元少年Aを直撃した『週刊文春』…記事は妄想と煽りだらけだった (LITERA 2016.2.26.)

2016-02-26 | 神戸 連続児童殺傷事件 酒鬼薔薇聖斗

元少年Aを直撃した文春の妄想記事
元少年Aは本当に「凶暴」で「更生していない」のか? 「週刊文春」の直撃記事は妄想と煽りだらけだった
 LITERA 2016.02.26.
 少年Aは今もヤバかった、あいつはやっぱり何をするかわからない、あんな凶暴な奴を野放しにしていていいのか。先週、「週刊文春」(文藝春秋)が神戸児童殺傷事件の「元少年A」直撃の一部始終を報道して以降、週刊誌やネットでこんなヒステリックな声が再び広がっている。
 たしかに、「文春」の記事を一読すると、元少年Aは今も危険人物であるとの印象を強く受ける。直撃した記者に対して、「命がけで来てんだろ?」というセリフで威嚇し、その後も1キロに渡って記者を追走、逃げる記者を「お前顔覚えたぞ」と鬼のような形相でにらみつける……。その姿は過去に少年犯罪を犯した人物というより、現役の凶暴犯のイメージだ。
 しかし、記事の中身を仔細に読み直してみると、このイメージは意図的につくられたもので、事実はまったくちがうことがわかってくる。ヤバいのはAではなく、むしろ記者の勝手な被害妄想をそのまま活字にし、Aの凶暴性と異常性をひたすら煽り続けた「文春」の記事のほうなのだ。
 まず、〈「神戸連続児童殺傷事件のことで」と伝えた瞬間、男の表情は一変。〉というリードからしてそうだ。これだけ読めば、読者は、「文春」が声をかけたとたん、Aがいきなり声を荒げ暴れたかのような印象をもつだろうが、しかし、実際のAはすぐに怒り出したわけではない。
 「文春」の記者は自宅アパートの駐輪場でAを待ち伏せし、買い物から帰って来たところを突然、声をかけているのだが、その際、Aは「違いますけど」「申し訳ないんですけど、ちょっと帰ってもらっていいですか」と、なんとか穏便に取材から逃げようとしていた。
 記者がさらに「我々の取材では、犯人、容疑者があなただと」と食い下がっても、「人違いされてるんで。申し訳ないけど、うん」と冷静に取材拒否を繰り返していた。
 ところが、その後も記者が「こちらにお住まいですよね」とさらに詰め寄るなど、2ぺージにわたる長いやり取りがあり、記者が手紙と名刺を手渡そうしたところで、Aが耐えられなくなって、切れてしまったのだ。
「文春」によれば、Aはそれまでのか細い声から一転し、「いらねえよ」「違うって言ってんだろ」とドスの利いた声で張り上げ、タイトルにもなった「命がけで来てんだろ」というセリフを繰り返し絶叫したという。
 そして、「文春」はこのセリフをもって、少年が今も凶暴性をもっていることを強調するのだが、ちょっと待ってほしい。
 直撃取材した相手に怒鳴られたり、激高したり、など週刊誌記者ならよくある話ではないか。直撃した場合でなくとも、告発者やインタビュイーなど、被取材者が記者に対して「命がけ」などと言ってコミットを求めることは珍しくない。
 加えて、「文春」は事件当時はもちろん、Aが『絶歌』(太田出版)を出版したときも、ホームページをオープンしたときも、一貫してAを糾弾する論陣を張っている。そんな相手にたった一度訪問しただけでスムーズにインタビューなどとれなくても、当たり前ではないか。
 自分たちで挑発しておいて、Aが怒り出した途端に犯罪予備軍扱いする。このやり口はいくらなんでも卑怯すぎるだろう。
 しかも、「文春」は、Aが怒り出す際の描写で、「“何か”をもっていることをアピールするためか、左手はずっとコートの中に入れていた」などと書いている。実際のAは左手をコートの中に入れていただけなのに、まるで刃物などの危険な武器をしのばせているように描くのだ。
 Aの表情を「左目は陶酔するかのように潤んでいた」と書いたのも同様だ。本当に潤んでいたのなら、「涙目」というのが普通だが、「陶酔」という言葉を使ったのは、Aが暴力的な行為に恍惚を感じている、精神鑑定の「性的サディズム」傾向は今も矯正されていないとのイメージを作り上げるためだろう。
 さらに、ひどいのは、怒ったA が記者に「お前、顔と名前、覚えたぞ」と言ったくだりだ。これも取材上のトラブルではよくあることだが、「文春」はこのセリフの後、「Aは、一度目に映ったものをいつでも再現できる直観像素質という能力を持つ」などと仰々しい解説をする。
 いやいや、記事にして2ページ分も会話をし、自分から名刺を渡しているのだから、そんな能力なんてなくても、顔と名前くらい覚えられる。こんなことまでA特有の異常な能力のように言い立てる妄想力にはほとほと呆れ返るしかない。
 その後の逃亡劇となると、もはやギャグだ。記者はそれまで執拗にAに食い下がり、追い詰めながら、Aがカメラの気配を察知して大声を上げたという理由だけで、急に身の危険を察知してその場から逃げ出す。
 そのうえで、勝手に「記者が車に戻っても、興奮状態のAに追いつかれれば、乗り込む時間的余裕はない」と大げさに危機感を募らせ、「照明のある場所を目指して、まず近くにあるショッピングモールの方向に走り出」すのだ。
 そして、「Aも全速力で追ってきた」「こちらに迫ってくる」「鬼のような形相で記者の顔を凝視」など、1キロにわたって追いかけてきたと、まるでサイコホラーのような筆致で恐怖体験を得々と語る。
 しかし、これ、A が写真を撮られたことに対してパニックを起こし、怒って写真を消去させようとしただけなのではないか。実際、Aは手記『絶歌』でも、職場の後輩にカメラを向けられた際、自分がパニックになって、カメラを壊してしまったことを告白している。いや、Aだけでなく、週刊誌に写真を隠し撮りされた有名人がカメラを叩き壊すトラブルなど、過去に山ほどある。
 しかも、「文春」を読むと、記者がたった一人で人目のないところで恐ろしい目に遭ったように思い込んでいる人も多いが、そんなことはまったくない。実際は直撃した記者だけでも2名、また近くにカメラマンを配置、さらにおそらくは車で待機している者。少なくとも3〜4名の「取材班」でAを訪れているのだ。
 夜、照明もない、暗く人目のない時間帯も場所も、何もAが指定して呼び出したわけではなく、記者たちが自らその時間と場所を選んで直撃しているのだ。3人がかりで自宅そばで不意打ちされ、住所も顔も名前も把握され、客観的に考えれば、元少年Aのほうがよっぽど恐ろしかったはずだ。
