死刑廃止することで被害者救済の道開ける 小説家・平野啓一郎さん
中日新聞 2023年7月28日 16時00分 (4月17日 16時46分更新)
被害者救うため考える世の中に
重罪を犯した人に命で償わせる刑罰、死刑。世論調査では約八割が「やむを得ない」と回答している。芥川賞作家の平野啓一郎さん(48)も死刑を必要と感じていた一人だったが、小説を書く中で、「死刑制度はあるべきではない」と翻意したという。昨年、出版した「死刑について」(岩波書店)に考えが変わっていく過程をまとめた平野さんの目には今、日本社会の姿がどう映るのか。 (北島忠輔)
-死刑制度の「存置派」から「廃止派」に。どう変わっていったのですか。
犯罪で「生」そのものがすべて失われてしまう被害者に対し、命を奪った側は人生が続く。その非対称な関係に対し、被害者はあまりに気の毒で、死刑は「あってもやむを得ない」と考えていました。
変化が生じたのは、二〇〇八年に出版した「決壊」がきっかけでした。「どうして人を殺してはいけないのか」という問いに対し、被害者の側から「死刑になるような犯罪を起こすと、社会がどんなふうに壊れてしまうのか」をつぶさに書くことで、人を殺してはいけないということを訴えたいと考えていました。
殺人という行為に対する嫌悪感を突き詰めていくと、殺人の禁止は人間社会の絶対的な規範であるべきなのに、「これだけの犯罪をしたんだから」と例外的に国家による殺人を容認するのは間違いだと思うようになりました。被害者を中心に書く中で、加害者の死刑に反対する気持ちになったのは、意図しなかったことでした。
-死刑制度の問題点をどう考えていますか。
死刑が確定した袴田巌さんの再審開始が決まった静岡一家四人殺害事件でも証拠の捏造(ねつぞう)が問題になっていますが、思い込みの捜査が冤罪(えんざい)を生むことがある。死刑に賛成する人たちは「ある日突然、親しい人が殺されたらどう思うか」と言いますが、ある日突然、無実なのに逮捕されて死刑判決を受け、処刑される人のことも考えるべきです。
次に、成育環境に恵まれない人による事件は社会の問題として考える必要があり、犯人を極刑にすることで問題が解決するとは思えません。法的にも、社会的にも、政治的にも、犯罪に至る前に救済されるべきだったのに放置され、事件が起きると「自己責任だ」と死刑にされてしまうことに矛盾を感じます。
-「加害者よりも被害者に寄り添うべきだ」との意見があります。
僕も犯罪被害者遺族に直接、話を聞きましたが、とても複雑でした。死刑存置派は多いですが、必ずしも死刑を望まない方もいるし、死刑を望んでいても、同時に司法の場で傷ついたり、その後の精神的ケアや経済的な支援が足りないと感じている方もいます。
犯罪で家族を失っても、法廷に遺影を持って入れない。収入がなくなっても、賠償を受けられずに貧困に陥る。精神的なダメージから立ち直れない。犯罪被害者がそんな状況に置かれている一方で、加害者は屋根がある部屋で食事が与えられ、弁護士が人権を守ってくれる。そのギャップを「おかしい」と感じる人はたくさんいます。
-だから、まず被害者の支援を充実させる必要がある、と。
凶悪犯罪者を死刑にして決着させる制度は、被害者に寄り添っているように見えて、第三者が被害者の多面的な痛みを忘れてしまう制度になりかねません。むしろ、死刑を廃止することで、被害者のために何ができるかを考える道が開けるというのが私の考えです。
被害者が経済的にも、精神的にも、十分なサポートを受けられるようになった時、社会にその優しさが浸透していくことで、犯罪が起きた背景に何があったのかというところに目が向くのではないでしょうか。
-死刑の廃止は、人権の面から考える必要があると訴えていますね。
どうして人を殺してはいけないのか。この問いに「憲法があるから」と答える人は少ないと思います。
宗教の戒律などの規範が重視される国とは違い、日本のような国では憲法に基本的人権の尊重が定められているといっても、「結局、フィクションだ」と思われてしまう。だけど、そこで「フィクションだから守らなければならない」と発想の転換をすべきです。
過去には人を殺してもいい時代がありましたが、今では「殺すべきではない」という思想をつくり上げた。だからこそ絶対的な規範として守るべきで、ある意味で不安定だからこそ例外規定を設けてはいけないと考えています。
