遠藤周作著『私にとって神とは』---聖書はイエスの生涯をありのまま、忠実に書いているわけではない---原始キリスト教団によって素材を変容させ創作した

2019-12-22 | 本/演劇…など

『私にとって神とは』遠藤周作 光文社文庫 1988年11月20日 初版1刷発行  2018年5月20日 14刷発行

p47~
 問題がなくて読んでいたって、つまらないでしょうねえ、よくわかりますよ。でもねえ、聖書というものはイエスの生涯をありのまま、忠実に書いているわけではないんですよ。仮にイエスの生涯を書いているとしても、私は聖書は文学でもあるんだとも思っているんです。つまり現実の素材をそのまま使っているのではなくて、書き手の理念によって変化せしめているものを文学というならば、原始キリスト教団という(p48~)書き手によって素材をある意味で変容させ創作したのが聖書ではないかと思います。
 それはともかく、むかし、あなたと同じように私も聖書を読んでいて、おもしろくないなと思っていたんです。学生の頃です。やがてこれはイエスを中心に読んでいたからだ、イエスを取りまいている人のほうを中心にして読んでみようと思いました。するとイエスを取りまく者は、みんなぐうたらなんですね。
 イエスにあれほどつきまとって、先生と共に死にます、なんて言っていた弟子が、最後にローマ兵が来たら、クモの子を散らすように逃げているんです。弟子のうちの頭であるペテロまでも、イエスが言ったとおり、鶏が鳴く前に三度も「あんな人(イエス)を私は知らない」と言っているわけですから、私は、あっこれならおれと同じだと思ったんです。私はこの時のペテロに自分を見たような気がしたのです。
 はっきり言ったら、あの使徒たちは全部ユダです。聖書では裏切りをユダだけに集中しているけれども、全部ユダと同じものがあったと言えるんじゃないでしょうか。
 福音書の書かれた順序から言えば、マルコによる福音書というのが一番古い。次にマタイ、ルカとなっているのですが、たとえば時代が下がれば下がるほど、エルサレムの(p49~)キリスト教徒の中心人物であったペテロの裏切り方がだんだん少なくなっていますよ。つまり修正しているんです。そういうところも読んでいるとなかなかおもしろい。その一番古いマルコによる福音書には、イエスを裏切ったことははっきり書かれています。それがだんだん弱まってきますが、いずれにしろ裏切っていることは確かです。裏切った弟子たちがイエスの死んだ後になって原始キリスト教団をつくり、最後は、みんな殉教してしまう。そのように裏切りをするような弱虫が強虫になっていった。強虫という言葉はおかしいですが、比喩としてあえて使いますと、弱虫がなぜ強虫になったのかというところが、私にとって聖書のおもしろいところでした。弱い人間を強い人間に変えたXがそこで働いたと考えざるを得なかったのです。(以下略)

