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本日K教会のミサ、司式はN神父。20代の神言会司祭。もし、カトリック修道士ではなく、仏教の僧侶だったなら、一つの物語でも生まれそうな端正な顔立ち。説教は凡庸だったが、清新な気風が終始漂う。教区でお年寄りの司祭ばかり目にしている目には、K教会のような50代の主任と神学生がいて、新進の司祭が助っ人でやってくる風景は、信じられないような思い。「神言会には、神学生が15人います。でも、日本人は2人です」と、N神父。
K教会でのオルガン弾きは、私の心の負担にはなっている。協調性の無い私には、「教会」という場が苦手だ。それと、新しい場でのオルガン弾きは、会衆の歌の速度などを飲み込むまで、ちょっと骨が折れる。
オルガン弾きになりたての頃、私は歌詞を頭に叩き込んだ。譜面を見なければならないので、歌詞を見ることは出来ない。覚えるしかなかった。今は歌詞は頭に入っているが、会衆の歌う速度は、やはり掴みにくい。曲によって、実に恣意的だ。一般的には楽器奏者の速度に歌う側が合わせるのだろうが、教会は、オルガンが歌い手に合わせる。
本日の司祭の説教。「イエスは、難儀なことに、嫌われ者を選んで仲間に入ってゆかれた。罪人であったり、酒飲みであったり。イエス御自身、律法を犯された」。教会のような、行いすました人たちの集まりの場は、私は苦手である。
明日から不在。帰省。
オルガン奉仕、うらやましいな、オルガン曲が好きな者で、奏楽も大変、会衆も、歌いずらい、早い遅い‥言ったり言わなかったり、
姉妹の奏楽わ〇〇の賜物 だから、父と子と、〇〇のみなによって祈りましよう〇〇様が力を与えて下さると信じましよう。
それから、取り澄ましたよいに見えても、心体、ラザロかも知れません、泣き暮らしてるかも、執り成し祈りませんか。