『自立する国家へ!』田母神俊雄×天木直人

2013-04-29 | 本/演劇…など

『自立する国家へ!』田母神俊雄×天木直人
著者 ◎田母神俊雄◎天木直人 2013年2月1日初版第1刷発行 KKベストセラーズ 刊

目次
 第一部 天木直人
  今こそ自主・自立した日本を取り戻す時である
第二部 田母神俊雄
  日本は国力と軍事力を備えた独立国家たれ!
 第三部  天木直人VS田母神俊雄
  激論! 最強の自主防衛策とは?

第二部
p101~
■「専守防衛」は自主防衛とはいえない
 日本人に反省と謝罪を促した日本国憲法のもう1つの弱点は、「軍を持たない」と宣言したことにあった。これによって日本は、自衛隊という外国から見れば紛れもない軍ができた後も、その言い訳のように自衛隊は武器の使用を極度に制限された。原則的に、相手から攻撃されるまでは武器を使用できないことになったのである。p102~
  しかも、そうした歪んだ自衛隊の形を、戦後の左翼教育によって日本の一定数の世論が良しとしていたこと、それから、長く続いた自民党政権時代でも、常に野党第1党の座にあった社会党などが自衛隊を違憲と断定していたこともあって、自衛隊をまともな形に正すことはできなかったのである。
  その間の1970年代には、当時の中曽根防衛庁長官が防衛白書の中で「専守防衛」といったあたりからこの言葉が一人歩きを始める。そして、日本が攻撃のための武器を持つことさえいけないことであるかのような風潮さえ生まれた。
  そして、アメリカはそうした風潮に乗って「攻撃はアメリカに任せておけ」とばかりに日本にもっぱら防御システムを莫大な金で買わせるようになり、攻撃面はすっかりアメリカ依存になってしまったのである。
  評論家などの中にも、「それでいいではないか」という人がいるが、それは軍事力とは何かを知らないもの言いである。
  軍事力というものは、攻撃と防御がバランスよくセットになってはじめて軍事力なのである。外国から見たら防御一辺倒の軍事力など怖さはない。いくら最新鋭の防御システム(ペトリオット・ミサイルなど)を備えていようとも、「あの国は守りは強いが攻めは弱い」と認識したら、その国に怖さを感じるだろうか。
p102~
  軍事的な怖さがないということは、抑止力が働かないということに等しい。つまりは危険性が増すわけだ。そういう意味で、「実際に戦ったら恐い」とどれほど相手に思わせることができるかが、その国の軍事力であり、安全保障力であるといえるのである。
p104~
■自主防衛への道に日米共同開発が立ちはだかった
 戦前の日本は世界が驚くようなゼロファイター=零戦や多くの戦艦をつくった国であったから、戦後になっても武器・兵器を自前で製造する技術は保持していた。しかし戦後はGHQの統制下に置かれ、軍事力を保有することはできず、当然、武器を自前で開発、製造することは禁じられた。
p105~
  しかし朝鮮戦争の勃発によりアメリカは日本の再軍備の必要性に迫られ、我が国は警察予備隊の発足により再軍備を始めることになった。そのとき武器の多くをアメリカから買わされることになった。
  しかし当時は我国の政治家も官僚も一人前の独立国になることを目指していたから、日本は武器を自前で開発、製造しなければならないと考えていたのである。(略)
 しかし、1980年代半ばの中曽根総理の時代になって、国産化への道が突如として塞がれる。私が航空幕僚監部の防衛課にいた時代である。
 その頃、F1で培った日本の技術はかなりのレベルに達しており、F1の後継機としてF2の開発も国産体制でやろうとしていた。エンジンだけアメリカから買ってきて機体は日本でつくるという、F1同様の体制である。(p106~)こうした日本の体制に対し、アメリカは横槍を入れてきたのだ。
  「F2は日米共同開発でやろうじゃないか」
  アメリカは日本政府に申し入れ、これを受け入れ、鶴の一声を発したのがロン・ヤス関係といわれ、アメリカべったりだった当時の中曽根総理であった。続く竹下総理がこれを引き継ぎ、1988年、日米共同開発が決まったのである。
  アメリカの意図は、日本に自前の武器・兵器をつくらせないことが一点、そしてもう一点は、日本の軍事技術をいただくことであった。
  当時の日本の技術力はかなり高いレベルにあった。
p107~
■アメリカの戦略は「日本を自立させない」こと
 湾岸戦争(1991年)のときに話題となったのが、レーダーに掛からない性能を持つという「ステルス戦闘機」であったのを覚えている人は多いだろう。
