光市事件弁護人更新意見陳述 |
第2 1審・旧控訴審・上告審判決の事実誤認と事案の真相 1 1審及び旧控訴審・上告審判決の事実誤認 (1)本件犯行に至る経緯(自宅を出てから被害者に抱きつくまで) (2)被告人が被害者に抱きつき死亡を確認するまで (3)被害者死亡確認後から被害児を死亡させるに至るまでの経緯 (4)被害児を死亡させた後の行動(被害児を死亡させた後、被害者を姦淫して被害者宅を出る まで) (5)何故、彼らは誤りを犯したのか 2 事案の真相 |
〔第2-1-(4)〕 |
(4)被害児を死亡させた後の行動(被害児を死亡させた後、被害者を姦淫して被害者宅を 出るまで) |
ア 検察官の主張及び1審・旧控訴審・上告審によって認定された事実 検察官の主張及び1審・旧控訴審・上告審は、被告人が被害者を死亡させ姦淫した後に、被害 児が激しく泣き続けたため犯行の発覚を恐れ、また泣きやまない被害児に激昂して、被害児を殺 害した、と認定している。 |
イ 弁護人の事実主張 被告人は、押入れの上段に被害児の遺体を入れた後、押入れの左側の柱を背に茫然自失の 放心状態になって、座り込んでいたところ、しばらくして半裸状態の被害者の姿が目に入り、被告 人は被害者が生き返ってほしいと願うとともに姦淫意思を生じ、被害者の死体を姦淫した。 被告人は、被害者を姦淫した後、押入れの下段の座布団を出して被害者の遺体を中に入れ、そ のあと遺体にその座布団を被せて押入れの戸を閉めた。被告人は、戸を閉めたとたんに、現実に 引き戻され、指紋が付いていると思われるペンチ、スプレー式洗浄剤、被害者の財布をあわてて 持って被害者宅を逃げ出した。 被告人は、被害者の死亡後に姦淫意思を生じたのであるから、当然、強姦罪も強姦致死罪も成 立しない。また死体を損壊していないから、死体損壊罪も成立しない。 |
ウ 被害者及び被害児の死亡時期と姦淫時期についての検討 先にも述べたが、検察官が主張し、裁判所が認定した事実と弁護人が主張する事実は、被害者 の死亡、被害者に対する姦淫、被害児の死亡の順序が異なる。また、検察官及び裁判所の事実 認定を前提とすれば、被害者の死亡前から被害児は激しく泣き続けており(乙16、17)、かつ、被 害者の死亡から被告人が被害者を姦淫するに至るまでには、被告人は、被害者の口付近にガム テープを貼り、ガムテープで両手首を縛り、被害者の身体に触るなどしており、さらに、脱糞の処理 だけでも相当の時間を要しており(乙17、24)、かなりの長時間にわたって被害児の泣き声が続い ていたことになる。 しかし、このような状況下では、被害児の殺害の動機が、泣き声による犯行発覚の恐れであると するならば、犯行の発覚を恐れず安心して姦淫行為をするためには姦淫前に被害児を殺害する のが犯行者の心理に適い自然である。また、泣きやまない被害児に対する激昂が動機であれば、 うるさくて姦淫を遂げる障害となるであろうから、やはり姦淫行為前に殺害するのが犯行者の心理 に適い自然である。 そして、前述の様に、被告人が被害児を「床に叩きつけた」という自白は、客観的証拠からは認 定できず、できず、その自白にまったく信用性がないことからも、時期についての検察官の主張 及び1審・旧控訴審・上告審の認定事実は不合理・不自然である。そもそも叩きつけて殺そうとす るほどの強い殺意であれば、1回で死に至らなければ、2回、3回と続けて叩きつけて死に至らせ るのが自然かつ容易な殺害手段である。それにもかかわらず、そのような行為に被告人は出な かったのであり、かつ1回叩きつけた後の被告人の行動は強い殺意に基づく行為としては、極めて 不可解である。 さらに、検察官の主張及び裁判所の認定事実を前提とすれば、被告人は強姦をして目的を遂げ たのであるから、目撃証人とはなり得ない被害児のことは放っておいて、何時誰が訪れてくるかも しれない被害者宅から直ちに逃げ出すのが極めて自然であり、検察官の主張及び裁判所の認定 事実は著しく不合理・不自然である。 したがって、検察官の主張及び裁判所の認定事実は、それ自体が、極めて不合理・不自然・不 可解であることが明らかである。 |
