(2)「 小説を書くことって、不安で、孤独なんです。それを引き受けるのが作家の義務だと思います」吉田修一

2016-06-19 | 本/演劇…など

 作家と90分 > 小説を書くことって、不安で、孤独なんです。それを引き受けるのが作家の義務だと思います――吉田修一(2)
  【 作家と90分(1)「70年前も70年後も、人間は人間として在るはずだという思いで書きました」吉田修一 】からの続き

2016.05.01 07:30
――『横道世之介』はどうでしたか? 大学進学で上京してきた世之介くんの日常が描かれますが、舞台がバブルの頃で、吉田さんが同じように大学進学で上京してきた頃なんですよね。愛らしくて笑える物語。
吉田 設定は同じですけれど、世之介と自分は全然違いますしね。やっぱり自分ではない何かを書くという意味では同じようにチャレンジです。ただ、『世之介』に関しては、本当にその世界観が近しいので、他の作品よりも素で書けるんですよね。
――人なつこくてお気楽な世之介のほうが、普段の吉田さんに近いわけです。でもこれも実際にあった事故にもとづいたエピソードが出てきて、胸をつかまれました。あの事故は心に引っかかっていたんですか。
吉田 事故を知って、ものすごく物語が浮かんだんだと思うんですよね。人を助けにホームから線路に降りるという行動をした人のことですけれど。
 でも、なんか、こうして書いてきたものを振り返ってみると、自分はつねに前に跳ぶんじゃなくて、横に跳びながら進んでいくんだなあと思いますね。だって、『悪人』の次に『横道世之介』なわけだから。
――次に書くものは、今書いているものと全然違うものを書きたくなる、ということですよね。じゃあ『平成猿蟹合戦図』は最初どこに着目したんですか。いろんな人が絡まりあって、なぜか歌舞伎町のバーテンダーが選挙戦にうって出るという展開になっていく。
吉田 出発点は五島列島ですよね。五島に『悪人』のロケの見学に行ったときに、みんなで地元のスナックに入ったんです。そこに女の子がいて。その子が、歌舞伎町に子どもを連れて出てくるという、冒頭に出てくる女の子につながっています。
――一方、『太陽は動かない』(12年刊/のち幻冬舎文庫)はエンターテインメントに振り切った、スパイ小説ですよね。のちにエピソードゼロの『森は知っている』(15年幻冬舎刊)も刊行されています。
吉田 これは確かにエンタメです。他の小説は純文との区別なく書いてきていますが、これに関してはありますね。『パレード』から10年、幻冬舎の担当者に渾身の作品を渡したいと思っていて、そうなるとなかなか納得がいく作品が書けず、10年の間、何作も書いては自分でボツにしていたんです。とにかくどうせやるんなら、『パレード』を超えたいというのがあったんだと思います。
 ただ、書き始めたきっかけはエンタメとは対極のところにあったんですよ。ご存じだと思いますけど、大阪で子どもが母親に閉じ込められて餓死した事件、あれを書こうと思ったんです。それで、担当には「かなり暗い話になると思います」と言っていたんです。ルイ・マルって知っていますか。
――はい。映画監督です。『さよなら子供たち』とかの。
吉田 そう、ああいう映画のイメージになると思うから、そういうイラストを探してきてください、と言っていたくらいで。なのに2か月後には、ああいうスパイ小説を書いていたんですよね。何度も何度も書き直して、そうこうしているうちに、そこから一気にエンタメの方向に。
 なぜかと言うと、まず、あの事件で亡くなった子どもたちのことをかわいそうだと思っている時点で違うと感じたんです。それで書き方を変えようと思ってその子になりきってみたんです。本気で。最近はわりとそういう書き方が多いんですよ。閉じ込められて餓死するという時の気持ちになってみる。必死に想像してみる。すると、悲しいとかかわいそうとか、そういうことじゃなくて、やっぱり外に出て遊びたい、って思えてきたんです。だって男の子ですよ。船に乗りたい、車に乗りたい、空を飛びたい、そんな気持ちでいっぱいになってしまって。ああ、これなんだと思った時に、スパイの話にしようと思ったんです。
――だから船に乗って車に乗って飛行機乗って、アクションたっぷりの物語になりましたね。主人公の鷹野は好きなキャラクターですか。続編まで書いたということは。
吉田 個人的には大好きな作品ですね。今、第3部も書いているんです。『ウォーターゲーム』というタイトルで、完結編のつもりです。『太陽は動かない』の4年後という設定で、鷹野が35歳になって、ラストミッションに挑みます。今連載中だから、刊行は来年になるんじゃないでしょうか。
*台湾を好きになった理由
