<座間事件裁判>白石隆浩被告、最後の被告人質問 「母のことで頭がいっぱい」 面会や手紙一度もなく 2020/11/25

2020-11-27 | 死刑/重刑/生命犯

<座間事件裁判>白石被告、最後の被告人質問 「母のことで頭がいっぱい」 面会や手紙一度もなく 
 2020年11月26日 13時28分  東京新聞
 神奈川県座間市のアパートで2017年に男女9人が殺害された事件で、強盗強制性交殺人罪などに問われた無職白石隆浩被告(30)の裁判員裁判は25日、東京地裁立川支部(矢野直邦裁判長)で、最後の被告人質問があった。白石被告は「速やかな刑の執行で償いたい」と、判決内容によらず控訴しない意向を示した。法廷に立った遺族は涙ながらに極刑を望んだ。

 検察側から公判を振り返っての心境を聞かれた白石被告は「(24日に)母親の調書が読まれ、母親のことで頭がいっぱい」と答えた。家族の面会や手紙は一度もなく「さみしい」とし、もし母や妹が自分の犯行の被害者となったら「(犯人を)執拗に追い詰め殺しに行く」と語った。
 一方で被害者には「一部に対しては深い後悔が持てないのが正直な気持ち」と発言。最初の被害者や子どもがいた被害者ら4人に限定し「申し訳ございませんでした」と述べた。
 判決については「親族に迷惑をかけたくないため、判決が出たら控訴せず、おとなしく罪を認めて罰を受ける」「(死刑は)怖い」などと話した。
 被害者の同意による承諾殺人罪を主張する弁護側は、被告が9人を殺害する間に出会い、交際するなどしながら、殺害しなかった3人の女性について質問。弁護方針に反発する被告は大半の質問に「黙秘します」と回答を拒否した。
 26日に検察側の論告求刑と弁護側の最終弁論が行われ、結審する予定。(沢田千秋)

 ◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です


「育て方が悪かったの? なぜこんなことができるの?」9人殺害・白石被告、母親の悲痛な叫び
 2020/11/27(金) 12:12配信 文春オンライン
 11月26日、2017年に神奈川県座間市のアパートで男女9人が殺害された事件の裁判員裁判が結審した。検察側は死刑を求刑した。強盗、強制性交等殺人などで起訴された白石隆浩被告(30)の被告人質問を聞いていると、自身と、被害者の母親に関するエピソードがよく出てきた。
 改めて、法廷でのやりとりを振り返る。

「母親が心配している」という言葉を聞いて
 まず、殺害をしなかった女性3人のうち、Yさんは、「母親が心配している」と言ったことで、白石被告は実家へ帰宅することを許している。
 実は、6人目の被害者だったFさん(17歳、女性)も「母親が心配している」と言って、白石被告のアパートから帰ろうとしていた形跡がある。しかし、白石被告もFさんも寝てしまい、最初に白石被告が起きる。そのとき、Fさんが寝ている顔をみて、性欲が増したことから、レイプして殺害することを思いついたという。もちろん、月5000円でもいいから、お金を引っ張れるのなら、生かしてヒモになることを考えていた。ただ、「母親が心配している」という言葉を聞いて、女性を自宅に帰そうとする心情が湧いた。
 一方で、同じように「帰るかもしれない」と思ったEさん(26歳、女性)は殺害している。元夫とのやりとりのために、白石被告の部屋を何度も出入りしていた。Eさんからは、「夫とうまくいっていないことや、他にも彼氏がおり、その彼氏ともうまくいってないということを聞いていた」というが、実際には離婚をしていたので「元夫」になるし、彼氏がいたとしても不思議ではない。「子どもがいると聞いていたか?」と問われると、白石被告は「話が出ていない」と答えた。つまり、Eさんの母親の話と、Eさん自身が母親であることについての会話はなかった。

「母親」や「母性」へのこだわりがある?
 白石被告は「深い後悔がある」として4人の名前をあげたが、その一人がEさんだ。帰ろうとしていたときに、もし、いずれかの話があれば、殺害しなかったのだろうか。
 検察官は、Eさんの元夫への謝罪を促されたとき、白石被告は「まだ未来のある子どもさんに、しっかりと母性を伝えることができない状況にしてしまい、申し訳ありませんでした」と述べた。わざわざ「母性」という言葉を使った。白石被告は、「母親」や「母性」へのこだわりがあるのかもしれないと筆者は感じた。

母親とは7年間会っていない
 事件発覚から公判が始まるまで、少なくとも、報道レベルでは、母親の姿のイメージができない。ただ、拘置所での面会では、多少母親のことを聞くことができた。中学では塾に通っていたが、その理由は「親に言われてなんとなく」だと語り、筆者が「どちらか?」と聞くと、「母親です。父親は仕事中心で、子育ての時間はなかったです」と答えている。そして、思い出としては「料理」を挙げていた。
 そんな母親とは7年間会っていない。白石被告が卒業後、スーパーに就職したことで一人暮らしを始めた。その後に両親は離婚することになる。
 白石被告の逮捕後、家族から手紙が届いたことはなく、面会に訪れたこともないという。
「寂しいし、切ない。しかし、これだけのことをしたのだから、仕方がない。本当に申し訳ないことをした。自分の存在があったことを忘れて生活をしてほしい」
 白石被告は父親とは不仲で、そのために一人暮らしをしたといっても過言ではない。家族からの手紙がなく、面会にもこないがないことへの感情的な吐露は、母親を念頭に置いた発言ではないだろうかと筆者が思うほどだ。そんな母親の供述調書の一部を抜粋する。