-学校でも、そういう教え方はしませんね。
小学校では「相手の気持ちになって考えましょう」と教えられます。だから、子どもたちも、いじめられて学校に来られない人がいる時に「教育を受ける権利が奪われている」とは考えない。
もちろん、相手の立場で考える共感能力は大切ですが、人権を感情面だけで捉えてしまうことは危険です。なぜなら、死刑囚になるような共感できない相手には差別や暴力に対する歯止めが利かなくなってしまうから。権利の問題として考える発想が薄くなってしまうのです。人権教育のあり方は、死刑存廃の議論と結び付いていると思います。
-それが日本で死刑が支持され、なくならない理由だと指摘していますね。
死刑の問題を遺族感情、応報感情でしか捉えきれないことが大きい。テレビや映画でも、悪者は懲らしめられて当然という物語が浸透し、悪とどう対峙(たいじ)するかという時に、コミュニケーションの回路を開くという発想がありません。
最近では「真面目に生きている人が食べるのに苦労しているのに、どうして凶悪犯を生かしておくんだ」と経済合理性の観点から批判する人もいます。今の社会には、犯罪者は排除する以外の知恵がないのです。
-死刑存廃の議論は、平行線のように見えます。
やはり、議論を重ねることが重要です。賛成、反対の立場を自己表現として強調しても、共感する人にしか読んでもらえず、溝は埋まらない。僕の本もタイトルで悩みましたが、できるだけニュートラルにしました。そのおかげで、「自分は存置派だけど」という読者からの反響が予想より多かった。反対の立場の人でも参考になるところがある、ということが大切です。
-世界を見渡せば、死刑制度を廃止または事実上廃止した国が計百四十四カ国に上ります。
廃止するには政治決断が重要です。日本は難民認定にしても、性的少数者(LGBTなど)の権利擁護にしても、国際水準から取り残される中で制度が動いていく。米国も死刑の廃止や執行停止をする州が増えているが、結局は米国が本気で死刑廃止に向かい、人権問題となってきた時、日本も追従することになるのではないか。情けない話ですが。
-死刑が廃止されるなら、最高刑はどうあるべきでしょうか。
まずは終身刑となるでしょう。隔離はされていても、日常生活を送れる環境を整備すべきだと考えます。ただ、社会保障の充実とセットでないといけない。格差が大きく、悲惨な環境で生活する人がいる社会だと、「刑務所の方がよっぽどいい」となってしまう。
同じ世界に生きたくないという被害者の心情は理解できます。社会と切り離されたところで生活させるゾーニングという方法が一つの案。犯した罪のために社会と接点を持てなくなるのは重い刑罰だと思います。
ひらの・けいいちろう 1975年、愛知県蒲郡市生まれ。99年、京都大法学部在学中に発表した「日蝕」で第120回芥川賞を受賞。主な小説作品に「葬送」「決壊」(芸術選奨文部科学大臣新人賞)「マチネの終わりに」(渡辺淳一文学賞)「ある男」(読売文学賞)「本心」「空白を満たしなさい」など。海外でも評価が高く、各国で翻訳されている。今年、自身に大きな影響を与えた作家三島由紀夫の思想と行動を読み解いた「三島由紀夫論」を出版した。評論作品として「私とは何か 『個人』から『分人』へ」「『カッコいい』とは何か」などがある。ツイッターでは政治や社会問題を中心に意見を発信している。フォロワーは19万人超。
あなたに伝えたい
死刑を廃止することで、被害者のために何ができるかを考える道が開けるというのが私の考えです。
インタビューを終えて
「被告人を死刑に処する」。裁判の取材で死刑の宣告を聞くと、いつも緊張で喉が渇いた。自分と地続きの世界に生きる人の命が、私たちの社会が抱く制度によって奪われようとすることへの反応だったと思う。
「役に立たない人、異質な人を排除しようとする考えが広がっている。その究極が死刑」と平野さんは言う。死刑を「やむを得ない」と維持し続けることは、そういう社会のあり方を許容することでもある。
国内で盛り上がっているとはいえない、死刑を巡る議論。「なぜ、死刑はなくならないのか」を考えることは、私たちが生きる社会を見つめることでもある。
◎上記事は[中日新聞]からの転載・引用です