p108~
  実はあれにも日本の技術が使われていた。宇部興産がつくったチラノ繊維という合成繊維で、レーダーに映らないというステルス性能はこれがないと確保できない。日本はこんな優秀な技術も持っていたのだが、日米共同開発によって日本の優れた技術はアメリカに根こそぎもっていかれる、という事態が続くことになったのである。
p109~
■ソフト支配が対米依存度を高める
 その後、次第に世界はデジタル化し、武器・兵器に最先端のコンピューターシステムが導入されると、この日米共同開発は日本にとって余計に厄介な仕組みになっていく。つまり、戦闘機でもミサイルシステムでもすべてがソフトウェアによって動くわけだから、どのような工作でもできてしまうわけだ。
 たとえば、莫大な金額を払って買ったミサイルであっても、それが5年後にきちんと作動するかどうか実はわからない。
 アフガン戦争のとき、トマホークを装備していたイギリスの潜水艦が、撃とうとしたら撃てなかったという話がある。トマホークはGPSを使ったシステムでターゲットまで正確に誘導する巡航ミサイルだが、コンピューターが発射指令を出してもトマホークが反応しなかったという。システムソフトのバージョンが変わってしまっていたのだ。イギリスの陸軍少将に直に聞いた話だから間違いない。
 それが意図的であったかどうかはともかく、ソフトが支配する世界では、そういうことは簡単に仕組むことができる。(p110~)アメリカから買った武器・兵器は、アメリカの継続的支援がなければ使い続けることはできないのである。
 つまり、アメリカの兵器を日本にどんどん買わせれば、アメリカの日本への支配力はどんどん強くなる。日本から見れば、対米依存がどんどん高まるわけである。
 アメリカがイージス艦やミサイル防衛システムを売り込み、日本政府が莫大な予算をつけてそれを購入するというのがこのところの流れだが、これは武器が増えたことで、かえって対米依存を高めてしまうという、バカなことをくり返しているのである。そして、こうしたことを推し進めるためにアメリカと日本政府がやっていること、それが北朝鮮の脅威をことさら強調することなのだ。
 「北朝鮮がまたミサイルを撃ちそうだから、日本は最新の防衛システムで防衛力を強化しておいたほうがいい」
 こんな親切心を振りかざしながらアメリカは売り込んでくる。(略)
p111~
  ただし、だからといって、私は特別にアメリカが汚いとは思わない。自国の国益のために友好国と交渉するのも国際常識であり、どの国でもやっていることだからだ。本当は、日本の政治家や官僚がそうしたアメリカの意図を認識しながら、日本の国益のためにうまく立ち回るべきで、それができていないことのほうが問題なのである。
  ところが歴代政府の多くは、アメリカに追随することが政権の延命につながるということを優先し、ほとんどまともな交渉をしてこなかった。アメリカと対等になることを目指したり、アメリカに頼らない道を探ろうとした政治家はいたが、彼らは皆、志半ばで挫折した。アメリカによる情報戦(場合によっては日本のマスコミも加担した情報戦)によって追い落とされたと思われるケースがほとんどで、日本の親米派が陰で足を引っ張ったと思われるようなケースもあった。
  ともかく、対米自立への道を考える時、アメリカは基本的にそれを阻止しようという戦略をもって、先手先手で動いてくるのが戦後の歴史。その象徴といえるのが日米安全保障条約であり、非核三原則なのである。
p116~
■核武装論者が受け入れた「非核三原則」
  最近では私のように公然と日本の核武装を提言する人も増え、「きちんと議論しよう」という人も増えたが、ひと昔前までは、核武装論をタブー化するような風潮があったものである。
  それは日本が被爆国であったからではなく、「非核三原則」なるものが存在していたことが大きい。
  「広島・長崎が被爆し、多くの犠牲者を出したから、戦後の日本人は核アレルギーが強くなった」という人がいるが、それは違う。戦後になって東西冷戦が始まり、米ソの核戦争が過熱し、中国も核実験に成功する流れの中で、1960年代前半頃までの日本国民には核武装を支持する声はかなりあった。
  そんな中、1964年に総理となった佐藤栄作氏は元々、核武装論者であったが、総理になる直前に中国の核実験成功を聞いてその思いをなお強くし、アメリカに「日本も核武装をさせてほしい」と打診したといわれる。
p117~
