漂う「命の軽さ」と「孤独」と

2018-07-25 | 身体・生命犯 社会

漂う「命の軽さ」と「孤独」と 社会の空気、文学者は憂う 
2018/7/25 中日新聞
  「モリカケ」疑惑やオウム真理教事件の死刑執行、西日本豪雨と大きなニュースが続いた。その間に「奇怪な事件」も相次いだ。新幹線でなたを振るった青年やサバイバルゲームを演じたような元自衛官、先輩警察官を射殺した警察官…。いずれも加害者が生命を軽くみる姿勢が印象に残った。そして、世間の注目もすぐに雲散した。事件は社会を映し出す。社会の空気と密接な文学者らは、事件から何を感じたのか。
  まずは、ここ数カ月の間に起きたいくつかの「奇怪な事件」を振り返りたい。
 4月11日、滋賀県彦根市の交番で、男性巡査部長(41)=警部に特進=が拳銃で撃たれ、死亡。部下で当時19歳だった巡査の男が逮捕された(殺人罪などで起訴済み)。この巡査は3月下旬に交番に配属され、教育係だった巡査部長の指導を受けていた。逮捕後、「書類の訂正を何度もさせられ、理不尽に思えた」などと供述したという。
  6月9日には、新横浜-小田原間を走行していた東京発新大阪行きの東海道新幹線のぞみの車内で、無職の男(22)=鑑定留置中=が周囲の乗客をなたで次々と襲撃。二十代の女性2人にけがを負わせ、助けに入った男性会社員(38)を殺害した。「社会を恨んでいた」などと語ったという。
  同月26日には富山市で元自衛官の男(21)が、交番の男性警察官(46)や小学校正門前にいた男性警備員(68)を刃物や拳銃で襲って殺害。男も警察官に撃たれ、腹部に重傷を負った。男性警察官とは顔見知りだったという。
  不可解な事件を起こすのは若者ばかりではない。
  福岡市で同月24日、有名ブロガーでIT関連セミナー講師の男性(41)がセミナー終了直後、無職の男(42)=殺人容疑で逮捕、鑑定留置中=に刺殺された。中傷のような書き込みについて、男性から批判され、サイト運営者側に利用停止を求める通報をされたことを逆恨みしたという。
  堺市では弟(40)に睡眠薬を飲ませてトイレ内で練炭を燃やし、自殺を偽装して殺害した容疑で姉(44)が逮捕され、今月11日に殺人罪で起訴された。
  浜松市の女性看護師(29)が車ごと連れ去られ、遺体で見つかった事件もあった。6月の遺体発見直後、28歳と42歳の男2人が逮捕=営利目的略取と逮捕監禁罪で起訴=された。彼らは2人の逮捕後に自殺した男がネット掲示板に書き込んだ「サクッと稼ぎましょう」という投稿につられて「報酬」目当てで関わったらしいが、事件当日に初めて会い、被害者との面識もなかったという。
  ざっと振り返っても、この程度はある。それぞれの事件は、状況や経緯などで異なる。ただ、被害者の命が軽んじられていることは言うまでもないが、加害者自身もどこか「自爆的」で、事件全体に生命に対する希薄さが感じられる。
  「社会の反応」を事件の一端に加えれば、その印象はますます強い。というのも、いずれの事件も大きな議論を招かなかった。
  「短絡的な人、激しやすい人は昔からいる。人間が変わったのではない。彼らの『歯止め』になる社会の安定が消えてしまった」
  作家の高村薫氏はそう語る。かつても貧富や格差があり、成功者と失敗者はいた。だがそれぞれに「居場所」があったという。
  「それぞれの居場所で、それなりの将来を感じながら、一定程度の安定した暮らしを営んでいた。だからこそ我慢ができ、犯罪の歯止めにもなっていた」
  しかし、現在の社会の空気は重苦しい。高村氏は加害者もさることながら、社会全体が外部、つまりは他者への関心を失っていると指摘する。「情報は膨大であふれ返り、しかもどんどん更新されている。一つのことにこだわっていられない。自分の関心事だけに目を向ければ、事足りる時代になった。そして興味のあること以外の情報を捨て去っている」。それが事件の「賞味期限」の早さにつながったとみる。
