「凶悪犯罪」とは何か 光市裁判、木曽川・長良川裁判とメルトダウンする司法
1、三人の元少年に死刑判決が出た 木曽川・長良川事件高裁判決
2、光市事件最高裁判決の踏み出したもの
3、裁判の重罰傾向について
4、裁判員制度と死刑事件について
3、裁判の重罰傾向について
司会 メディアによる凶悪キャンペーン、司法の暴走についてお話いただいたのですが、こうしたことをふまえて最近、重罰化傾向が進んでいます。そして確定死刑囚が20年前25人だったのが、現在87人まで増えていますね。
村上 たしかにここ2,3年、死刑判決はものすごく増えていまして、死刑の判決の数が、永山最高裁判決以降、最高に達しております。2003年は1,2審で30件死刑判決がありまして(最高裁判決はゼロ)、2004年が42人(1,2,3審判決)、2005年が昨年の42人に次ぐ38人という多さになっている次第です。10年前はどうかというと、死刑判決が1996年には8人(1,2,3審判決)ですね。1997年以降、急激に増えて、その傾向が現在まで続いているのですね。
その原因は何かということなんですけど、一方で、少年が凶悪犯化している、少年による殺人事件が多くなっているとよくマスコミは言いますけど、統計を見ますと、全然増えていないんですよね。だから今、『犯罪白書』を見ますと、統計的には殺人事件のほか、あと死刑が適用されるような犯罪は減っている。しかし警察の発表では体感治安は悪いとか言っている。これは基本的に先ほどからも話題になったマスコミの報道の仕方に原因があるんだと思うんです。
去年12月6日、7日と日弁連で「人権と死刑を考える国際リーダーシップ会議」というのがありまして、そこでドイツのクリスチャン・プファイファーさん(ニーダーザクセン犯罪学研究所長、元ニーダーザクセン州司法大臣)という方が、日本のことについて、殺人被害者数も減少しているし、死刑が適用される可能性のある犯罪も減少している、しかし、死刑確定者は非常に増えてきているのはマスメディアの方針の変更があったからだろう、常に事件報道をして、それを見ている将来被害者になるかもしれない幸せな家庭の方たちが、それにすごく怯える、警戒するというような状態が繰り返されているんじゃないかとおっしゃっていました。そうしますと、、このような流れの中でマスメディアに非常に検察、裁判所が敏感になっていて、それで死刑判決が増えているということになると、こんなことが許されるのか、というのが正直僕の実感ですね。
実際に、今の死刑判決の傾向なんですけど、やはり1997年から増えているというのは検察が巻き返しを図り、5事件に対して死刑を求めた上告をしたのが1997年ですね。この頃から検察は、検察一覧表という「永山判決以後死刑の科刑を是認した最高裁判所の判例一覧表」を裁判に出すんですね。それを見ますと、1人を殺害した場合も死刑になっているし、2人殺害した場合も死刑になっている。死刑で確定したケースばかり出してきてますから、我々弁護人にすれば、もう自分の担当する事件は死刑だ、これはアカンというようなイメージを持つ。同様に裁判所もそれにミスリーディングされてるんじゃないかということを感じることがあります。このように1997年から検察の巻き返しがあった。そしてまた報道のあり方、被害者遺族の方の意見が出てきている。だから死刑判決はそれに乗っかって増えている、というのが今、僕の感じている分析です。
司会 97年のときに『年報・死刑廃止』で「暴走する検察庁5件連続上告を考える」(98年版、平川宗信・村岡啓一・安田好弘)という座談会をやりました。あのなかで97,98年の検察上告の5人とも無期に戻さなければということを言っていますが、1人だけ死刑が確定してしまったわけです。このことはその後、どう影響していますか。
村上 1人だけ破棄差し戻しされたんですよ。今までは、高裁で無期だったのを最高裁で破棄差し戻しするというのは、著しく正義に反しない限りは絶対にしないんです。最高裁はこの高裁の判決が無期判決で、まぁ死刑でもいいなと思っても、これは破棄しなければ正義に反すると言えない限りはそのまま上告を棄却しなくちゃいけない。正義に反するから破棄差し戻しするというのは今まで永山最高裁判決と上告5事件の広島の事件しかないんですよ。広島での事件は、強盗殺人で人を殺害し無期懲役になり、仮出獄中にまた同じ強盗殺人をやったということで、今までの裁判例の中でもやっぱり死刑なんですね。その死刑の是非は別にして、今までの裁判例の中でも上告、破棄差し戻しするときは裁判所は非常に悩みながら、それなりに理由を書いて破棄差し戻ししてきたんですよ。