  しかし、アメリカはこれに強く抵抗した。結局、佐藤総理は、日本が核武装をしない代わりに「日本がアメリカの核抑止力を必要とする時、アメリカはそれを提供する」ことを約束したことで核武装論を引っ込めた。
  1967年の国会答弁の中で初めて「非核三原則」を口にした佐藤総理は、72年には「核の脅威に対してはアメリカの核抑止力に依存する」として、沖縄を含めた非核三原則を閣議決定してしまったのである。
  核武装論がタブー視されるようになったのはそれ以降のことだ。佐藤総理が非核三原則を口にした当時の日本の世論に、これを良しとする声はさほどなかったが、それ以降の日本では次第に、核武装論を口にする者は危険人物の扱いをされるようになっていった。
  つまり、核武装論者であった佐藤総理自身が、日本の核武装論を封じてしまったようなものだ。
p118~
  日本では、「専守防衛で核武装もしない平和憲法がある平和主義の日本だから世界で価値を認められている」といった根拠のない論調がいまだにあるが、それはまるで違う。むしろ逆で、核武装国になれば嫌でも存在感が増すのである。
  核兵器を持っている核武装国こそが、戦後の国際世界を牛耳ってきた。「核武装国になれば国際社会での発言力と安全度が増す」ことは、国際社会では常識中の常識である。だからこそ世界の多くの国が、あわよくば核武装国になれないものかと狙っているのだ。
  国連の常任理事国であるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国。核武装国でない国は1つもない。他にインド、パキスタン、そしてイスラエル、北朝鮮も核武装国だが、彼らがなぜ核武装国を目指したのかは、逆を考えてみればわかる。つまり、彼らが核武装国でなかったらどうなっていたかと。
p119~
  どの国も核武装をすることで抑止力を手に入れ、国を潰されないようにしたまでのこと。いま核武装に突き進んでいるイランにしても事情は同じだ。決して気が狂ったわけでも何でもなく、自国の安全のためにもっとも合理的で効果的な方法をとっただけのことである。
  日本では、「核を持たないから平和でいられる」という論調がいまだに幅を利かせているが、世界の常識は180度違う。「核武装すれば国はより安全になる」というのが国際常識なのである。
  なぜなら、核兵器は決して使われることのない兵器で、同じ兵器でも通常兵器とは存在意義が違うものだからだ。(略)
 なぜなら、核戦争には勝者はいないからである。一発の核ミサイルは耐えることのできない被害を及ぼす。
p120~
  お互いに甚大な被害を覚悟しなければならないから、核武装国同士はお互いに手出しができなくなる。つまり核による抑止力は、パワーバランス(数の均衡)をさほど必要としないのである。核兵器出現以降、核武装国同士の戦争は一度も起きていない。
  核兵器は2度と使われることはない。しかし核兵器を持つか持たないかでは大違い。国際政治を動かしているのは核武装国なのである。このことをよくわかっているからこそ、非核武装国は何とか核武装国になれないものかと考え、逆に、既に核武装国になっている国々は、自分たちの価値を下げないために、これ以上、核武装国を増やしたくないと考えるのである。
p140~
  核兵器を所有する大国は、話し合いの末の多数決を拒否するカードを持ち、自国が不利と見るや、すぐさまこのカードを切る。オバマ大統領も本気で核兵器を廃絶させるのなら、アメリカが音頭を取って「せーの」で核廃絶を決議すればいいのだが、そんなことを本気で考えてもいないし、重要な話し合いになればなるほど、どこかの国が国が拒否権カードを切るのがわかっているから、議題にも上らないのが現実だ。
p141~
  ただ、第2次大戦、そして冷戦以後の国際社会がそれまでと変わったのは、腕力の強い者が腕力にものを言わせる、すなわち戦争を仕掛けるのではなく(そういうことも時には起こるが)、大声でものを言い、発言力で相手をねじ伏せるようになったことだろう。それは国連が機能した結果というより、核抑止の効果といえる面が大きい。
 もっとも、ただ大声を出しただけでは、誰も聞いてはくれない。世界の国々の耳を傾かせ、従わせるのに必要なものこそが腕力、すなわち軍事力で、そのために大国は核武装をしているのである。

 第三部
■対米従属の実態
p157~
