうか。私も、直感で弁護団には悪意よりも、正義感ともいえる強い信念を感じ取っていたのですが、こちらのサイトのおかげでそれは確信にかわりました。ありがとうございました。きれいな白樺林ですね。 返信する 風さま。ゆめ様。rice_shower様。hiroko様。 (ゆうこ) 2007-07-29 17:15:50 コメント、心より感謝します。リフレッシュしました。 今朝はいつものように(何十年来)ミサに行きオルガンを弾いて帰りました。1週間前は光市事件の公判を控えて心配な気分でしたが、今日はとても嬉しくなっている自分を感じました。鑑定書・供述調書が証拠採用された、このことが私のような第3者にとってこんなにも嬉しいものなのか、とちょっと驚いています。ミサ中、神様にお礼を申しましたら、思わず涙がこぼれました。 ところで、被告人の発言について、弁護団の入れ知恵・弁護団の作ったシナリオと考える人が多いそうですが、「被告は弁護団のストーリーを述べているのではなく、弁護団でも統制不可能なほど自分でいろいろしゃべっているように感じました。」と「司法記者」さんが言っているのが率直な感想ではないでしょうか。やっと聴いてくれる人を得て、被告人は奔流のように喋りだした(心を開いた)のだと思います。人(被疑者)というのは、こういうときがあるものだと思います。自白を強要して痛い目を見せても口を割らななかったものが、自分を理解し全的に受け止めてくれている相手に出会った途端、ぺらぺら喋ります。むしろ、自分に不利なことを自供する。不利なことこそ、言いたかったことであるかもしれません。(自白と自供は、違います) 本件被告人も、1年前新弁護団が付いてから、それに似た状況になっているのではないか、と思いましたら、俄かに近くに感じました。 真実が明らかにされること、これは被害者遺族にとっても、大切なことだと思います。 返信する すみません。 (ゆうこ) 2007-07-29 17:52:42 風様。 上のコメントで、なぜか風様のみ、敬称が「さま」と平仮名で、すみません。お許しください。ゆめ様。 私一人で運営しています。当初は、息子がやってくれていました。私はワードで書くだけでした。数年前、自立を促されました♪ 分からないところが出てきますと、息子に尋ねています。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
ゆうこさんがホームページで取り上げられていた太田氏のコラムを引用してみます。マスコミの露呈した問題を実に端的に摘出していますね。
ゆうこさん、少し休んでください。
この事件の被害者遺族は、積極的にメディアに登場している。犯行の残虐さを語り、被告の反省のなさに怒り、たとえ犯行時に少年であったとしても死刑が適用されるべきケースであることを主張している。
彼が語る「事実」に接すれば、多くの人びとが涙し、被害者に同情し、加害者の行為のむごたらしさに言葉を失うことになることは、見えやすい道理だ。
例外的な報道が皆無なわけではない。魚住昭の「追跡ルポ――死刑判決をめぐる司法の闇と本村洋さんの無念」(「FRIDAY」5月5日号)と田原拓治「異端の肖像6――弁護士 安田好弘」(東京新聞5月8日)は、本来ならば、すべてのメディアが調査し取材して報道しなければならなかった弁護人側の考え方を簡潔にまとめている。
前者によれば、受任してわずかな期間の間に数千頁の事件記録をデジタルカメラに収録しプリントした弁護人は、被告が自ら犯した罪と真正面から向かい合うことができるようにそれを精読させている。
すると、被告は自白調書と食い違う「事実」を語り始めた。それに基づいて遺体写真や鑑定書を分析した結果、一、二審は事実をないがしろにした地点で成立していたことがわかると弁護人は主張している。
「事実と向かい合うことなくして贖罪も悔悟もあり得ないということ」を被告は理解しだした、という弁護人の言葉には説得力がある。メディアに登場する誰もが、弁護人の態度について「被害者感情を無視している」という物言いを気安く使った。
だが、弁護人が選択した「公判欠席」や「殺意の否認」弁論の背後に、どんな「事実」があるのかを調べることもなく、それを言うのは、ただの怠惰である。
http://www.k4.dion.ne.jp/~yuko-k/kiyotaka/column10-oota.htm
で、HPを知りました。すごい、って先ず感じました。知りたいことに、ほとんど答えてくれました。特に不可解だったのが「傷害致死」の主張でした。すごいHPです。管理人さんが、一人で運営しているのですか。
疲れたら休むことです。 思いっきり脱力してみることです。
先般は敢えてコメントしなかったのですが(http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/cmt/cc7c63fd176ed4237743dad84ce4bfa4)、貴女の御本を読みながら「大変だ、これは.....」と感じていました。 死刑囚の言葉には恐らく、本人が意識せずとも、その一言一言に、当人の全時間、全心情、全存在が
凝縮されているのだと思います。 打算(利害関係)を有さぬ一人の女性が受け止めるには、そもそも重厚で、深甚に過ぎる。 ご家族の支えが無ければ、この方はきっと潰れていたに違いない、そう感じながら読んでいました、失礼ながらも。
疲れたら休みましょうよ、お互いに、それから皆さんも。
ゆうこさんのおかげで、少しづつネットを介してテレビの報道番組では取り上げられない弁護側の主張が一般に届きつつあるのはないでしょうか。
私も、直感で弁護団には悪意よりも、正義感ともいえる強い信念を感じ取っていたのですが、こちらのサイトのおかげでそれは確信にかわりました。
ありがとうございました。
きれいな白樺林ですね。
今朝はいつものように(何十年来)ミサに行きオルガンを弾いて帰りました。1週間前は光市事件の公判を控えて心配な気分でしたが、今日はとても嬉しくなっている自分を感じました。鑑定書・供述調書が証拠採用された、このことが私のような第3者にとってこんなにも嬉しいものなのか、とちょっと驚いています。ミサ中、神様にお礼を申しましたら、思わず涙がこぼれました。
ところで、被告人の発言について、弁護団の入れ知恵・弁護団の作ったシナリオと考える人が多いそうですが、「被告は弁護団のストーリーを述べているのではなく、弁護団でも統制不可能なほど自分でいろいろしゃべっているように感じました。」と「司法記者」さんが言っているのが率直な感想ではないでしょうか。やっと聴いてくれる人を得て、被告人は奔流のように喋りだした(心を開いた)のだと思います。人(被疑者)というのは、こういうときがあるものだと思います。自白を強要して痛い目を見せても口を割らななかったものが、自分を理解し全的に受け止めてくれている相手に出会った途端、ぺらぺら喋ります。むしろ、自分に不利なことを自供する。不利なことこそ、言いたかったことであるかもしれません。(自白と自供は、違います) 本件被告人も、1年前新弁護団が付いてから、それに似た状況になっているのではないか、と思いましたら、俄かに近くに感じました。
真実が明らかにされること、これは被害者遺族にとっても、大切なことだと思います。
上のコメントで、なぜか風様のみ、敬称が「さま」と平仮名で、すみません。お許しください。
ゆめ様。
私一人で運営しています。当初は、息子がやってくれていました。私はワードで書くだけでした。数年前、自立を促されました♪ 分からないところが出てきますと、息子に尋ねています。