インタビュー連載「安楽死を問う」① 死にたくなったら死ねる社会にすべきなのか 命は自分だけのものではない 患者団体前会長の岡部宏生さん
2020.8.31 10:00 共同通信
京都に住む筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性患者から安楽死の依頼を受け、殺害したとして医師2人が逮捕、起訴された事件は、私たちの「生き死に」を巡る議論を呼び起こした。障害福祉の法案について国会で参考人として意見陳述したこともある日本ALS協会の前会長、岡部宏生さんに話を聞いた。(共同通信=岩田泰典)
事件に衝撃を受けた。患者と医師が会員制交流サイト(SNS)でつながり、事前に金銭を受け取り殺人を請け負う。想像を超えるものだった。
ALSのような過酷な病気で死にたくなる気持ちは、よく分かるつもりだ。私も何度も死にたくなった。約7年前には真剣に考え、海外に行けば安楽死できると知って、どれほどほっとしたことか。でも連れて行ってもらう介護者に残る心の傷を考えると、とても言い出せない。結局「自分は死ねない」と思った。
患者は生きたい気持ちと死にたい気持ちを繰り返しながら、日々過ごしている。つらく死にたいとき、死ぬ方法を具体的に検討できたら、どんどん気持ちを固めてしまう。もう「生きたい」という方に戻って来られなくなるのが実感だ。だから容疑者の医師は罪深い。
気持ちが揺れ動くとき、自分を支えてくれる人たちがいれば、感謝し希望を感じられる。解決策は誰かが関わることだ。「支援」とは具体的に何かをすることばかりではない。ただ一緒にいるだけで最高と思えるときがある。
事件をきっかけに、安楽死や尊厳死を認めるべきだという議論になっていくことは、恐ろしい。「死ぬ権利を持たせてほしい」との主張は身勝手だ。命は自分だけのものではない。自分の死を選択できることは、他人の死をも認める社会に直結してしまう。
圧倒的に多くの人が被害者の病状を「気の毒だ」と言う。それは差別だ。生きる価値のある命と、そうでない命があると錯覚している。
安楽死という名の自殺だということを分かってほしい。自殺を認めるなら、誰もが死にたくなったら死ねる社会にすべきなのか。障害者や難病患者、高齢者、社会の支援を必要とする人たちの死を認めるのは、優生思想と結びついてしまう。
コロナ禍のいま、誰もがいつだって重症者になる。優生だと思っていた人が、たちまち差別される側になる。安楽死を安易に認めることは、自分や家族、友人を追い詰めるかもしれないと深く考えてほしい。
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おかべ・ひろき 1958年東京都生まれ。ALSを発症し2009年に人工呼吸器装着。日本ALS協会会長を経て、ヘルパーを育成するNPO法人「境を越えて」理事長。
◎上記事は[47NEWS]からの転載・引用です
* 「安楽死を問う」③安楽死は是か非か、医療倫理の専門家は 法制化、患者へ無言の圧力に 会田薫子
* 「安楽死を問う」②安楽死の依頼に応えられなかった医師の思い 患者に「生きろ」、「死ね」より残酷なことも 作家の久坂部羊さん
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* 安楽死の事件ではない 「ALS患者嘱託殺人」2020.7.23
* ALS患者を嘱託殺人の容疑 京都府警、大久保愉一医師と山本直樹医師を逮捕 2020.7.23
* 「胃ろう」延命治療 始められてもやめられないアンバランス … 2006年3月、富山・射水市民病院で呼吸器を外し延命治療を中止
* ALS患者の舩後靖彦参院議員「死ぬ権利よりも、生きる権利守る社会に」 202/7/23
* 「尊厳死議論の前に本質理解を」 ALS患者で「FC岐阜」運営会社元社長が訴え 2020/07/27