『女帝 小池百合子』で「カイロ大学」問題はもう正直、どうでもよくなった
矢部万紀子 コラムニスト
2020年06月15日
6月12日、小池百合子東京都知事が出馬表明をした。都知事選の告示は6月18日。カラオケも遊園地も営業ができる東京で、小池さんは再選を目指す。
彼女が目立ちに目立っているという話を「論座」で書いたのは、1カ月以上も前だ。コロナに関連し「何かを決める」場面で出てくるのは、みんなおっさん。中でただ一人の女性が小池さんで、痛快ではあるけれど、素直に喜べない。そんなことを書いた。
記事の最後、小池さんの著書『女子の本懐――市ヶ谷の55日』(2007年)に触れた。4月に開かれたオンラインシンポジウム「今こそ『小池百合子論』 フェミニストが語る女性と政治」で、元衆院議員の井戸まさえさんが「小池さんの黒さが読み取れる」と語っていた本だ。読んで、原稿を書くと予告させてもらった。
というわけで、再びの小池百合子論だ。
『女帝 小池百合子』石井妙子(文芸春秋)
『女子の本懐』を2度読んだ。5月30日に石井妙子さんによる『女帝 小池百合子』が発売されたので、『女子の本懐』→『女帝 小池百合子』→『女子の本懐』。その順で読んだ。『女帝』(以後、こう表記する)はタイトルからもわかるが、ある種の告発本である。帯に「救世主か? “怪物”か? 彼女の真実の姿。」と書かれている。これをはさんで読んだことで、井戸さんの言う「黒さ」が見えてきたように思う。順を追って書いていく。
■2冊を読了すると、まるで『羅生門』のよう
初読の際、『女子の本懐』は「本人による本人のための本」だと思った。達者な筆で日常が描かれ、ディテールを面白く読んだりもしたが、結局のところ、私って思いがけず女性初の防衛大臣に任命されてね、こんな感じでいろいろやってね、潔く55日で辞めたのよ。そういう本だった。小池さんは政策には興味がなく、政治が好きなのね、ということがはっきりわかった。
ちなみにここで使った「政治」とは厳密な意味のそれではなく、会社などで「ほら、あの人って政治家だから」といった感じで使う時の「政治」。彼女はまさに政治家なので適切な表現になってないかもしれないが、ニュアンスはわかっていただけると思う。
3章からなる本で、「第一章 いざ防衛省へ」「第二章 『ひとり二・二六』との攻防」「第三章 一兵卒として」と勇ましい感じのタイトルが並ぶ。一番面白いのが、守屋武昌事務次官(当時)に交代を迫る第二章。「ひとり二・二六」とは、以下の文章からきている。「守屋次官も官邸を自由に泳ぎまわり、私の人事案阻止を訴えていたという。(略)大臣である私の人事案に、法律的には自衛隊員である次官、それも本人が異を唱えるのは、シビリアン・コントロールに反しないか。これでは『ひとり二・二六』である」。
守屋次官は結局、退任する。小池さんも辞めたのだが、それは責任をとる潔さなのだと何度も強調している。居座る次官を交代させたのだから、「攻防」は私の勝利。それこそ、「女子の本懐」。二章からは、彼女の認識がビシビシ伝わってくる。
一方、『女帝』は、小池さんの防衛大臣就任をこう書いている。「この人事が後々、政権に災いをもたらすことになる」。こちらはこちらで、読めば確かに災いだったと思えてくる。「事実」がどこにあるのかはわからない。2冊を読了すると、まるで黒澤明監督の映画『羅生門』のようだ。
三章は政策論にあてているのだが、面白くない。どんな課題でも歴史を振り返り、「パラダイムシフト」が必要だと説く。どういうふうにシフトさせるかについては、自分の成功事例(環境大臣時代の「クールビズ」その他)をあげることでよしとする。女性ならではの発想がパラダイムシフトだということだろう、自分語りに熱を入れる。わからなくもないのだが、具体策をもっと知りたいと思うのは、私だけではないはずだ。ついでに書くなら、小池さんは「辺野古移転」をどう考えたか、市ヶ谷にいた一、二章にも触れられていない。
女子の本懐を遂げた翌年(2008年)、小池さんは女性として初めて自民党総裁選に出馬した。5人中3位になったが、これが小池さんの「地味時代」の幕開けとなってしまう。防衛大臣を最後に大臣職には就けず、16年に都知事選に立候補。『女帝』では小池さんの都知事選出馬以降のことは、第6章に描かれている。タイトルは「復讐」だ。
■林修さんに見える人が小池さんには見えない
「地味時代」にも小池さんは、本を出している。13年に出したのが、『異端のススメ』。予備校講師にして売れっ子タレント・林修さんとの共著だ。読んでみると、『女子の本懐』よりもずっと面白かった。対談だから、自ずとというか、図らずもというか、小池さんが見えてくる。林さんは、少し人気が出ただけの予備校講師との対談をまさか引き受けてくださるとはと、冒頭からすごく恐縮している。