エ 姦淫行為についての検討 検察官及び裁判所は、被告人の姦淫行為を強姦目的に基づくものであると認定している。 前述のように、被告人は、被害者の脱糞に気付いて被害者の脱糞の処理をしている。もちろん、 被害者の陰部や臀部をきれいにすること自体は、強姦目的との認定と矛盾するものではない。 しかし、被告人が行った脱糞の処理は、汚れを拭いたティッシュペーパーをトイレに流し、脱糞の 汚れがカーペットにつかないようにタオルの汚れた部分を中に折り込んでカーペットの上に置い て、さらにバスタオルを普通のタオルの上に置き、また、使用したティッシュペーパーをバスタオル や普通のタオルの上に乗せて、トイレに持っていって流し、タオルで被害者のパンティーを包むよ うにして右手で持ち、押入れの上の段の戸を開けてその中にタオルとパンティーを一緒に投げ込 み、ジーパンの足の汚れていない部分で汚れた尻の部分を包み込んで丸め、右手でタオルを投 げ込んだ所に投げた等(乙17、24)のように、汚れた被害者の身体を丁寧に拭くだけでなく、拭い て汚物となったタオル等も極めて丁寧に時間をかけて処理している。 もしも、被告人に強姦目的があったならば、被告人の心理状態としては、早く姦淫を成し遂げて、 何時誰が訪れてくるかもしれない犯行現場から少しでも早く逃亡したかったはずである。 それにもかかわらず、被告人が、このように脱糞の処理を丁寧にして相当の時間を費やしたこと は、被告人に強姦目的がなかったことの何よりの証左である。 |
オ 被告人が被害児及び被害者を押入れに入れた行為についての検討 検察官及び裁判所は、被告人が被害児及び被害者を押入れに入れた行為を、犯行後その発覚 を遅れさせるためのものであると主張しかつ認定している。 しかし、被害者宅は、普通の狭いアパートであり、かつ、夫婦及び子1人の3人家族であって、帰 宅した被害者の夫が被害者らの不在に気付けば、すぐに遺体を発見するのは明らかであり、現に 被害者の夫は帰宅後ほどなくして被害者の遺体を発見しており、犯行の発覚を遅れさせるというこ とにどれほどの意味及び効果があるであろうか。 むしろ、被害者らを押入れに入れた行為自体に相当の労力と時間を要することを考えれば、何 時誰が訪れてくるかもしれないうえに、しかも一戸建ての家と違って裏口や窓から出て行くことが 不可能で入ってきた玄関ドアから出て行くしかない犯行現場に、とどまっている時間が相当長くな って逃亡がより遅れれば、犯行が発覚し、被告人が目撃されたり捕まってしまう危険性の方が遙 かに高くなる。 したがって、被告人が被害児及び被害者を押入れに入れた行為は、強姦致死罪という重大な犯 罪を犯している者の行動としては不合理・不自然なものであり、被告人の一連の行為を計画的な 強姦目的の意思に基づくものと認定することは、経験則に著しく反する。 |
カ 被告人の供述の任意性・信用性欠如 (ア) 前述のように、被告人の精神的な発達水準を視野に入れた取調べがなされておらず、捜査 官の主導により、極悪非道殺人事件(性暴力ストーリー)を作り上げるために自白調書が作成され ており、また、下記は1例ではあるが、被告人の供述内容から明らかなように、姦淫時の状況に関 する被告人の供述が、取調官の極めて強い誘導によって著しく変遷させられ、ねつ造されており、 被告人の供述は信用性が著しく低く、任意性さえも欠くものである。 ・4月20日(乙3)「僕のチンチンが半分くらい、奥さんのチンチンに入った時、射精をガマンすること が出来ず出てしまったのです。」 ・4月26日(乙17)「僕がちんちんを被害者の膣に入れると、僕はものすごく興奮していたために直 ぐに射精してしまいました。」 ・5月5日(乙24)「僕がチンチンを被害者の膣に入れると、死んだとはいえ、被害者の膣の中は温 かかったため、まるで生きている人とセックスするような感じがして、僕はものすごく気持ちが良く なり、直ぐに射精してしまいました。」 ・5月7日(乙30)「とても良くできたダッチワイフとセックスするような感じであったことも事実です。」 ・5月7日(乙31)「僕が手で自分のチンチンを持って被害者の膣の部分に押し当てたところ、ツルッ という感じで、一発でチンチンを膣内に入れることができました。すると、被害者の膣の中は、とて も温かく、ヌルヌルしていてとても気持ちよかったのです。それで僕は、チンチンをぐっと被害者の 膣に押し入れ、うっと思った途端、腰を動かす間もなく絶頂に達し、射精してしまいました。」 (イ) 著しく変遷・ねつ造された自白 A まず、射精状況について、「チンチンが半分くらい、・・・入ったとき、ガマンすることができず」出 てしまったという供述から、「一発でチンチンを膣内に入れ・・・気持ちよかったので・・・チンチンをぐ っと被害者の膣に押し入れ、うっと思った途端、腰を動かす間もなく絶頂に達し、射精して」しまった との供述は、「半分」から「一発でぐっと」の挿入時と、「ガマンできず」から(途中から興奮してと変 遷し)「気持ちよかったので・・・絶頂に達し」の射精と、ともに著しく変遷しており、かつ変遷の度 に、より具体的で詳細な表現となっており、極めて強い誘導がうかがえる。 特に、最後の5月7日(乙31)の自白内容は、週刊誌等の小説でよく見かけるような大人の性行 為の描写となっており、誘導というよりは創作の押しつけ、あるいは無抵抗の被告人に供述とは 無関係に作成された調書に署名・指印させたものであると強く推認される。 B さらに、5月7日(乙30)の自白に至っては、被告人はダッチワイフとセックスしたことはもちろん のこと見たこともなく、「ダッチワイフ」という言葉さえも知らなかったのであり、被告人の供述とは まったく無関係に取調官が創作して調書がねつ造され、抵抗できない少年の被告人に署名・指印 させたものと確信される。 |
キ 被告人の未成熟な人格理解を前提にした姦淫行為の真相 前述の被告人の人格の総合理解に基づくC鑑定は、被告人の被害者に対する姦淫行為を、「最 愛の母親と重なる女性を死なせてしまったことへの戸惑いは、被告人を非現実的な行為に導い た。それは、自分を母親の胎内に回帰させることであり、母子一体感の実現であった。自殺した母 親と同じように被害者の脱糞を目にしたことも、幻想的な母子一体を強化することになったと思わ れる。被害者の死後に行った被告人の行為は、通常は逸脱した性行為として認知されるのだが、 彼は、その行為に『死と再生』の願いを託していたという。すなわち、自らにとっては母胎回帰とい う死の願望であり、被害者とともに永遠に生き延びたいという幻想でもある。」、また「死後の性行 為は、生身の関係では実現不可能性が低い行為であり、これまで達成するチャンスすらなかった 行為の実現である。」と評価している。 また、B鑑定も、「被害児を天袋に置いた後、呆然として押入れの柱にもたれかかっていた。目の 前にブラジャーがずれ上がり、下半身裸の女性が横たわっていた。その時、初めて自分のペニス が勃起しているのに気付いた。自分はもう終わりだ、だが、セックスしたことがない、続いてP母さ んと一体となろうとした記憶が重なる。P母さんの期待に応えて、自分に似た子どもが作れるか、 セックスできるか、自信がなかったことなどがぼんやり浮かんでくる。さらに子どもを作ることのでき る精子なら、女性を生き返らせることができるという、マンガで読んだ思考が浮かんできた。そこ で、被告人は、ペニスを入れようとした。」と評価し、「強姦という極めて暴力的な性交は、一般的 に性経験のある者の行為である。被告人のように性交体験がなく、これまで性体験を強く望んで 行動していたこともない少年が、突然、計画的な強姦に駆り立てられるとは考えにくい。また、当 初より強姦目的にしているなら、P母さんのことを思い出すというのは、不自然である。一般的に母 親のイメージは男性の性行為に抑制的に働きやすい。被虐待者の外傷体験を媒介して死んだ女 性の性器に自分のペニスを入れるという行為を導いているようだ」と指摘している。 なお、C鑑定は上記評価の中で、「自殺した母親と同じように被害者の被害者の脱糞を目にした ことも、幻想的な母子一体を強化することになったと思われる。」と指摘しており、被告人が退行状 態に陥った中で、被害者に母を重ねあるいは投影していたのであり、被告人が被害者の脱糞処 理を極めて丁寧に行ったことの合理性・自然性がそこに見い出せる。 このように、C鑑定及びB鑑定からも、被告人の姦淫行為は、強姦目的に基づく行為でなかった ことが結論づけられ、本件が強姦罪あるいは強姦致死罪ではなかったことは明らかである。 |