今回、第3番目の例がこの光市の事件でして、およそ死刑なんて僕は信じられないっていう状況なんです。しかし、破棄差し戻ししてきた。その中の理由は全く悩みがない。もうとにかく2人殺して重大犯罪だ、だから死刑を選定しなさいという感じできました。ですから今までの裁判例、我々が日弁連で無期判決を一生懸命検討してきて、死刑判決よりも無期判決のほうが事案としては酷いものがたくさんあるじゃないかってことをまとめてきたんですけど、ある意味では今回の光市の事件で全ての基準をふっ飛ばさせたというのが僕の考えですね。だから、判例変更だとかそういう話は、本来大法廷でやらなきゃいかんのに、なんで大法廷でやらんのだということも、我々、陰では言ってますけど、それを言っちゃいますと、今度は、将来の裁判に影響しますので、事例判決と位置づけてやっていかないといけないと思ってますけど、ホンネはそういうことですね。今そういう状
況に至ったということです。
安田 先ほどから僕は社会全体がこういう状況になってきているんだという話もしたんですけれども、先ほどの、検察官が一斉に判例違反・量刑不当を理由に上告したのは、検察官が死刑判決がどんどん減っていくことに危機感を抱いたからだと聞いています。裁判官が死刑判決を避けようとしている、これに歯止めをかけなきゃならない、むしろ積極的に死刑判決を出すように促さなきゃならないと、そのために異例中の異例なんですけども無期懲役となった5事件を連続的に上告したわけですね。検察官がこのようなことをすればどうなるかというとですね、今までは量刑というのは高裁止りだったわけですね。高裁の判断で終わりとされていたものが、逆に最高裁まで審査されるとなってくると、量刑について検察に迎合的にならざるを得なくなるんですね。
僕は、死刑事件に関しては、量刑というのは常に強い、つまり死刑の方向にバイアスがかかると考えてきました。実際、実感としてもそうでした。つまり、1審では死刑だと言っておいたほうが、仮に重すぎるとして高裁で破棄されるとしても、その破棄のされ方というのは、「1審の死刑判決は容認できる。しかしその後の情状あるいは状況の変化を考慮すれば、現在では、死刑にしなくてもいいではないかと思料する」という形で、原審肯定の上での原判決破棄なんですね。ところが1審が無期だった場合は、高裁で「軽きに失する」と量刑誤判だと非難されるんですよね。ですからどうしても1審の裁判所というのは、死刑と無期で迷ったときは、死刑のほうに流れやすかったわけですね。そういう流れがあった中で、検察官が連続的に5件について上告までしたということで、地裁だけでなく高裁までが、検察の意見に従わなければ最高裁まで上げられるという危機感を抱き、死刑へのバイアスがかけられる現象が作り出されたんですね。検察は、死刑を回避しようとする裁判所にタガをはめ直した。そうすることによって、検察は、死刑を治安の根幹に据えて、治安政策を組み直そうとしていると思うんです。
それとちょうど時期を同じくするわけですけれども、光市の事件というのは1999年に起こるんですが、これは、「作られた凶悪事件」なんですね。殺害の態様とか、あるいは故意の問題にしても、被疑者が少年だったものですから、検察官によって思うがままに事件が作り上げられたんですね。起訴された事実、つまり強姦目的で被害者宅に入り込み、被害者にトイレの洗剤を噴霧して目眩ましをし、殺害してまでも強姦しようと考えて、被害者に馬乗りになって両親指で首を絞め、さらに両手で首を絞めて殺害し、子供さんについても、殺害しようとして頭上から逆さまに叩きつけ、さらに両手で首を絞め、遂には紐で首を絞めて殺害したとされているのですが、被告人には殺意もないし、両手で首を絞めるとか、頭上から床に叩きつけるとかの行為はまったくやっていないんですね。凶悪だとされる行為は、客観的に存在しないわけですよ。ここで見られるように、凶悪というの
は、やっぱり意図的に作り上げられているんですよ。作り上げようとする者の凶悪のイメージにそって、作り上げられていく。子供さんがお母さんのところにはいはいしてすがりつこうとしているのを引きはがして頭上から床に叩きつける、これなんか、ねつ造者の凶悪イメージの投影以外のなにものでもないですね。そして、そのイメージに共鳴して非難の合唱が生まれる。そして互いに刺激しあって遂には大合唱となる。そういう相乗関係の中にある。もっと言ってしまえば、やっぱり太鼓を叩く者がいる、その太鼓に応じてさらに太鼓をたたかせる者がいるんだという感じを受けるんです。検察が太鼓を叩き、太鼓を叩かせる、彼らが、強い政策を断行していると僕は思っているんです。
平川 一種の「力の刑事政策」でしょうね。
安田 いわゆる武断政治の流れという感じがしますね。
平川 犯罪対策、刑事政策にはいろいろな方向性がありえますが、力で押さえ込んでいくという方向性が目指されているという印象を受けますね。共謀罪でも、法務省は条約交渉の場で最初は日本の刑法の原理原則と合わないから受け入れられないということをかなり言っているわけですよね。ところが、それがある時点で変わって、今はこういう形で共謀罪法案ができている。それは、一種の力の刑事政策というか、国家が強力な力を持って押さえ込む、治安を維持していくという方向性になっているのだと思います。
安田 そうですね。検察の力がどんどん強くなってきまして、ロッキード事件の頃から自民党が検察を抑えることができなくなってしまって、政治が検察に支配される形になりましたね。その結果としてバブルの崩壊を契機として大蔵省が検察によって解体されて省庁の再編までいく。けがどんどんいわゆる治安機関や監督機関である独立行政法人のトップを占めていくという流れが続いていますよね。