  もうひとつ、「文春」が悪質だったのは、電車に乗っているAを隠し撮りしたグラビアページだ。わざわざ「すぐ隣には男子児童が座る」などと思わせぶりなキャプションを入れ、連続児童殺傷事件を連想させてまるでAがその男子児童を狙ってでもいるかのような印象をつくりあげている。しかし、本文をよく読めば、この男子児童は後から乗り込んできてAの隣に座っただけのこと。250日の総力取材とやらのなかから、男子児童が隣に座ったこの写真をわざわざ選び抜いているのは、ゲスとしか言いようがない。
 ようするに、記者の勝手な妄想と煽りで、Aを“異常なモンスター”に仕立て、ひたすら「元少年Aは危ない」「更正していない」「危険」などと印象づけていくのだ。
 いや、ひどいのは編集部だけではない。記事に登場する専門家のコメントもひどい。
「我々は6年半かかって彼に矯正教育を施したわけですが、関東医療少年院を出てから十年間は成功していたのです。再犯することなく、賠償金を支払い、年に一回報告を兼ねて遺族に謝罪の手紙を書いていた。
  だけど社会の強い逆風の中で疲れてしまったんでしょう。彼は幻冬舎にのせられるようにして手記を出版してしまった。それによってこれまでの更正の道のりが台無しになりました。彼は(パリ人肉事件の)佐川一政氏を師として異端の世界で生きることを決めてしまったのかもしれません」(Aの更正に取り組んだ関東医療少年院の杉本研士元院長)
「今回の文春に対するヒステリックな対応も同様です。こうした行動から少年院での矯正教育が不十分であり、退院後も、専門家が継続的に支援を続ける必要があったと思います」(多くの犯罪者の心理鑑定を手掛けてきたという「こころぎふ臨床心理センター」代表の長谷川博一氏)
「手記出版以降の振る舞いで、医療少年院での『育て直し』は、一般社会に出たら効果がなかったことが明らかになりました」(犯罪者の矯正教育に詳しい五十嵐二葉弁護士)
「彼を犯行に至らしめた性的サディズムは矯正教育によって治療できたのかもしれません。ただ酒鬼薔薇聖斗の犯行声明文などの異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治っていないと言えます」(犯罪学が専門の小宮信夫立正大学教授)
 そろいもそろって、手記を出版したことをもって、更正していないと断じるのだ。たしかにAが手記を発表したことで、遺族感情が傷つけられたなど、大きな批判が巻き起こった。しかし、手記を出版することは犯罪ではない。
 あげくは「異常なまでの表現欲と自己顕示欲という病は、全く治ってない」という指摘である。
 まるで、表現欲そのものが犯罪みたいに書いているが、それを言うなら文藝春秋で書いてる作家はどうなるのか。自己顕示欲が罪なら、「週刊文春」で本を出してる作家も、テレビに出ている芸能人もみんな犯罪者だろう。炎上ツイートしまくりの百田尚樹センセイや巻頭の原色美女図鑑でポーズをきめている女優さんに「センセイ、その異常なまでの表現欲と自己顕示欲、ヤバいですよ。犯罪につながりますよ」とご注進してあげてはどうか。
「文春」もAが手記『絶歌』を出版したことを理由に「純粋な私人であるとは、とても言えないのではないか」などと言っているが、『絶歌』出版前から、この19年のあいだ、「文春」はじめ週刊誌各誌はたびたび、Aの近況を記事にしてきた。Aを題材にしたノンフィクション、フィクションと、たくさんの本も出版してきた。
 こうした過剰な報道がAの居場所を奪い、更正の機会をつぶす要因のひとつとなったことはまちがいないだろう。
 手記にしても、たまたまAが自らアプローチしたのが幻冬舎の見城徹氏で、出版したのが太田出版だったというだけで、Aに手記を出させようとアプローチを試みていた出版社はほかにもあるし、幻冬舎より前からAとコンタクトをとっていた記者もいる。
 もともとコミュニケーションに苦手意識のあるAが、犯罪者や異物を排除しようという空気がどんどん強まる社会のなかで、犯罪者の過去をもちながら、誰かと関係を結びはたらくことは至難の業だ。
 そうして行き場を失ったAが、最後に行き着いたのが手記の出版だった。表現することが、最後の居場所、唯一の生きる術だったのだ。生きる術であり、更正の手段でもあったろう。
 それにしても恐ろしいのは、このような記者の単なる被害妄想で書かれた記事によって、Aが更正していないという印象操作があたかも事実のように語られ、さらなる厳罰化が叫ばれることだ。
 少年事件の半数近くが5年以内に再犯を犯しているということを考えれば、事件から19 年再犯を犯しておらず、さらに遺族への謝罪の手紙、そして賠償金の支払いも定期的にしていたという意味では、十分に更正しているといって差し支えない。精神鑑定の性的サディズム傾向が事実なら、むしろ矯正プログラムが効果があったと考えるべきだろう。
「文春」はこの記事で、繰り返し「果して「元少年A」は本当に更正しているのか」という大義名分を叫んでいるが、その更正の機会を阻んでいるのは、当の「文春」ではないか。
 Aがアパートを借りた、バスに乗った、家で通販を受け取った、電車に乗って都心に出かけた、近くに公園がある、公園では子どもが遊んでいる……などと、ただの日常生活を執拗に暴いていく。そこに貫かれているのは、一度犯罪を犯した者が、アパートを借り、電車に乗り、雑踏に紛れ道を歩くことすら、許さないという姿勢だ。
 実際、今回の「文春」のグラビア写真をもとに、さっそくネットではAの住んでいる場所や最寄り駅が特定されている。Aの居場所を奪い更正の機会をつぶしているのは「文春」のほうだ。
 少年Aの事件からの19年を冷静に分析するなら、「思春期の性的サディズムは矯正可能である」「少年Aほどの重大な犯罪を犯しても再犯を犯さないよう更正できる」「ただし過剰な報道は社会復帰の妨げになる」というべきだろう。
「Aがどんな顔をしているかわかって安心した」「ありがとうセンテンススプリング!」などと、「文春」を讃える声がネットにはあふれているが、本当に恐ろしいのはAが近くに生活していることじゃない。Aを排除する社会のほうだろう。
 (酒井まど)