――そして『路(ルウ)』(12年刊/のち文春文庫)。これには台湾に日本の新幹線を走らせるというプロジェクトに関わる人たちが登場する、長年にわたる群像劇。吉田さんは台湾好きとしても有名ですよね。
吉田 台湾、好きですね。ただ、それこそ外国人を主人公に書くのはハードルが高かったですね。その上、ある意味、人の一生の話を書いていくというのもはじめての試みでしたし。
――これまでにいろんな国を旅されていますが、なぜそこまで台湾を好きになったのでしょうか。
吉田 無理やり理由をつけると、たぶん故郷の長崎にちょっと似ているんだと思う。気候とか湿気の感じとか。ただ、好きになるのに理由ないでしょ? 嫌いになる方ならあるけど。あと、台湾の人が好き。これは大きな理由ですね。最近回数は減ったけれども、年に1回は行っているのかな。
――『路(ルウ)』の翻訳が出た時は1週間ほど台湾にいてサイン会や各メディアの取材を受けて大変盛り上がっていましたよね。
吉田 サイン会は、これまでにソウルと台北でやらせてもらったけれど、やはり嬉しいもんですよ。ソウルは初めて行ったのが2006年だったのかな。『ランドマーク』(04年刊/のち講談社文庫)で行ったんだけれども、その前に『パレード』の評判が良かったらしくてその作家が来る、ということで……。もちろん吉本ばななさんや村上龍さんのようにすでに韓国でもすごく人気の人はいたけれど、今みたいに日本の小説がどんどん訳されている時期ではなかったので、驚きました。
――その次が『愛に乱暴』(13年新潮社刊)。新聞連載時は『愛の乱暴』だったのを、単行本化の際に『愛に乱暴』に変えたんですよね。確かに人間たちが“愛”というものに乱暴なんだ、という意味合いが出てきたほうがしっくりきます。これは主婦の日常ですが、夫に浮気されている主婦の日記と、愛人の日記とが出てくる、風変りな作りで。
吉田 実はその日記のからくり、担当編集者の夢なんです。「夢の中でずっと日記を読んでいたら、こういう感じだったんですよ、びっくりしちゃって」という話をずっと前に聞いて、それがこういう小説になったんです。――へええー。主人公の主婦がなぜかチェーンソーを買うという、謎の行動をとったりもしますが、これは。
吉田 ここ数年、なんか、憑依型なんですよ。前は書いている作品と自分の間に距離がわりとあったんです。でも『愛に乱暴』なんかは、書いている間、主人公の桃子になりきっているわけです(笑)。なので、チェーンソーを買う場面を書きながら、なんでこんなもん買っちゃうんだろうと普通に思いながら書いていました。書いているのは自分なのに。それで言うと、今は『ウォーターゲーム』でスパイの話を書いているわけだから、もう、ものすごい全能感なわけです(笑)。『太陽は動かない』の時もそうだったんですが、なんでもできる気がしているから、依頼の来た仕事を全部引き受けちゃうんですよ(笑)。冷静に考えると到底できるわけがないのに。
 その上、さっきも言ったように横跳びで前に進むもんだから、全能感満載のスパイの時に受けた仕事を、新しく創刊される『小説BOC』という雑誌で連載する物語のダメ男な主人公がやることになる。
 最悪なのが、このダメ男がなんと横道世之介だったりするんです(笑)。だから、スパイが引き受けた仕事を、横道世之介がやるという(笑)。今は完璧にダメ男になっているから、朝起きた時からもうダメで、十数年ぶりかにパチンコに通ったりして、ボケーっとしていて。スパイを書いている時なんか午前中からジム通ってたんですよ(笑)。
*みんなどこかしらマイノリティの部分を持っていて、戦っている
――じゃあ、『怒り』の時は誰が憑依していたんですか。これはどういう風に始まったんでしたっけ。
吉田 もう、全員ですよ。だからもう、毎日グッタリでした。新聞連載だったので、タイトルをまず決めなきゃいけない。それで『怒り』というタイトルをつけた瞬間に、作品の中で怒りを書くというよりは、怒りという言葉から出てきた作品がこれです、というイメージがあったように思います、今、時間が経ってから考えてみると。料理の中に材料として怒りというものが入っているというのではなく、怒りというものを見て作った料理があの作品、という感じですね。
――殺人を犯した青年が失踪し、警察が追うというストーリーがある一方で、東京、千葉、沖縄の3か所の人々が登場します。それぞれ、彼らと見知らぬ青年との出会いがある。読者としては、この3人の青年のうちの誰かが犯人なんだろうなと思うわけです。リンゼイさん殺害事件を思い起こしますが、事件や犯人を描くというより、目撃者を描きたかったそうですね。