僕が特に気になるのは、国策捜査が延々と当然のことのように行われていて、なおかつそれが検察による周到なマスコミ支配の下に、たとえばホリエモンが逮捕されたときに、元特捜のOBが各テレビ局に手分けして出演して特捜絶賛論を展開して世論形成をし、検察が推進しようとする政策の実現を図るという手法が上手に展開されている。死刑の急増にしろ、あるいは光市の最高裁判決にしろ、検察の意図的な世論操作という切り口で、もういっぺん見直してみる必要があると思うんです。
加藤 いま言った論理で治安維持と社会防衛ができるとほんとに信じているんですかね。
安田 帳尻だけですよね。
安田 彼らが考えていることですが、治安維持じゃなくて、治安維持を通して検察の勢力分野が拡がっていくということじゃないかなぁと思うんですね。たとえば、公安調査庁はもちろんのこと、今回の証券取引法の監視委員会なんていうのはまさに検察が握っていますし、金融機関やRCC(整理回収機構)の監督機関である預金保険機構なんかも検察が握っているわけです。今までは治安関係の看視だけだったんですけれど、今はもうどんどん拡大して、経済までが監視の対象になってきているわけですね。もう一つは、たとえば大手の1,2を争う貿易商社や銀行にはやっぱり検事長クラスが顧問としてちゃんと就任する。3,4番目ぐらいの会社には検事正クラスが顧問となる。そういうしっかりとした利権構造があって、そういうものがどんどん拡大していっているという印象を受けます。ですから治安維持というよりも利権の拡大という感じがするんです。
治安維持の面では、検察はこのかん治安が乱れているというキャンペーンをやってきましたね。統計上、傷害を殺人未遂に、傷害致死を殺人にカウントして凶悪犯罪の発生件数の水増しをやってきました。凶悪事件は減少ないし横ばいであるにもかかわらず、これが増大しかつ凶悪化しているとしているんです。これらに乗せられて、たとえば東京地裁でも未だに入り口にガードマンを配置して所持品検査をしていますし、それに誰も文句を言わないわけですよ。いったん治安関係で締め付けが行われたら最後、それを解放する方向へは物事は動かない。だから、検察の作りあげた治安政策は、どんどんエスカレートしていき、少々のことでは破綻しないような気がしますね。それに加えて、検察は、ライブドアなどの経済事犯にも積極的に手を出して、綱紀の粛清キャンペ
ーンをしています。検察にかかれば、IT産業で巨額の富を得ることは、綱紀の乱れということになるのでしょう。彼らは治安の維持を担うだけでなく社会全体の倫理や綱紀の維持をも担おうとしているんだと思いますね。しかし、つまるところ虚構の上に成り立っているものですから、いずれ破綻するのではないかと思いますけど。
平川 病気の治療と一緒で、事前に正しく現実把握をして実態に見合った刑事政策を取らないと、どこかで必ず変なことが起きます。今のように実態を正確に見ないでこのようなことをしていれば、社会の現実とズレたことをしているわけですから、必ず何か矛盾が起こって、どこかで必ず噴出してくるに決まっています。今、そういうことをしていると思います。それは、決してまともな結果は生み出しません。その矛盾は、ツケとして先へ回っていくなり、どこかで噴き出してくるなり、何らかの形で出てくると思いますね。
安田 外にエネルギーが向えばそれは犯罪として発現しますし、それが自分の内に向かったら自殺になるわけですから、自殺と他殺とを同じレベルで考えて良いと思うんです。そこらへんを見ただけでも、物事を治安だけで解決できるものではないんだということが明らかになると思いますね。
加藤 まさにそうですよね。人を見たら泥棒と思えというでしょ。ですから、孤立化を自ら促進しているわけですね。要するに協同して自分たちが何か新しいものを作っていくという流れを極度に押しとどめて、協力しないことによってガードする。でもそれはもう限界がある。すると治安を担当する人に委ねるという形にならざるをえない。でもそれでは社会自体の基本構造が、要するに作りあげていく共生社会からずっと遠ざかって、孤立化するところには先ほどの自殺も犯罪もはびこってくるという状況を作り出していることにどうしてもっと警鐘が鳴らされないのか。大合唱の方に向かっちゃっているとしたら、ちょっと怖い感じがいたしますね。
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◇ 「凶悪犯罪」とは何か(1~4) 【4】裁判員制度と死刑事件について
◇ 「凶悪犯罪」とは何か(1~4) 【3】裁判の重罰傾向について
◇ 「凶悪犯罪」とは何か(1~4) 【2】 光市事件最高裁判決の踏み出したもの
◇ 「凶悪犯罪」とは何か(1~4) 【1】3人の元少年に死刑判決が出た木曽川・長良川事件高裁判決
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