検察に“圧力”、報道を批判…民主の言動過熱
民主党の小沢幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、党内を中心に、検察の捜査や報道を批判する動きが強まっている。
野党などからは「党ぐるみで小沢氏を擁護するのは常軌を逸している」という指摘が出ている。
この問題では、民主党の石川知裕衆院議員の逮捕に批判的な同党の同期議員が会を結成するなど、検察への「圧力」とも取れる動きが出ていた。読売新聞が20日、「石川容疑者が『土地購入に充てる現金4億円を政治資金収支報告書に記載しない方針を小沢氏も了承していた』と供述した」と報じた後、こうした言動は一段と激しくなっている。
新党大地の鈴木宗男代表は21日、小沢氏を支持する民主党衆院議員グループ「一新会」の定例会合に出席し、検察や報道への批判を展開した。鈴木氏は石川容疑者の弁護士から聞いた話として、「(石川容疑者は)『そんなことは言っていない』と明確に否定した」などと語った。
会合には、階猛総務政務官を含む約30人が出席した。同会の事務局次長を務める松木謙公衆院議員は会合後、記者団に、「役所(法務省)の中で『誤報だ』と明確に言っている。会合では(石川容疑者の)釈放要求の発議の話も出た」と語った。
21日の衆院予算委員会では、民主党の伴野豊副幹事長が「『読売新聞が誤報であった』と法務省刑事局が答えているということだ」と千葉法相に事実関係をただしたが、法相は「問い合わせに対して『誤報』だというようなことを回答したことはない、と承知している」と否定した。
委員会終了後、読売新聞が伴野氏に質問の経緯や根拠を明らかにするよう求めたのに対し、伴野氏は「情報ソースについて明らかにすることはできない」と文書で回答した。
こうした民主党の姿勢には、厳しい批判が出ている。
自民党の額賀福志郎・元財務相は21日の額賀派総会で、「与党としての見識がまったく欠如している。自民党はスキャンダルがあっても、露骨な検察批判、マスコミ批判をしたことはない。成熟した民主主義国家の政党のあり方かと疑問を呈さざるを得ない」と述べた。自民党の高村正彦・元外相も高村派総会で、「検察の暴走の100倍くらい、政権与党の暴走が心配される事態だ」と指摘した。
政府関係者や与党幹部が個別の捜査に言及すれば、適正で中立な捜査に対する圧力となりかねない。報道の規制は、憲法に明記された言論の自由を侵すことに直結する。1999年には、中村正三郎法相(当時)が法務省刑事局長に捜査を指示したなどの問題が追及され、辞任に追い込まれたケースがある。(2010年1月22日08時41分 読売新聞)
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閣僚の報道批判 軽率な発言ではないか
毎日新聞 社説2010年1月22日
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体の土地購入を巡る事件の報道に関連し、鳩山内閣のメンバー2人が記者会見で相次いで発言した。
原口一博総務相と平野博文官房長官である。いずれも、情報源を「関係者によると」とした記事について疑問を呈したものだ。閣僚が記事の書き方にまで踏み込んで批判するのは極めて異例である。適切さを欠く軽率な発言だと指摘しておきたい。
それぞれの発言を振り返る。
原口総務相は「関係者によると」とした記事やテレビニュースについて「何の関係者か分からない。そこを明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるには不適だ」などと述べた。平野官房長官も「関係者によると」について「すべてとは言わないが、記事の中身によっては公平でないものがある」と話した。批判の矛先が検察からメディアにも向かったかのようだ。
まず、お断りしたい。裁判員制度が始まるのを機に、毎日新聞は、事件・事故報道の記事スタイルの一部を見直した。「情報の出所」をできる限り明示し「関係者によると」の表現もできるだけ避けることを原則とした。多くの報道機関も同様の見直しをしている。
