迷走「普天間」の教え 週のはじめに考える
【社説】2010年5月10日中日新聞
「沖縄の復帰なくして戦後は終わらない」と言ったのは佐藤栄作元首相でした。普天間問題の迷走は、沖縄の苦悩がなお続くことを実感させます。
いま鳩山由紀夫首相の政治的資質が厳しく問われています。自民党政権時代の対米一辺倒を改め、沖縄県民の負担軽減を図りたいとの首相の意欲は分からないではありません。むしろ歓迎すべきことです。しかし、米軍普天間飛行場の移設が、結局は現状維持に近い「県内移設」プラス「徳之島」案では「県外移設」に期待をかけてきた沖縄県民を失望させるのも当然です。首相は自らの立ち居振る舞いで自分の首を絞めているだけでなく、国民の期待を裏切っていることを深く自省すべきです。
目的が立派であっても
政治には「目的」と「手段」の両面があり、目的がどんなに立派でも手段が稚拙だったり、ダーティーでは国民の支持を得ることはできません。今回の普天間問題では「沖縄県民の負担軽減」「日米同盟の堅持」「連立を組む政党の納得」という少なくとも三条件をクリアすることが求められたわけですが、ここは連立方程式を解く以上に難しい局面です。
「地方自治は民主主義の学校」という名言を残したのはジェームズ・ブライス(一八三八~一九二二年)という英国の政治家・歴史家・法学者です。彼に教えを請うた日本人がいました。幣原喜重郎元首相です。明治末期、駐米大使館参事官としてワシントンに赴任した幣原は、散歩中に駐米英国大使だったブライスの家を見つけ、紹介者なしで彼との会談を実現します。
当時はパナマ運河の開通間近で米上院は「米艦船の通行税は免除するが、外国船からは通行税を取る」との条約修正案を通過させました。
ブライス英大使の助言
ブライスは「外国船も米艦船と同一扱いとの従来の条約からして不当だ」と、米大統領らに修正案の阻止を強く働きかけていた経緯があります。
幣原は当然のことながら大使が対米抗議を続けるものと思って念を押しました。ところが意外な答えが返ってきたのです。
「英国はどんな場合でも米国とは戦争しないことを国是にしています。抗議を続ければ結局戦争になります。戦争をする腹がなくて抗議を続けるのは恥をかくばかりです。放っておきますよ。大局的見地を忘れてはなりません」
米国は後年、差別的通行税を撤廃し、幣原はブライスの大局論と先見性に「深く感得した」と回想しています。外相時代の国際協調・軍縮路線、戦後、首相になってからの「戦争放棄」や「天皇の人間宣言」といった幣原政治の原点はブライスの教えにあったといっても過言ではありません。
普天間問題で鳩山政治に最も欠けている点は、日米安保条約改定から半世紀を迎えて「日米同盟は日本の安全確保と同時に、世界平和にどう貢献できるのか」という大局論と、それを踏まえての「在日米軍基地のあり方」「自衛隊などの対米協力のあり方」という各論の詰めではないでしょうか。
本来なら昨年十一月、オバマ米大統領が来日した際、「トラスト・ミー(私を信頼して)」といった情緒的な会話でなく、日米双方の政権交代を受けて「まずは大局論での意思疎通を深め、その上で沖縄の負担軽減を含めて各論の安全保障見直し論議に入りたい」と提案し、大統領の同意を取り付けるべきだったのではありませんか。
生誕百年ということもあり、最近、大平正芳元首相に関する本が相次いで出版されています。その一つ、「心の一燈」(第一法規)で森田一氏(元大平首相秘書官、元運輸相)は、米国の核搭載艦船の通過・寄港を容認する密約について大平氏がいかに公表するか死の直前まで悩んだと述懐しています。
「ライシャワーさん(元駐日米大使。一九六三年、大平外相との会談で核艦船の日本寄港を確認)は大平に話したことで一丁上がりという感じなのだけど、大平の方は国民にどう説明するかということをずっと考えていた」
大平氏を主人公にした小説「茜色の空」(文芸春秋)を刊行した辻井喬氏は「大平さんのように悩む力が、今の政治家にはない」と本紙に語っています。
鳩山首相は「学べば学ぶにつれて米海兵隊の役割、抑止力維持(の大切さ)が分かった」と言いますが、とことん悩むことも指導者の姿勢として大事でしょう。
柔くはない日米関係
今からでも遅くはありません。鳩山総理、掛け違えたボタンをもう一度整え直してください。「五月末決着」が延びても日米同盟が崩れるほど今日の両国関係は、柔(やわ)くはないと思いますよ。
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〈青の着色・強調は、来栖〉
◆狭い沖縄に米軍基地の75%が集中するのは地勢的・戦略的要因からだ「綸言 汗の如し」
◆安全保障の現実〔在日米軍の役割〕をしっかり説明した上で沖縄などに負担を頼むべきだ
◆日本の安保意識試す中国軍 〔基地問題〕=対米従属か対中隷属か・・・