 ◎上記事は[LITERA]からの転載・引用です *リンク、強調(太字・着色)は来栖
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『絶歌』元少年A著 2015年6月 初版発行 〈毎年3月に入ると、被害者の方への手紙の準備に取りかかる。〉
 (抜粋)
p275~
 悪いことは重なった。仕事の休憩時間、持ち場で休んでいると、中国人の後輩がコンビニの使い捨てカメラをもって僕のところに来た。
「Aさん、Aさん、ワタシと写真、撮りましょう」
 屈託のない笑顔で、彼が言った。(略)僕は全身が強張った。写真が苦手だからと言って断ったが、彼は聞こえなかったのかじゃれるつもりだったのか、カメラを構え、僕の顔の真ん前でシャッターをきった。フラッシュの閃光が網膜を突き抜け、頭が真っ白になった。次の瞬間、僕は彼から乱暴にカメラを取り上げ、床に叩き付け、踏んで壊した。ハッと我に返って彼のほうを見ると、普段の姿から余りにかけ離れた、常軌を逸した僕の剣幕に強いショックを受けたのか、怯えた眼で僕を見つめていた。とんでもないことをしてしまったと思った。僕は財布から千円札を抜き取り、ごめん、と謝って、彼に差し出した。彼の眼の色が怯えから悲しみへと変わった。
p277~
 少年院を出て以来、彩花さんの命日である3月23日、淳君の命日である5月24日に、それぞれの遺族の方々に謝罪の手紙を送っていた。どれほど生活や気持ちに余裕がなくとも、それだけは欠かさずに続けた。
 毎年3月に入ると、手紙の準備に取りかかる。仕事に行く以外は家から一歩も出ず、ひたすら淳君のお父さん、彩花さんのお母さんがそれぞれに書かれた本を読み過去に録り溜めた自分の事件に関するドキュメントを、古いものから順に繰り返し視聴する。テレビは一切見ないし、音楽も聴かない。山籠もりのような状況に自分を置き、被害者のこと以外は何も考えない生活を3か月間送る。
p278~
 徐々に気持ちが不安定になり、犯行時の様子がフラッシュバックし、悪夢にうなされる日が続く。この時期になると、よく死刑の夢を見る。
p279~
 だが本当に辛いのは、手紙を出し終えてからだ。淳君のお父さん、彩花さんのお母さんは、毎年命日に合わせてメディアにコメントを発表する。僕からの謝罪の手紙が届いたことを明かし、それぞれに手紙を読んだ感想を述べる。僕も被害者の方も互いに相手がどこに住んでいるかを知らない。だからメディアを通じてしか僕は被害者の方たちの心情を知ることができない。コメントが出るまでのあいだ、僕は気が気でなくなる。(略)
 僕はふたつの動機から被害者に手紙を書き続けた。
 まずひとつは、純粋に贖罪の気持を伝えるためだ。僕はずっと罪の意識に苛まれてきた。本心からの謝罪の気持ちを、誠意を、決して被害者のことを忘れてはいないことを、自分のしたことで今も苦悩している姿を、自分の言葉できちんと伝えたかった。
 もうひとつは、「この一年間は、手を抜かずにしっかり生き切ることができただろうか? 」と、(p280~)自分に問いかけ、一年分の自分の生き方を棚卸するために、被害者の方への手紙を書く側面もある。もし被害者の方に気持ちが伝わらなければ、自分はこの一年間、無駄に生きたことになる。何も考えなかったことになる。事件当時のモンスターのまま、何も変わっていないことになる。自分だけではなく、これまで自分を信じ、支えてくれた人たちまで、裏切ることになる。それだけは絶対に嫌だった。
 年を追うごとに、手紙を出すことへの重圧が増した。命日が近付くたび、今年もちゃんとした手紙が書けるだろうかと、不安や恐怖に襲われ、限界を感じ、何も手につかなくなり、プレッシャーに押し潰されそうになる。
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元少年A手記出版「非礼では済まない乱暴なこと」杉本研士氏/事件直後、遺族からの損害賠償請求、約2億円
 (抜粋)
 A一家は事件直後、被害者遺族からの損害賠償請求を起こされ、約2億円の負債を背負っている。
「Aの両親は退職金や手記本『「少年A」この子を生んで……』の印税などで、これまで約8700万円を返済。Aの仮退院後も返済を続け、直近まで毎月7万円(Aが1万円、両親が6万円)を支払っていた。被害者の命日にもAが謝罪の手紙を送り続けてきた。
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5 コメント