 平成元(1989)年に夫と結婚し、平成2(1990)年10月9日、隆浩を出産しました。3086グラムでした。隆浩という名前は、いろいろな本を読んで、画数などから決めました。初めての子育てでした。幸せに暮らしていました。
 平成4(1992)年に長女を出産。手狭になったために、座間市内に家を買いました。年に1回は家族旅行をしたり、実家に行ったりしました。自由に物事を考えてもらいたいと、過剰には干渉しないようにしました。そのため、わがままに育ったかもしれません。言うことを聞かなくても、手を挙げることはしていません。
 5歳のとき、幼稚園に入りました。活発な子と比べると、内気でしたが、友達はできました。サッカークラブに入りましたが、ボールを回してもらえないため、1年でやめました。いじめがあったわけではありません。
 小学校の低学年では扁桃腺の病気があり、月1回は熱を出し、病院に行っていました。大人しい性格で、内弁慶でした。ただ、学校の出来事は話してくれました。小学校入学のとき、テレビゲームを買ってあげました。当時は1日2時間。ゲームに夢中でした。何度も注意しました。しかし、外にも遊びに行きました。
 小学校のころはよく外で走り回っていました。低学年のうちに、高学年で習う漢字を知っていました。ゲームの攻略本を読むのに調べたと言っていました。国語だけ、成績がよかったです。クリスマスや誕生日にも新しいゲームソフトを買ってあげました。
 中学に入ると、ゲームの時間が守れなくなりました。しかし、注意をすると、最終的には言うことを聞いていました。野球部に入りましたが、1年でやめました。大人しいので個人競技が、向いていたと思います。このころ、学習塾へ行きましたが、1年も経たずに行かないようになり、やめてしまいます。
 中3になると、成績は中の上。しかし、もともと勉強好きではないので、塾をやめると、成績は下位になりました。仲の良い子とはクラス分けで別々になり、この頃から、「学校へ行きたくない」「気が強い人ばかりなので合わない」と話し、不登校になりました。食事のとき以外は部屋に閉じこもるようになりました。必要最低限の会話のみになりました。
 高校受験は、大学を目指してもらいたかったのですが、少しでも就職に有利な学校へ行きました。家では、学校のことを話さなくなりました。高校ではクラブ活動に入ってないと思いますが、刑事さんから「柔道部に入っていなかったか?」と聞かれました。柔道着を持ち帰って来たことは記憶しています。体育で必要だったと思っていました。
 このころ、「高校はレベルが低い」「クラスメイトがだらだらしているからつまらない」といい、楽しい学校生活ではないようで、休みや遅刻が多くなってきていました。
 家にいるときはゲームをしていました。部屋は散らかっていました。ゲームの時間制限と部屋の掃除を約束したのですが、約束が守れないので、何度も注意しました。すると、「今するところだったのに、やる気がなくなった」と言い、人からの干渉を嫌っていました。
 何度も言っても言うことを聞かないと、夫が注意していましたが、言ってもゲームをやめないことがありました。そんなときは、ブレーカーを落とし、ゲームをやめさせました。隆浩は、部屋の壁に穴をあけるほど、激昂しました。夫とは会話がなくなっていきました。ただ、いつか親の言っていることをわかってもらいたいとは思っていました。
 高校時代はスーパーなどでアルバイトをしていました。スーパーはサミットです。卒業後、就職をしましたが、学校推薦では就職できませんでした。休みや遅刻が多かったからです。
 そのため、バイトをしていたサミットに就職しました。本意でなかったかもしれません。
 しかし、私も夫も安心しました。
 卒業するまでに家出を3回しています。北陸、山陰、北海道。山陰に行ったときは、電車賃を持っておらず、夫が迎えに行きました。このころ、ケータイで自殺系サイトを見ていました。自殺するために家出をしたのではないでしょうか。数日間で帰宅しました。「どうでもいい」「生きていてもしかたがない」と口にしていましたが、突発的に死にたいと思ったのではないでしょうか。「そんなことをしたらだめだよ。生きてさえいれば、いいことはあるよ」と言いました。自殺未遂や自傷行為は見たことはありませんが、練炭自殺のグループに行ったことがあると言ったことがありました。
 サミットでは、ベーカリー部門の担当になりました。××店だったので一人暮らしをしました。不器用でむいていないのではないかと思いましたが、応援していました。この頃、私は夫と別居することを考えましたが、隆浩には相談していません。
 夫は「隆浩のことは俺に任せてくれ」「連絡は取らないでほしい」と言っていました。連絡をとると、私にお金を求めることが予想されたためです。たしかに、連絡がありましたが、私の口座から隆浩の口座に振り込んだこともあります。先輩との付き合いだ、と言っていました。その後は、連絡をとっていません。
 一緒に住んでいたことを考えると、このような事件を起こすとは信じられない。なぜか知りたいです。育て方が悪かったの? なぜこんなことができるの? ご遺族に謝っても謝りきれない。

猟奇性の根源を探ることができない
 白石被告は、11月24日、母親の供述調書が読み上げられたことについて、「今はそのこと(母親の供述調書)で頭がいっぱいです。本当に迷惑をかけたんだな」と話した。母親のことになると、いろんな感情がめぐったのだろう。
 ただ、調書など明るみに出た情報では、白石被告の猟奇性の根源を探ることができない。問題にするほどの親子関係でもない。精神鑑定をした精神科医は、父親とは面会しているものの、母親とはしてない。
 弁護側は、11月26日の最終弁論にて、白石被告が母親や妹と面会してないことを指摘した。鑑定書の欄には「家族歴」がなく、証拠提出されていない「メモ」があるだけで、検証可能な方法になっていないとして、精神鑑定に疑問を投げかけている。
 渋井 哲也

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です
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