【社説】2010年5月10日中日新聞
「沖縄の復帰なくして戦後は終わらない」と言ったのは佐藤栄作元首相でした。普天間問題の迷走は、沖縄の苦悩がなお続くことを実感させます。
いま鳩山由紀夫首相の政治的資質が厳しく問われています。自民党政権時代の対米一辺倒を改め、沖縄県民の負担軽減を図りたいとの首相の意欲は分からないではありません。むしろ歓迎すべきことです。しかし、米軍普天間飛行場の移設が、結局は現状維持に近い「県内移設」プラス「徳之島」案では「県外移設」に期待をかけてきた沖縄県民を失望させるのも当然です。首相は自らの立ち居振る舞いで自分の首を絞めているだけでなく、国民の期待を裏切っていることを深く自省すべきです。
目的が立派であっても
政治には「目的」と「手段」の両面があり、目的がどんなに立派でも手段が稚拙だったり、ダーティーでは国民の支持を得ることはできません。今回の普天間問題では「沖縄県民の負担軽減」「日米同盟の堅持」「連立を組む政党の納得」という少なくとも三条件をクリアすることが求められたわけですが、ここは連立方程式を解く以上に難しい局面です。
「地方自治は民主主義の学校」という名言を残したのはジェームズ・ブライス(一八三八~一九二二年)という英国の政治家・歴史家・法学者です。彼に教えを請うた日本人がいました。幣原喜重郎元首相です。明治末期、駐米大使館参事官としてワシントンに赴任した幣原は、散歩中に駐米英国大使だったブライスの家を見つけ、紹介者なしで彼との会談を実現します。
当時はパナマ運河の開通間近で米上院は「米艦船の通行税は免除するが、外国船からは通行税を取る」との条約修正案を通過させました。
ブライス英大使の助言
ブライスは「外国船も米艦船と同一扱いとの従来の条約からして不当だ」と、米大統領らに修正案の阻止を強く働きかけていた経緯があります。
幣原は当然のことながら大使が対米抗議を続けるものと思って念を押しました。ところが意外な答えが返ってきたのです。
「英国はどんな場合でも米国とは戦争しないことを国是にしています。抗議を続ければ結局戦争になります。戦争をする腹がなくて抗議を続けるのは恥をかくばかりです。放っておきますよ。大局的見地を忘れてはなりません」
米国は後年、差別的通行税を撤廃し、幣原はブライスの大局論と先見性に「深く感得した」と回想しています。外相時代の国際協調・軍縮路線、戦後、首相になってからの「戦争放棄」や「天皇の人間宣言」といった幣原政治の原点はブライスの教えにあったといっても過言ではありません。
普天間問題で鳩山政治に最も欠けている点は、日米安保条約改定から半世紀を迎えて「日米同盟は日本の安全確保と同時に、世界平和にどう貢献できるのか」という大局論と、それを踏まえての「在日米軍基地のあり方」「自衛隊などの対米協力のあり方」という各論の詰めではないでしょうか。
本来なら昨年十一月、オバマ米大統領が来日した際、「トラスト・ミー(私を信頼して)」といった情緒的な会話でなく、日米双方の政権交代を受けて「まずは大局論での意思疎通を深め、その上で沖縄の負担軽減を含めて各論の安全保障見直し論議に入りたい」と提案し、大統領の同意を取り付けるべきだったのではありませんか。
生誕百年ということもあり、最近、大平正芳元首相に関する本が相次いで出版されています。その一つ、「心の一燈」(第一法規)で森田一氏(元大平首相秘書官、元運輸相)は、米国の核搭載艦船の通過・寄港を容認する密約について大平氏がいかに公表するか死の直前まで悩んだと述懐しています。
「ライシャワーさん(元駐日米大使。一九六三年、大平外相との会談で核艦船の日本寄港を確認)は大平に話したことで一丁上がりという感じなのだけど、大平の方は国民にどう説明するかということをずっと考えていた」
大平氏を主人公にした小説「茜色の空」(文芸春秋)を刊行した辻井喬氏は「大平さんのように悩む力が、今の政治家にはない」と本紙に語っています。
鳩山首相は「学べば学ぶにつれて米海兵隊の役割、抑止力維持(の大切さ)が分かった」と言いますが、とことん悩むことも指導者の姿勢として大事でしょう。
柔くはない日米関係
今からでも遅くはありません。鳩山総理、掛け違えたボタンをもう一度整え直してください。「五月末決着」が延びても日米同盟が崩れるほど今日の両国関係は、柔(やわ)くはないと思いますよ。
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〈青の着色・強調は、来栖〉
◆狭い沖縄に米軍基地の75%が集中するのは地勢的・戦略的要因からだ「綸言 汗の如し」
◆安全保障の現実〔在日米軍の役割〕をしっかり説明した上で沖縄などに負担を頼むべきだ
◆日本の安保意識試す中国軍 〔基地問題〕=対米従属か対中隷属か・・・