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Unknown (繊細居士)
2016-02-28 17:05:33
速いですね~!(私が遅いのか(-"-;)
私も、リテラのこの記事を自分のブログに載せようとしていたら、もう宥子さんが先にアップされてました!(´д`ι)
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コメント、ありがとう (ゆうこ)
2016-02-28 21:17:49
 私は『週刊文春』当該号を読んでいなかった(買いたくなかった)ので判断できませんでしたが、リテラを読むことで、文春の記事内容が分かりました。『絶歌』(p275~)を踏まえて書いてあるのでリテラを信用できました。
 『絶歌』刊行前に(つまり読みもしないで)、被害者遺族が痛烈に出版自体を否定したため、公立図書館に於いてすら焚書・禁書扱いにするところが出たほどです。怖ろしいことです。犯罪者の更生を阻止するのは、このような社会です。どうか社会の皆さんには、『文春』的なものでなく、『絶歌』を読んで戴きたい。そこには、尋常な「人の心」が描かれています。
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その1 (繊細居士)
2016-02-29 12:06:57
疑問に思ったのは、『絶歌』が販売されたあたりで、『読書感想ブログ』を書いているブロガー達が「私は絶歌を読むことはありません」と宣言し、さらに少年Aの悪口をブログで書き始めたことです。それが読書感想文ブログを書く人たちのやることなのだろうか?と思いました。