天木 私がイラク戦争に反対したのはあの戦争が間違った戦争だったからです。アメリカが間違うのは仕方ないにしても、なぜ日本がそんな戦争を支持したのか。中東のことを何も知らない小泉首相が、どうせ感謝されるのだったら世界に先駆けて支持してやろうじゃないかといわんばかりに世界に向けて米国支持を打ち出した。このことに対して、同僚たちは誰一人、止めろといわずに沈黙し、追従した。情けないじゃないかと私は声を上げたのです。
田母神 しかし日本がアメリカに守ってもらっているという現状からすれば、あの時の小泉総理の決断は止むを得なかったのではないでしょうか。国際社会では、正義か不正義か、あるいは善か悪かで国の行動を判断すべきではないと思います。
 (p158~)判断基準はあくまでも我が国の国益に利するかどうかです。あの時、我が国がフランスのように強硬にイラク攻撃に反対したら、我が国の立場はどうなったでしょうか。おそらく日米関係を大きく損ない、結果として我が国の安全保障は危機的な状況になったでしょう。核武装もして自分の国を自分で守る態勢ができているフランスと同じ行動を、我が国は取れないのです。現状では日本はいつでもアメリカを支持せざるを得ないのです。
  あの時、アメリカは、イラクは大量破壊兵器(化学兵器や核兵器)を保有するテロ国家だと宣伝して攻撃を仕掛けたけれど、終わってみればそういうものは出てこなかったわけです。アメリカは、最初から持っていないことは知っていたんです。そうでなければ攻撃するはずがない。むしろ、イラクに核を持たせないために攻撃したということだと思う。そのためにアメリカはイラクのフセイン大統領を極悪人と断定し、そのことを世界中アピールして納得させようという情報戦を仕掛けたということ。フセインが善人だとはいわないけれど、別に彼がイラクで飛びぬけて異常な独裁者だったわけじゃないでしょう。彼が交代してもイラクではまた同じような人が大統領になるでしょう。アメリカは昔から自国の利益のための情報戦に長けていますから。
p159~
田母神 私が対米従属の情けなさを一番実感したのは、中曽根総理の時代です。当時、私は防衛庁航空幕僚監部にいましたが、当時はF1の後継機として三菱重工が中心になってF2戦闘機の開発にとりかかっていました。
 (p160~)戦後、我が国はアメリカから図面を買ってきて機体は日本でつくるというライセンス生産をくり返してきたのです。いずれ国産体制にもっていくつもりで着々と技術を磨いていた。そして戦後はじめてF1という戦闘機をつくり、その後継機としてF2の国産開発に着手しようとしていたのです。それをアメリカが日米共同開発の提案をしてきて、中曽根総理が鶴の一声でこれを受け入れることを決めてしまった。あれで日本の国産戦闘機への道は閉ざされたばかりか、日本の優位な技術ももっていかれるという悔しい思いをしたわけです。
  それから、いま日本が買おうとしているF35でも、開発が遅れて、おまけにカネがなくなると、今度は日本にも国際共同開発に加わってほしいと要請があり、そのあげくにバカ高い戦闘機を買わされるわけです。
p161~
■「自主防衛を目指す」と書かれた自民党結党時の政綱
田母神 やはり独立国家というのは、自主防衛の体制がきちんとしていることが基本だと思うんですね。自分の国を自分で守るということが基本で、それがあって初めてよその国といろんな対等な関係を築くことができていくわけですよね。
 (p162~)けれども戦後の日本の場合は、国の守りをアメリカに依存したというか、戦争に負けてアメリカの占領下にあったからしょうがないんですけれど、そこからスタートするしかなかった。
  だからこそ昭和30年代に自民党ができた時、党の綱領とともに掲げられた「党の政綱」の中で、日本は独立したとはいっても、まだ自分の国を自分で守れない半人前の独立国家だから、いずれ占領下で仕方なく受け入れた憲法を正し、自衛隊もきちんと強化して自分の国は自分で守る体制をつくるんだと書いたわけですね。いわば、自主防衛を目指すんだ、としっかり書いたわけですよ。けれども、そういうことが全然改善されないまま70年近くたっていまったということですよね。
p165~
田母神 戦後間もなくの頃の政治家の中には、占領下にあっても戦前からずっと国を司ってきた人たちがいて、まだまともだったと思うんです。だから今は甘んじていても「いつかは自分たちの手に取り戻すんだ」という気概があった。55年の自民党の綱領もそういう気概を持っていた人たちがつくったわけです。