吉田 それこそあの事件自体にそこまで興味はなかったんですが、公開捜査のなかで、自分の近しい人が市橋かもしれないとか、公園で出会った人がそうかもしれない、という通報がものすごい数ある、という話を聞いたんです。それでふと、自分の近くにいる人が殺人犯かもしれないと通報する心境ってどうだろうと思って。どういう人が電話しているんだろうか、と。それで、当初はそういう人たちを10人、20人くらい書こうと思ったんです。でも書き始めてみると、うまくいかないんですね。それでどんどん削って、最終的に残ったのがあの3か所の人たちでした。
 たまたまあの3組が残ったんですけれど、でもたぶん、共通していることがあって。さっき言った、それぞれがそれぞれの場所で戦っている人たちだったんですよね。その戦いは、たぶん他の人からは冷ややかに見られることもある戦い。たとえば娘が家出して、風俗で働いていて実家に連れ戻した千葉の父親の戦いって、はたから見たらそんなに真剣に受け取ってもらえないと思うんです。東京ではゲイの青年を出しましたし、沖縄は基地の問題がある。
 そうした問題って、本人が本気で怒れば怒るほど、世間がすーっと引いていくというか。作品の中でも映画の中にも出てきますけれど、そういう風潮があるじゃないですか。本気で怒っている人は、「うわ、この人本気だ」と言って引かれてしまう。あの感じが3組とも同じだったんです。
――何かを主張する時、自分が熱くなればなるほど、周囲が冷めていくような気がします。何かを声高に主張する時って難しいですよね。
吉田 本当に難しいと思う。でも、みんなどこかしらマイノリティの部分を持っていて、戦っているんだとは思うんです。必死に戦っているんだけれど、それがなかなか伝わらない。何も顔を赤くして、声を嗄らしている人だけが必死だとは限らない。
――刑事の言葉で「犯人は怒っている人が愚かに見えるんじゃないでしょうか」というのがあります。これは『悪人』の佳男さんを思い出させました。また、この『怒り』では、大切な人を疑う、疑わない、ということの難しさも描かれていますよね。人を信じるか信じないかの話でもある。
吉田 東京編で「あなたのことを疑っています」と相手に言うのは、信じているから言えると書きました。それは逆もあって、「あなたのことを信じています」と言うのは、疑っているから言うともいえる。それぞれの関係の中での話ですけれど、やっぱり難しいですよね。
*不安や孤独を引き受けるのが、小説を書く時の義務だと思う
――以前別の媒体で取材したときに、「自分が正しいと思う自信はない。揺らいでいるから書いている」とおっしゃったのは憶えていますか。「だけど、揺らげるということは自信があるからだと思う。自信がなかったら拠り所を探してしまうから」って。
吉田 そうですね。人に何かを伝える時に、「これが正しいと思う」と言った時点で、やっぱりちょっと違うような気がするんですよね。『怒り』では、自分に自信があれば、相手を信じられるという結論なんですよ。自分に自信がないと人のことも信じられないんですね。結局、自分を信じられるかどうかということですよね。
――どうしたら揺らいでいるままでいられるんでしょう。
吉田 難しいですよね。自分は正しいと思いたいですもんね。少し話は逸れますけど、例えば、子どもの頃の喧嘩なんかでも、全然負けていいと思っていたんですよ。兄弟げんかでも。
 僕は弟が一人ですが、近くに従兄もたくさんいて、喧嘩になるようなこともあったんです。そういうとき、勝たなきゃと思うと怖いんですけれど、負けてもいいんだと思うとそんなに怖くないんですよ。人間って、やっぱり負けるのが嫌。そこだと思うんですよね。揺らぎを残せるかどうかって。
――ああ、吉田さんは基本的に怒らなそう。争い事を全力で避けようとするタイプのように感じていました。そういえば、そもそも人との接触も避けがちというか、他の作家の方々とあまり交流しませんよね。対談の依頼なども基本断ることが多い。どうしてでしょうか。
吉田 そうですね。でも、慕っている先輩もいますし、慕ってくれている後輩も、たぶんどこかに一人くらいはいると思ってますよ(笑)。ただ、会わないだけで。
 でも、偉そうなことを言ってしまうと……、カッコよく言わせてもらうとね(笑)、小説を書くということはね、そのための孤独といいますか、不安といいますか、を引き受けるのが義務だと思うんですよ。だって怖いじゃないですか、一人っきりで小説を書くのって。不安だし、孤独だし。でもそれは小説家として絶対に引き受けなきゃいけない義務であって、だからこそ読者は一人になって小説に向き合ってくれるんだと思うんですよ。
 それは、僕自身がそうだったから。自分が本を読んでいる時に、この作家は絶対に苦しい時間、寂しい時間、一人っきりの時間を過ごしたはずだという前提で読むんですよ。そこで対等になれると僕は思っていて。とすると、作家の義務としては小説を書いているときぐらい、その孤独や不安は引き受けなきゃいけないと思うんですよ。誰かと話したくなるけど、それはしない。相談できないから作家なわけじゃないですか、小説なわけじゃないですか。それは昔からです。さっきも言いましたけど、最初に小説を書き始めた時に、「あ、一人になれるんだ」と思ったことが、ここにつながっているんだと思うんです。