だが、話しだせば、お手のもの。彼の世の中を見る目の確かさがにじむ。日本の課題を、政治家である小池さんにぶつけていくのだ。例えば林さんは、昔はすごい切符切りとか活字工とか「職人」がいたのに、機械に代わられた。情報化時代に向いた能力を持っている人以外が、不当に生きづらい世の中になっている。政治でそれを是正してもらえないか。そう語る。
それを聞いた小池さんは、情報社会にビル・ゲイツが与えた影響力について語り出す。そして日本語のペラペラなインド人がいる、鳥の目で自分の立ち位置を確認せよ、と続ける。そして、こう言う。「ただ日本人だからというだけで、この日本でぬくぬく暮らせるかといったら、なかなか難しいと正直思いますね」。これで、この話を終える。
高校教員に休職者が多いという話も、林さんはする。気になっているのだ、と。小池さんは、こう返す。「それはその学校に籍を置いているわけですね。給与の支払いは?」。ある期間以降はなくなるようだと林さんは答え、問題は精神面で病むことだと重ねた。小池さんは、こう言った。「何を病むんですか」。
7年前、林さんは「勝ち組」「負け組」が定着しつつある世の中に疑問を感じていた。だから弱者目線で質問した。小池さんは、新自由主義的に返す。まとめるとそうなるかもしれないが、小池さんははぐらかしているだけのようにも見える。でも読み進むとわかるのは、小池さんには見えないということだ。林さんには見える「かつての切符切り名人」や「学校を休んでいる先生」が、小池さんには見えない。
■小池さんが一番好きなのは……
話を今に戻す。カイロ大学は6月8日、小池知事は「1976年10月にカイロ大学文学部社会学科を卒業したことを証明する」という声明を発表した。そう報道されていた。『女帝』に「カイロ大学卒」という経歴を否定する証言者が登場し、他メディアが追随したことを踏まえてのことだろう。
私の正直な気持ちを書くなら、もう「カイロ大学卒」が嘘でも本当でもどっちでもいい。「一事が万事」という言葉があるが、『女帝』が描いた「万事」の前に、「カイロ大学」という「一事」などかすんでしまう。そんな感じなのだ。女性なら誰しも、「上昇志向の強い女子」の一人や二人、すぐに思い浮かべられると思う。私もこれまで「百合子的な女子」を何人も見てきた。いや、見てきたつもりでいた。が、『女帝』を読むと、近くのミニ百合子は全然百合子じゃなかったと思い知らされる。
小池さんが自分のストーリーを盛ることが、何度も描かれる。多かれ少なかれ人にはあることだが、小池さんの盛り方は半端ではない。言っていることが時と場合で違い、それが活字や映像で残っても気にしない。気にしないことが肝心だということが、よくわかる。そして、これだと思った人には徹底してすり寄る。そのための努力は厭わない。そもそも使えない、または途中から使えなくなった、そういう人は切る。敵と定めたら、つぶす。そのことへの臆面のなさも肝心。そのことも、よくわかる。
■『女帝』を読んでいて、苦しかった
『女子の本懐』に戻る。初読で得た「小池さんは政策には興味がなくて、政治が好き」という印象は、まだまだぬるかったと再読して思った。小池さんが好きなのは、政治ではなくて権力の行使。そして一番好きなのは、自分だ。
守屋次官を追い詰める日々を、小池さんは実にいきいきと描いていた。主には第二章だが、「はじめに」でも第一章でも、守屋さんがどんなに困った存在だったかを匂わせる文章を折々にはさんでいた。追い詰める過程が楽しいのだ、追い詰めることのできた自分が好きなのだ。再読して、よくわかった。
ちなみに、五輪延期が決まり、新型コロナウイルス対策に集中しだしてから、小池さんは実にいきいきと見えた。「対策」という目標を定め、目的遂行のために数々の権力行使を重ねたに違いない。小池さんの弾む心を想像し、都庁職員に思いをはせた。それはそれは、大変だったに違いない。
『女帝』を読んでいて、苦しかった。小池さんの迫力、正直に書くなら毒気に当てられたようになった。著者は序章で、小池さんを「平成を代表する女性」と位置づけていた。「しょせんは権力者の添え物」「時代の徒花」という意見があることは知っているが、そこも含めて時代の特徴が現れていると見るべきだ、と。
読み終わった今、彼女を「女性の代表」にしたのが「平成」という時代です、以上終わり、では済まない気持ちでいる。彼女を代表とした「女性」って何だろうと思うようになった。彼女を代表にしたのは、「女性」だけの問題ではないと思う。だが、社会とか男性とか、そういうもののせいだけでも済まない。そう思う。なぜ度外れてたくましく、過剰な自分好きの小池さんなのか。自分のことで恐縮だが、昭和の終わりに社会に出て、平成を働いて過ごした。だから他人事とは思えない。なのに、答えが出ない。
私は、そして女性は、一体、何をしてきたのだろう。小池さんを見るたび、そのことを思う。カイロ大学の「卒業証書」は、遠くかすんでいく。
◎上記事は[論座]からの転載・引用です