p50~

   イエスが言った言葉

 聖書は、ありのままのイエスの生涯を書いたのではありません。イエスが死んだ後、イエスの言葉についての伝承を担う教団があったわけです。その教団にはイエスの言葉を集めたイエス語録ともいうべきものが当時あったらしく、このイエス語録(それを学者は「Q」と呼びます)と伝承とを組み合わせ、自分たちの教団の信仰理念をそこへ投入してつくられたのがマルコによる福音書です。さらにそのマルコによる福音書を参考にして、Q資料とそのほかにあったM資料とを参照してこれも自分たち教団の信仰理念でつくったのが、ルカによる福音書とかマタイによる福音書です。
 そういう意味で、聖書には本当にイエスが送った生涯や言葉が必ずしもそのまま書かれているとはいえません。原始キリスト教団の共同的な祈りをイエスの言葉みたいにして放り込んだりもしています。だから、イエスの本当の言葉や行動はどれだろうという新約研究が近代になされています。
p51~
 イエスはアラム語を使っていました。われわれの手に入る最初の聖書はギリシャ語訳ですから、その中から、アラム語のおもかげを残しているものを取り出していって、また文脈などから、これがイエス語録にあったものだろう、またこの個所はイエスをキリストに神格化しているから、原始キリスト教団の理念によって書かれたものだろう、というふうに、分析していきます。そこから学者は原始キリスト教団の理念を見つけ、また背後にあるイエスの本当の考えを知ろうとします。しかし、それらのいずれも推定の域を出ませんし、はっきり言うと自分たちの視点で聖書を再解釈していて、正確ではありえないのです。
 たとえば、イエスはベトレヘムに生まれたと書かれています。旧約聖書を読むと、メシアはベトレヘムに生まれると書かれています。だから、イエスの生誕地をベトレヘムに持ってきたのではないかというふうに考えて、それを排除する。そのようにして腑分けしながら学者たちは本当のものを探していくのです。しかし、だからと言ってベトレヘムに生まれなかったという確証もない。
 イエスが12月25日に生まれたかどうかも、本当はわからないのです。長い間、(p52~)
12月説、3月説、中には8月説もありました。確実に言えるのは、ナザレに育ったということです。そしてそのナザレの父親ヨセフは、旅から旅へと全国を回っていた巡回労働者でした。
 兄弟のことも、カトリックでは、イエスに兄弟がいたことを認めません。カトリックはいとこだというんです。マリアは処女で、処女懐胎説をとっていますから。プロテスタントは兄弟だと言います。しかし、ユダヤ人たちは、いとこも、みんな兄弟と言っているから、どちらの説も正しいことになります。
 そういうふうに推理小説的に聖書を読むことからはじめると、興味も倍加します。しかしそのためには、現代聖書学者の本にかなり手を出さねばなりませんが。

  私個人の聖書の読み方

 聖書には、キリストは近々死ぬと何度も予告していて、言っていたとおりになるのに「主よ、主よ、なんぞ我を見捨てたまうや」という言葉がなぜでてくるのか、(p53~)ちょっとわからないと言う人がいます。
 さきにも言ったように、聖書というのはイエスの実際的な生涯を書いたものではないし、イエスの言ったことをそのまま書いたものでもありません。後の原始キリスト教団の考え方を投影ーーこれをケリグマ、信仰告白と言いますーーした信仰告白を書いたのであって、創作という考え方をしてもいいくらいです。
  (以下略)

p54~
 更にマルコによる福音書、マタイによる福音書、ルカによる福音書、みんな同じ話が書いてあるのならともかく、同じ話を書いていても、食い違うところがあります。イエスの受難の日なんて、日付まで食い違っています。その上、ヨハネによる福音書の中には、前の3つに書かれていなかったようなことがどんどん書かれています。どれが本当に正確なのかさえわからないということは、使った資料が共通していた部分と共通していなかった部分があったということなんです。
 最近の研究によれば、原始キリスト教団には、ガリラヤ派とかエルサレム派とかそのほか数えきれぬグループがいろいろあって、自分たちのそれぞれの信仰告白をそのイエス像に反映させたものを持っていました。
 マルコによる福音書は、ガリラヤ派の信仰の反映です。これに対して、エルサレム派というのがあって、この信仰はルカによる福音書にあらわれています。
 このように、聖書学の発展と共に正確なイエス伝というのはますます書けなくなってきました。正直、昔それを知った時は私もビックリ仰天しました。なにしろ、いままではそれが本当と思っていたイエス像を洗いなおさねばならなくなったのですから。
p55~
 赤岩栄(あかいわさかえ)という有名な牧師さんは、椎名麟三さんに洗礼をさずけた人ですが、いま言った聖書の近代研究を知るに至って、『キリスト教脱出記』というのを書き、キリスト教をやめたんです。そのぐらいのショックがあったわけです。


中野京子著『名画と読むイエス・キリストの物語』 〈来栖の独白〉私は初めてイエスというお方が解り始めたようだ。

  
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