  「以前は関心のない情報も、職場や学校で他人と接し、目や耳から自然と入ってきた。社会で共有する情報というものがあったのだが…」。情報で「目隠しされた社会」を危ぶむ。
  作家の小嵐九八郎氏は、ネット社会の影響を懸念する。「端末と指先で情報を得られるため、わざわざ他人とじかに接して情報を得たり、考えを深めたりしなくてもすむ。その結果、他人との接触や付き合いが下手になり、他者というものが分からなくなっているのではないか」
  それが「命の軽さ」につながっていると考える。さらにその傾向に拍車をかけているのが、短絡的なエゴイズムだと強調する。
  「政治家に顕著だが、反対意見に耳を傾けず、自分の意思を何が何でも通していく。そうした現政権に象徴されるようなエゴイズムが社会に広がっている。目先のことやしがらみに心がとらわれ、その先に待ち受けている本質的な危機からはあえて目を背ける」
  精神科医で、オウム真理教事件の麻原彰晃元死刑囚(本名・松本智津夫)にも接見した作家の加賀乙彦氏も「命の軽さ」を痛感している。「昨今起きた事件のみならず、それはオウム事件の元死刑囚7人の執行にも表れている。この執行は、世界的には『野蛮さ』の文脈でセンセーショナルに報じられた。だが、その野蛮さに、この国の政府も国民も反応していない」
  現代人の死生観自体が徐々に変化していると語るのは住職で、歌人の福島泰樹氏だ。一例として死者への慈しみの気持ちと密接に関連する遺骨を巡り、最近起きた事件に言及する。
  今月17日、墓の遺骨を移す「改葬」を行う東京都内の業者が、回収した遺骨や骨つぼを足立区内のマンションのごみ集積所に9回にわたって捨てたとして、遺骨遺棄容疑などで警視庁に逮捕された。「一昔前には、到底考えられないことが起きた。死をおろそかにする傾向が徐々に社会の各所で出てきている」
  死を粗末にすることと、命への畏敬の薄まりは同義ともいえる。今年3月まで約10年間、早稲田大で「日常と非日常のレトリック(修辞学)」を講義してきた福島氏は、学生に短歌を作る課題をよく出していた。作品には深い孤独がにじみ出ていたと振り返る。
  「会話する 手段はすべてメール 声失った言葉のかなしさ」「ケータイが 2日鳴らずにあせる自分 ネットの海にひとり漂流」
  「とかく孤独は人の思考を極端にする。友人や恋人、家族。事件の犯行に及んでしまった人たちには、自分のブレーキになってくれる人がそばにいなかったのかもしれない」
  居場所の喪失や人間関係の希薄化。いまになって言われたことではないが、その傾向は加速している。「奇怪な事件」の連続が予兆するこの社会の「未来」について、高村氏は次のように警鐘を鳴らす。
  「みんなに共通の関心事がなければ、社会は保てない。事件や災害に対し、社会として向き合えなくなるからだ。この先にあるのは社会の崩壊ではないか」
  (石井紀代美、中沢佳子)

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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〈来栖の独白〉
>「モリカケ」疑惑やオウム真理教事件の死刑執行、西日本豪雨と大きなニュースが続いた。その間に「奇怪な事件」
 オウム真理教事件死刑執行と「奇怪な事件」を一緒くたにするレトリック、私には分からない。
>それが事件の「賞味期限」の早さにつながった
 こういう場面で、「賞味期限」との言葉の引用、わからない。
>社会の崩壊ではないか
 どういう情景をイメージしているのか、分からない。
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