――本当に、書き手と読み手が一対一で向き合う状態なわけですね。ああ、確かに個人的作業でできたものを個人に届けるというメディアではありますね、小説は。
吉田 だから僕は、ひとつの小説を複数の作家で書く、というような企画がちょっと苦手なのかもしれないですね。
*作家20周年を前に、いま思うこと
――編集者ともあまり相談はしないのですか。
吉田 作品の内容についてはほとんど話さないですね。逆に完成したあとの感想が気になりますね。担当者の感想で、自分が何を書けたのか、何を書けなかったのかは全部分かる。
 でも、相談できないというのは読者だって同じで、数日間、数週間その本と一対一で対峙するわけですよね。とすれば、お互いさまですよ。それに、その分、自分で考えられるわけだし。経験上ですが、一人になるとこんなにいろんなことがクリアになるのか、と驚くことありますからね。やっぱり最終的に一人というのは強いですよ。
 ただ、以前『悪人』の脚本を李相日さんと共同でやらせてもらった時、あれで相乗効果というものも分かりました。3人だったらもっと面白くなる可能性があるとすら思った。でも、個人的には、それは映画の土台となる脚本だからで、やっぱり小説とは違うような気がする。でも、これからは、こんな風に言っている人間が少数派になっていくんでしょうね。
――前に雑談で、「40代のうちは頑張ろうと思って」とおっしゃっていたのが気になっていたんですが、あれはどういう意味ですか。
吉田 河野多惠子さんに言われたんです。亡くなるちょっと前でした。「吉田君、作家というのは40代なのよ」って。「谷崎をごらんなさい」って、すごい名前を出されちゃって(笑)。「爆発ですよ」って。「作家は40代に何が書けるかというので、その後が決まる」みたいなお話をされていたんです。その時に40代になったばかりだったから、じゃあちょっと40代頑張ろうと思ったんです。
――あ、よかった。50歳を過ぎたら手を抜く、ということじゃないんだ(笑)。ところで先ほども言ったブックレットに「〈世界が拓けたと思った瞬間〉ベスト3」というのがあって、1位は文學界新人賞を受賞した瞬間で、2位が韓国のはじめてのサイン会の時に200人以上の人が並んでいるのを見た瞬間。3位が『悪人』の映画公開の初日の打ち上げで大ヒットする、と言われた瞬間とありますね。
吉田 世界が拓けた、イコール自分は運のいい男だなあと思った瞬間ですね(笑)。それで思い出したけれど、実は僕、作家デビューの瞬間をテレビで特集してもらっているんですよ。
 まだ久米宏さんがやっていた「ニュースステーション」という番組で、その年の芥川賞を紹介していて、じゃあ芥川賞の候補ってどういう人がなるんだ、という特集だったんです。たまたま文學界新人賞が特集されることになり、最終候補に残っていた僕も当時住んでいた狭いアパートでインタビューを受けて、ホテルオークラでの選考会の様子も映って、そこで受賞者が決まりましたとなって、それが「最後の息子」だったので、また僕が改めてインタビューを受けて。その放送日が芥川賞の発表の日で「最後の息子」も候補になっていたので、スタジオで結果を待たないかとディレクターさんに誘われたんですけど、行かなくてよかったです。テレビで見ていたら、久米宏さんに「残念ながら吉田さんは選に漏れて、目取真さんが獲りました」みたいなことを言われてました(笑)。でも、特集自体は当選作の「最後の息子」が載った『文學界』が六本木の書店の店頭に並ぶところで終わるんです。「今日、一人の作家が誕生した」ってナレーションと共に。
 こうやって作家前夜というか、作家になる瞬間をテレビの特集で撮ってもらっている人って他にいないと思うんですよね。そういう意味でも、本当に運のいい男だと素直に思います(笑)。だからなんの文句もない、この20年については(笑)。
――作家生活20周年記念みたいなことは、何かやるんですか。
吉田 ちょうど今年の終わりからまた新聞の連載が始まって、それが刊行されるのが20周年の頃でしょうね。また別の世界が開けるような作品を書きたいと思っています。
*読者からの質問「どうしてそんなに女性の心が分かるのでしょうか」(30代女性)
●文章を考えたり創作する時に、何をいちばん大切にされていますか。またはどういったところを心掛けたり考えながら創作活動をされていますか。(20代女性)
吉田 さっきの話につなげると、やっぱり一人でいるというか、一人で在(あ)る、ということかな。今は一人with猫ですけれど。2匹います。
