別れといえば 昔より この人の世の 常なるを 流るる水を 眺むれば・・・ 〈来栖の独白 2016.9.20〉

2016-09-20 | 日録

〈来栖の独白 2016.9.20 Tue〉
 9月19日は、敬老の日であった。それに関するメディア報道は殆どが「高齢者人口、過去最多」というもの。もはや、高齢者人口の多さは、社会問題。
 そして、本日の dot. の記事によれば【2030年には47万人が「死に場所難民」に! 病院でも家でも死ねない人が続出とか。
 ここ数年来の地球の異常気象とともに、なんという殺伐とした風景であることだろう。
 日本では、野放図に医療が進歩したように思う。私から見れば、生きていることに疑問視せざるを得ない、自分なら耐えられない、拒否したいような「生の風景」が見られるようになった。私の母は、胃瘻により生きながらえている。5年前、一人っ子である私が、選択決断したことだった・・・。認知症を患ってもいる。
 超高齢化の社会、自分の将来は、考えるだに恐ろしい。認知症となった自己など、想像を絶する。
 どうぞして、人格崩壊する前に世を去りたいものである。
 最早、この世のことはすべて見た。“見るべき程のことは見つ”。未練はない。「死」となれば、愛する人と別れるわけだが、島崎藤村は「惜別の歌」のなかで云う。
 “流るる水”と。流れない水は、ない。水は流れるもの。人も然り。会者定離である。
 昨日、我が家の庭に紫式部の実をつけているのに気が付いた。昔、実家から一部を移植したもの。ここ数年来の地球の異常気象、亜熱帯のような日本の夏だったが、やっと秋になったようだ。
 昨夜の「フォレスタ」より
「惜別の歌」
 島崎藤村作詞・藤江英輔作曲
1.
 遠き別れに たえかねて
 この高殿(たかどの)に 登るかな
 悲しむなかれ 我が友よ
 旅の衣(ころも)を ととのえよ
2.
 別れといえば 昔より
 この人の世の 常なるを
 流るる水を 眺(なが)むれば
 夢はずかしき 涙かな
3.
 君がさやけき 目のいろも
 君くれないの くちびるも
 君がみどりの 黒髪も
 またいつか見ん この別れ
4.
 君が優しき なぐさめも
 君が楽しき うた声も
 君が心の 琴の音も
 またいつか聞かん この別れ 
―――――――――――――――――――――
『大往生したけりゃ医療とかかわるな』/食べないから死ぬのではない、「死に時」が来たから食べないのだ
◇  近年、人工呼吸器とともに議論の俎上に上がっているのが、「胃ろう」 2012-04-23
「胃瘻は一種の拷問 人間かと思うような悲惨な姿になる」中村仁一著『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 2012-05-10
..............................


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
尊厳死を選びたい (ひろ)
2016-09-20 22:17:01
自分の最後の死に方は自分で選びたい。
そう夫と話し合っていたおかげで昨年夏夫の最後は
迷うことなく苦痛を取り除くモルヒネだけにして静かに
旅立ちました。アルツハイマーと診断されて3年、
最後の幕を引いたのは私だったのかもしれませんが
今、私に延命を選ばなかった後悔はありません。
この頃の医療の進歩が幸せの進歩ばかりとは思えない。
こちらのブログでまた、そう思いました。
返信する
Re;尊厳死を選びたい (ゆうこ)
2016-09-21 15:12:33
ひろ様
 コメント、ありがとうございました。
 心が休まりました。本当に感謝です。
 ご主人さま、天国からひろ様を見守っておいでですね。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。