しかし、テレビニュースを見ますと、法医学者の証言をそれほど重要視していないように感じます。あるアナウンサーはキョトンとして「殺害したことに違いはないんでしょう」と言っていました。
おそらくテレビを見た多くの人が同じ感想を持ったことでしょう。両手で首を絞めようと、片手だろうと殺したことに違いはないじゃないかと。
弁護団は最初から殺意を持って首を絞めたのではない、口をふさごうとしたんだ、だから殺害ではなく傷害致死だと主張しています。
殺人と傷害致死との違いをメディアはどうして説明しないのでしょうか。知っていて伝えないのか、本当によくわかっていないのか、どっちなんでしょう。
「本村さんはどう感じたのでしょうか」なんてことをどのニュースでも言ってますが、本村さんがどう感じたかということと裁判の進行とは直接関係ありません。感情よりも事実はどうなのかを伝えるのがマスメディアの使命ではないでしょうか。
前にも書いたのですが、“権力者の食べこぼしを漁るヘタレパラサイト”たる日本のメディア、取り分けテレビには何かを期待するだけ無駄ですよ。
私の敬愛する魚住昭氏(フリージャーナリスト。 元共同通信記者)の言葉。
「そもそも報道とはそれほど神聖な仕事ではない。 情報と言う商品を売るに過ぎない。 その一時情報の七割は官庁もしくはそれに準ずる機構からただで提供されるものだ。 そういう意味で報道に携わることを恥とするならともかく、神聖視したり、特権視したりするいわれは全く無い」 この洞察を理解出来る大手既存メディアの記者が、どれほど居るのだろうか?
暗澹たる思いにとらわれ、鬱にもなりかねないので、テレビニュースは見ないことにしている、私でした。
おっしゃるとおりだと思います。今朝もみのもんたが、弁護団は残酷な事件ではないと言っている、しかし首を絞めて殺したあと強姦し、赤ちゃんを床に叩きつけて殺した、このどこが残酷でないのか、と言っていました。弁護側がどういうことを主張しているのか、それくらいちゃんと勉強してコメントしろと言いたくなります。
本村さんは26日の会見で、「たしかに弁護側のストーリーは筋が通っているように見えるが・・・」と話されていました。最初は荒唐無稽だと思っていたのが、裁判の傍聴を重ねる中でだんだんと筋が通っているように感じられてきたのでしょう。
本村さんですらそう感じるようになったわけです。だったらテレビ局や新聞社の記者たちだって、弁護団は死刑を回避するために無茶苦茶なことを言っているわけではない、ひょっとしたら弁護団の言っていることは正しいかもしれない、と思ってもおかしくはないでしょう。そうは思っても、弁護団よりの報道はできないんでしょうね。
私たち一般の人間はテレビや新聞でしか情報を得られません。ですから、テレビや新聞が間違ったニュースを流していると知っている人は、それを一人でも多くの人に伝えるべきだと思います。
たとえば綿井健陽という人のブログを見ますと、「事件直後の最初の法医鑑定でも「左手、片手で絞めた可能性がある」ということが述べられている」とあります。
http://blog.so-net.ne.jp/watai/archive/20070727
私たちもこういう知り得た情報をもっと伝えていくべきではないでしょうか。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3910/1182590072/444
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3910/1182590072/448
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/news/3910/1182590072/470