  しかしその後、多くの日本人が戦後教育の洗礼を受けて、結局、日本は悪い国なんだから反省しなければならぬと刷り込まれた。そうしているうちに、下手に自己主張なんかしないでアメリカに守ってもらってアメリカの言うとおりにすればいい、というような世代が社会の中枢を占めるようになってしまった。しかも冷戦時代までは経済がうまくいったものだから、今のままでいいじゃないか、余計なことはしないでおこうとなっちゃったわけです。
  そうなると政治の世界でも、国を守るということが独立国家の基本なんだということさえ頭にないような人がたくさん大臣になってくる。それが一番の問題で、そういう状況の中で、自民党も立党の精神を忘れてしまったと思うんです。
  私は日本も普通の国になるべきだというんですが、普通の国とはなんだといったら、アメリカに対してイギリス、フランス、ドイツといった国の政治家がいっているようなことを、日本の政治家も普通にいえるというようにならなければ、おかしいのではないかと思う。
p166~
  今の日本には、とにかく中国に遠慮する、いわゆる親中派といわれる政治家が一杯いますね。これに対して保守派といわれる人たちがいるけれども、この保守派というのは、「アメリカ派」なんだね。彼らの多くは親米の保守派で、アメリカ派なんです。日本には日本の国益のために考えて動く「日本派」の政治家がほとんどいない。だからアメリカ派と中国派が政治抗争をやってるみたいななのが今の日本の政治の状況。それで自民党と民主党に分かれているようなところがあります。だから私は、日本の国益を徹底的に考える人たちが集まった日本派の政党ができていかないと、日本は立ち直れないのではないかと思うんですよね。


新刊JP
書籍名:自立する国家へ!
著者名:田母神 俊雄, 天木 直人
出版社:ベストセラーズ
定価:840円
 * * * * *
元自衛官・元外交官が日本の防衛・外交を激論!
 昨年12月26日に発足した第二次安倍内閣ですが、この内閣で最重要課題の一つに挙げられるのが日米関係です。民主党政権が揺るがせてしまったアメリカとの関係を今後どのような方向に持っていくべきかということに大きな注目が集まっています。
  本書は元外交官(駐レバノン特命全権大使)でリベラル・護憲派論客として知られる天木直人氏と、元航空幕僚長で保守路線を貫く田母神俊雄氏が、今後の自主防衛策と日本外交が進むべき道を論じる一冊。言ってみれば右翼と左翼、思想や主張がまったく違う両氏ですが、共通しているのは日本は対米追従路線、つまりアメリカのいいなりである現状から脱却すべきという主張です。
  そこには、反骨の外交官・自衛官としてのキャリアの積み重ねが反映しているのです。
■ 戦闘機の国産化を妨げるアメリカ
 自衛官だった田母神氏は防衛庁と自衛隊の対米追従を指摘しています。
  同氏によると、アメリカから購入する装備品の価格はあってないようなもので、日本は世界一高い価格で購入させられているといいます。
  それならわざわざアメリカから買わず、日本の技術力を生かして国内生産すればいいはず。しかし、アメリカはそれを許しておらず、日本の防衛産業の自立をさまたげているばかりか、私たちの税金がアメリカの軍需企業に流れているという現状を作りだしているのです。さらに、兵器やミサイルに組み込まれているシステムソフトまでアメリカに握られていることも指摘しています。氏は、アメリカと日本は親子関係にあり、今まさに、日本の親離れが問われていると主張しています。
■ TPP問題で自国は例外を要求、日本には認めないアメリカ
 防衛だけではありません。天木氏は経済面でのアメリカ追従の危険性を語ります。
  その象徴が参加するかどうかで論争となっているTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)です。
  TPPは単なる貿易の自由化ではなく、この協定のメンバー間に限った自由化であり、メンバー外の国との間に差別が生じます。これは、戦後の自由貿易体制であるGATT/WTOの原則「無差別の貿易自由化」と衝突します。
  本来、貿易自由化を進めるならばGATT/WTO体制の下で行うのが筋であるはずです。それでもアメリカが日本にTPP参加を迫るのは、アメリカの目的が単に貿易の自由化だけでなく、市場の開放をはじめとしたよりアメリカに都合のいい社会構造への変革を日本に強いているとも言えます。
  天木氏はこの他にも、元外交官の立場からアメリカの横暴さや狡猾さに言及していきます。