『絶歌販売』の報道が激しかった頃、ネット上では元少年Aと永山則夫を比較して論ずる人達まで出てきました。「元少年Aは人としてダメだが、永山則夫は偉い!」なんて書いているブロガーもいました。

永山則夫ファンの私としては、胸中複雑でした。

そして、その「永山を褒め、元少年Aを罵るタイプ」のブロガーの永山則夫論を読んだんですが、「この人、本当に永山則夫を知ってるんだろうか?」というくらい永山則夫のことを把握してない人でした。(私も把握しているとは言えないんですが^^;)

たぶん、永山を褒めている人達というのは、永山の法廷闘争も思想も知らないし、「無知の涙」か「木橋」までしか読んでおらず、「永山は中学もろくに通ってなかったが一生懸命獄中で勉強した」という断片的美談情報くらいしか知らなかったようでした。(私も世の中のことを何でもわかってるわけじゃないので、偉そうなこと言えないんですが…)
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その2 (繊細居士)
2016-02-29 12:10:10
すいません。長くなったので文分けました。

ゆうこさんは既知かと思いますが、永山則夫は、反省も大いにした人なのですが、同時に激しい法廷闘争をして、思想がかなり左寄りで資本主義と階級社会をバッシングする意見を語り(「階級・格差が犯罪者を産む」の思想の人だったので)、それを本やビラとして発行し…永山はいわば自己主張と自己顕示欲のカタマリでした。永山は著名人達にも手紙を出しまくり獄中から喧嘩を売りまくり、東拘の面会室に自分に会いに来るように手紙で命令する…そんな人でした。自己顕示欲では永山則夫は元少年Aの比になりません。

今、『永山則夫の大暴れ』を現代の人が目の当たりにしたら、永山を褒めるどころか「とんでもない殺人者だ」とバッシングする人が多数発生すると思います。


「反―寺山修司論」を読めばわかるのですが、永山則夫の思想と目的のうちの1つは、【犯罪者差別を世の中から無くすこと】でした。永山は『犯罪者も社会が産んだものであり、同じ人間だ』と国民全体に理解してほしかったんですね。

永山ファンの私としては、巷の人らから【元少年Aをこき下ろすために、永山則夫をダシに使われた】のは、大変残念です。

「元少年Aはダメだが、永山則夫は偉い!」なんて言われても、天国の永山は喜ぶどころか落胆していると思います。「俺が生前必死に訴えたことが、国民に浸透してない」と。
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コメント、ありがとう (ゆうこ)
2016-03-01 10:44:27
 元少年A(酒鬼薔薇聖斗)の事件は、私の裡では、永山さんとは繋がらないんですね。
 永山さんの著作で読んだのは『木橋』『無知の涙』ですが、内容をすっかり忘れてしまっています。佐木隆三著『死刑囚永山則夫』(1994年発行)は、裁判書類をHPへ上げましたし、結構記憶しています。永山さんにではなく、裁判の推移に興味があって読んだのでした。最高刑が予想される事案の場合、決まって永山基準(1981年東京高裁「船田判決」、1983年最高裁判決)が引き合いに出されたものです。・・・今ではすっかり「転倒」してしまっていますが。 転倒した永山基準の理念、裁判員裁判によって、司法は更に無茶苦茶になってしまいました。

*【「凶悪犯罪」とは何か(1~4) 【2】光市事件最高裁判決の踏み出したもの】 http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/04666871bc525516dbe5d79809f67642
*「石巻3人殺傷少年事件に死刑判決 「永山基準」理念の転倒/死刑粗製乱造時代の始まり」 http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/40c49ceba57087ced321d423647c7bf2

 『絶歌』で元少年Aは『死刑でいいです』(池谷孝司著 共同通信社刊)を読んだこと、そして山地悠紀夫さんについて、大部の紙幅を割いて書いています。読みながら、元少年Aの心の中を垣間見たような気がしました。先ずは対象物を知る(読む)こと、それからですね。

*「山地が逮捕時に見せた微笑み…あれほど絶望した人間の顔を僕は見たことがなかった」元少年A著『絶歌』 http://blog.goo.ne.jp/kanayame_47/e/7f297422372a7069693f40e8fc72ce3e
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