●『静かな爆弾』(08年刊/のち中公文庫)、『初恋温泉』など、聴覚に障害を持った登場人物がいますが、そういう方がおられたのですか。(20代女性)
吉田 実際にはいないです。いないですけれどなぜ書いたかというと、ちょっと不謹慎ですが、音が聞こえない世界に憧れがあるんです。だから、その世界のことが知りたくて書くことが多いです。なんで憧れるんだろう。
●吉田さんの小説はタイトルが秀逸なのも魅力のひとつだと思っているんですけれども、ぱっとひらめくものなのでしょうか。気に入っているタイトルがありましたら教えてください。(40代女性)
吉田 どうやって決めたかはそれぞれの作品によりますね。ひらめく時もあるし、悩む時もありますし。気に入っているタイトルは『路(ルウ)』でしょうか。
●本を書くにあたり、何かにインスピレーションを受けて書きますか? テーマを決めて書きますか?(30代女性)
吉田 これはさっきも話したことですが、場所ですね。テーマというよりは舞台となる場所がさきにあって、そこから登場人物などが決まっていきます。
●『パーク・ライフ』や『横道世之介』のような青春物語もあれば、『悪人』や『怒り』のようなダークな作品もある。わりと振れ幅が大きいですが、ご自身ではそのへんはどう感じてらっしゃいますか。(30代女性)
吉田 幅を広げてやろうというわけではなくて、こういう人間を書きたいと思った時に、それに相応しい雰囲気や文体の小説になります。どういう作品を書こうかというよりも、誰を書きたいかということだと思います。
●これまで数々の作品が映像化され、ご自身も『悪人』の脚本も共同執筆されていますが、原作者として、映像化の条件とされていることはございますか。(40代女性)
吉田 基本はないんですけれども、原作よりも面白くしてほしいなとは思います。それはいつも言っていますね。そのために原作を変えるということに関しては、まったく問題ありません。
●今なら書けると思った気分になって小説を書き始めますが、すぐに行き詰り、何時間も1行も書けずにいることがよくあります。なにか分かりやすくモチベーションになることがあればいいと思いますが、そんなことを期待している時点で、自分には小説を書く資格はないのでしょうか。(20代男性)
吉田 何時間も1行も書けずにいるということが、イコール小説を書くということだと思うので、もう書いているじゃないですか。
●吉田先生の作品に登場する女性たちの描写がとても共感できるんですが、どうしてそんなに女性の心が分かるのでしょうか。参考にされているものがあれば教えてください。(30代女性)
吉田 これは、分かっていないので書けるんだと思います。じゃあ男だから男のことが分かっているかというと、分かっていないから書けるんだと思う。もっと言うと、男って実際には誰のことを差すのか分からないし、女というのもまた同じ。要するに100人いれば、100通りの男や女がいるわけですからね。
●小説に出てくる場所が、ものすごく鮮やかに描かれていて読むたびにハッとさせられます。ストーリーもさることながら、景色が圧倒的に迫ってきます。倉本聰さんのドラマを見て同じように感じたのですが、吉田さんも倉本さんのドラマがお好きなのでしょうか。(40代女性)
吉田 ドラマはそんなに熱心に見てはいませんでした。天邪鬼的な言い方になってしまうんですが、書かないという方法が場所を描けるんだな、というのがなんとなくこの20年で分かってきたところです。
 説明しない、ということです。例えば今僕たちがいる応接室を描こうとしたときに、真ん中にこういう絨毯があって、とか、広さは縦が何メートルで、というのを描かずに、会話と日差しだけを書いたほうが、その場所がうまく浮かんでくる。だから、鮮やかに描かれていると感じてくださるとしたら、それは描かれていないからだと思います。
 聞き手:瀧井 朝世

 ◎上記事は[本の話WEB]からの転載・引用です
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◇ 吉田修一著『怒り』 書いたきっかけは、市橋達也の事件(リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害) 
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市橋達也著『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』幻冬舎文庫 

    

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