■ 憲法改正、集団的自衛権行使を可能に…では安倍政権は失敗する
  防衛・経済をはじめとした様々な分野でアメリカのいいなりになってきた日本ですが、安倍政権では憲法第9条を変え、集団的自衛権の行使を可能にして軍事的にアメリカと対等になろうとしています。自衛隊にかわる国防軍の創設も憲法改正草案に掲げています。
  しかし、天木さんはこの方法を、「アメリカの本質を知らない独りよがりの考え」として、軍事的に強くなることではなく、まずは不平等な内容である日米同盟(安保条約)と決別するべきだと言います。
  そもそも、アメリカが自国と軍事的に対等な国を認めるはずがありませんし、アメリカは日本を対等に見てはいないのです。その証拠として、天木さんはケビン・メア元アメリカ沖縄総領事が『決断できない日本』(文藝春秋/刊)に書いた「日本が日米同盟を本当に重要と思うなら、なぜ沖縄人や日本国民に負担をがまんしろといわないのか、日米同盟を重視する態度が見えない」という一文を取り上げています。
  まだまだアメリカに対する従属度が足りない。
  これがアメリカの本音なのです。
  本書には、元・外交官・自衛官だからこそ知りえた日本の対米政策のずさんさや矛盾が、これまで日本国民に明かされてこなかった事実の数々と共に綴られています。
  新政権発足で注目される日本の対米政策ですが、歯に衣着せぬ二人の意見を読むと、マスコミが当然のように報道している“同盟国”“友人”といった日米関係だけでなく、真の関係性が見えてくるはずです。アメリカが日本を「友達」だと思っていない証拠や、安倍首相の訪米(オバマ会談)の調整が難行している舞台裏も読み取れるはずです。 (新刊JP編集部)
 * * * * *
田母神 俊雄(たもがみ としお)
 1948年、福島県郡山市生まれ。67年、防衛大学電気工学科(第15期)入学。卒業後の71年、航空自衛隊入隊。地対空ミサイルの運用幹部として部隊勤務10年。統合幕僚学校長、航空総隊司令官などを経て、2007年、第29代航空幕僚長に就任。08年、民間の懸賞論文へ応募した作品が政府見解と異なるものであったことが問題視され、幕僚長を更迭される。同年11月3日付で定年退職。同年11月11日、参議院防衛委員会に参考人招致されたが、論文内容を否定するものでないことを改めて強調した。その後は執筆、講演活動を中心に活躍。『自らの身は顧みず』(WAC)『田母神塾』(双葉社)、『田母神大学校』(徳間書店)『間接侵略に立ち向かえ』(宝島社)『ほんとうは強い日本』(PHP新書)『日本はもっとほめられていい』(廣済堂新書)『日本を守りたい日本人の反撃』一色正春との共著(産経新聞出版)など著書多数。人気のツイッターは常に上位をキープしている。
天木 直人(あまき なおと)
 1947年、山口県下関市生まれ。69年、京都大学法学部中退後、上級職として外務省入省。中近東アフリカ局アフリカ第二課長、内閣安全保障室審議官、在マレーシア日本国大使館公使、在オーストラリア日本国大使館公使、在カナダ日本国大使館公使、在デトロイト日本国総領事などを経て、01年2月から駐レバノン日本国特命全権大使。03年8月末、小泉政権下、イラク戦争に反対し、外務省を解雇処分となる。その後、評論・執筆活動を続ける。日本ペンクラブ会員。23万超のベストセラーになった『さらば外務省!』をはじめ『さらば小泉純一郎!』『さらば日米同盟!』『ウラ読みニッポン』(以上、講談社)の他『イラク派兵を問う』(岩波書店)『九条新党宣言』(展望社)などがある。「天木直人のブログ―日本の動きを伝えたい―」で安倍新政権発足の日より「インターネット政党を立ち上げよう」の連載を開始している。


田母神俊雄著『田母神国軍 たったこれだけで日本は普通の国になる』(産経新聞出版)
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一触即発の中国・朝鮮半島情勢。米・韓・中、そして北朝鮮とどう渡り合えばいいのか 2011-01-12 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法〉
 田母神俊雄×三原じゅん子 新春対談「ニッポンの国防」 一触即発の中国・朝鮮半島情勢。米・韓・中、そして北朝鮮とどう渡り合えばいいのか
2011年01月12日(水) FRIDAY 永田町ディープスロート
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