事件の取材先は、捜査関係者に限らず多岐にわたる。情報の出所を明示することで取材源を守れない恐れがある場合は、「取材源の秘匿」が優先することも確認した。それが、国民の「知る権利」に応えるため、適切な方法だと考えたためだ。
記事のスタイルを含めた自由な報道は、憲法で保障された表現の自由に基づく。もちろん、その前提は「事実の報道」であり、それが覆った場合、報道側は責任をとる。
だが、2人の発言は、事実か否かではなく、情報源の表現方法に介入したものと受け取れる。
特に原口総務相は、放送の免許権を持つ立場だ。21日には、報道批判の意図はないと発言したが、実はテレビ報道をけん制したように映る。自民党政権下、放送行政への政治側の介入を民主党が批判してきたことを思い起こしてほしい。
報道の最大の役割は、時の政権、最高権力を監視することだ。民主主義社会において、政権当事者が厳しい批判にさらされるのは常である。その点からも「監視される側」の権力の中枢が、監視する役割を担うメディアに、事細かく注文を出すような発言はいかがなものだろうか。
小沢氏の事件への民主党の対応は、いかにも冷静さを欠いている。「捜査情報の漏えい問題対策チーム」を作るより前に、まず、真相解明のチームを党内に作り、世間の疑問に答えるべきではないか。
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総務相発言―政権党の短慮にあきれる
朝日新聞 社説2010/1/22
たとえ本音であれ、発言者の自覚や品性が疑われるようなことは公言しない。それが良識というものだ。権力を持つ人ならば、なおのこと。発言の影響を想像し、言っていいこと、悪いことを慎重に考えねばならない。
こんな当たり前の思慮分別がないのだろうか。そう疑わざるを得ない政府・民主党の議員の発言が相次いでいる。同党の小沢一郎幹事長の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反容疑事件にからんでのことだ。
原口一博総務相が記者会見で「関係者という報道は、検察の関係者なのか、被疑者の関係者なのか。少なくともそこは明確にしなければ、電波という公共のものを使ってやるにしては不適だ」と批判した。テレビ、ラジオ報道を想定しての発言だろう。
情報源は可能な限り明示するべきだ。しかし取材源を隠さないと得られない情報もある。その場合、情報源を守るのは最も重要な報道倫理の一つである。必要な情報を社会に提供し、民主主義を守るというジャーナリズムの役割を果たすために不可欠なことだ。
報道に携わる者は安易にあいまいな表現をしないよう、自らを厳しく律しなければならない。しかし、最終的にどう報じるかは、あくまで各報道機関が独自に決めることだ。
それを規制するかのような発言を、放送局に免許を与える権限を持つ総務相がした。原口氏はその後、「放送内容に介入する気はない」と釈明したが、自らの言葉が報道への圧力になりかねないということについて、あまりにも自覚がなさすぎる。
民主党は「捜査情報の漏洩(ろうえい)問題対策チーム」の設置を決めた。「政治が検察によって抹殺されてよいのか」という激しい声を上げる議員グループもある。総務省政策会議の場で、記者クラブについて「各省庁のクラブは全部省庁に乗っ取られて、まともな記事が書けない」と述べた議員もいる。
政権党の議員として短慮としかいえない。権力を持つことの意味を理解しているのだろうか。
民主党議員はまず、疑惑を持たれている小沢氏に対し、記者会見をせよ、国会で説明を尽くせと求めるのが筋ではないか。だが、そうした声はあまり聞こえない。同党は小沢氏の国会への参考人招致にも応じない構えだ。
小沢氏は選挙対策や党の資金、人事を差配する立場にいる。昨年暮れの予算編成も「要望」にほぼ沿う形で決着した。だからといって、小沢氏の機嫌を損ねることは言えないのであれば、政権党の議員の資格を疑われる。
捜査や報道への乱暴な批判の代わりに、疑惑を晴らすことに力を注ぐべきだ。野党ではない。国家権力を担い、国の針路を定める政権党である。その自覚をしっかり持ってもらいたい。