陸山会事件公判「手提げ紙袋を新幹線で東京支店に運んだ。中身は見ていない」/リアリティ欠くシナリオ

2011-05-16 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

水谷建設元専務「現金5000万円運んだ」 陸山会事件公判
2011/5/16 12:58 日本経済新聞
 小沢一郎・民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件で、衆院議員、石川知裕被告(37)ら元秘書の第12回公判が16日、東京地裁(登石郁朗裁判長)であった。中堅ゼネコン「水谷建設」(三重県)の元専務が証人として出廷し「小沢事務所に持って行く5千万円を本社から東京支店に運んだ」と証言した。
 この日の証人尋問で、元専務は水谷功元会長(66)から「小沢事務所にお金を持っていかないといけない」と電話で指示され、2004年10月13日朝、本社で経理担当の元幹部に渡された手提げ紙袋を、新幹線で東京支店の金庫に運んだと証言した。紙袋の中身は見ていないが、渡された際に元幹部から「またお金がたくさんかかって大変やな」と言われ、現金だと認識したという。
 検察側は冒頭陳述で、水谷建設からの1億円のヤミ献金が虚偽記入の動機の背景事情と主張。公判では、同社前社長が石川議員と元秘書、大久保隆規被告(49)に「5千万円ずつを手渡した」と検察側主張に沿った証言をしている。一方、石川議員と大久保元秘書は受領を強く否認している。
................
水谷建設幹部「現金運んだ」 陸山会虚偽記入の公判
2011年5月16日 12時02分
 小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」の収支報告書虚偽記入事件の第12回公判は16日、東京地裁(登石郁朗裁判長)で証人尋問があり、中堅ゼネコン水谷建設(三重県桑名市)の元幹部が「小沢事務所へ持っていく5千万円を本社から東京支店まで運んだ」と証言した。
 水谷建設は小沢元代表側に1億円の「裏献金」をしたとされる。証言によると、元幹部は専務だった2004年10月、水谷功元会長(66)の指示を受け、新幹線で現金を運んだ。現金は別の幹部が用意し、この幹部から受け取る際には「またお金がかかるで、大変やな」という話をしたという。
 検察側は、胆沢ダム(岩手県奥州市)の下請け工事受注を了承してもらった謝礼として、川村尚前社長(53)が、04年に元秘書の衆院議員石川知裕被告(37)に、05年に元公設第1秘書の大久保隆規被告(49)に5千万円ずつ渡したと指摘。これまでに、川村前社長と、大久保元秘書の受領の場に同席した下請けの会社社長(56)が出廷し、検察側主張に沿う証言をしている。
(共同)
...............
陸山会事件 日本発破技研山本潤社長「検事からヒントを貰って記憶が蘇った」 杜撰、粗末なシナリオ2011-05-11 | 政治/検察/メディア/小沢一郎
ロッキード事件に酷似 陸山会事件公判 (川村尚)証人が具体的に述べれば述べるほど低下するリアリティ2011-04-28 | 政治/検察/メディア/小沢一郎 
〈来栖の独白2011-04-28
 陸山会事件の公判。水谷建設前社長・川村尚氏の供述に耳を傾けるほどに、ロッキード事件が重なってしまう。
 現金受け渡しの場面などは、まったく酷似している。陸山会事件のそれは全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタルホテル)であり、ロッキード事件はホテルオークラであった。「陸山会」は水谷建設前社長川村氏が渡し、「ロッキード」は丸紅の伊藤宏専務が渡した(という)。陸山会は「5000万円を宅急便の袋に入れて折りたたみ、それをひと回り大きい紙袋」に入れ「床をスライドさせるような形で渡し」、ロッキードは「1億2500万円入りの段ボール箱」。どちらも証人がことさら具体的に述べれば述べるほど、意図に反してリアリティは低下し、胡散臭さが漂ってしまう。これで、弁護側証人水谷建設元会長水谷功氏なんかが出てきた日には、この法廷はどうなるんだろう♪
 ロッキード事件で成功した検察。裁判所まで同じでは困る。
------
 『検察を支配する「悪魔」』田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)  
 第三章 絶対有罪が作られる場所
p80~ ロッキード事件の金銭授受は不自然---田原
 ここからは、ロッキード事件の話をしたい。
 ロッキード事件で田中角栄は、トライスター機を日本が購入するにあたって、ロッキード社から4回にわたって、丸紅を通じて計5億円の賄賂を受けと取ったとして、1983年10月に受託収賄罪で懲役四年、追徴金5億円の判決を受けましたね。
 この4回あったとされる現金の受け渡し場所からしても、常識から考えておかしい。1回目は1973年8月10日午後2時20分頃で、丸紅の伊藤宏専務が松岡克浩の運転する車に乗り、英国大使館裏の道路で、田中の秘書、榎本敏夫に1億円入りの段ボール箱を渡した。2回目は同年10月12日午後2時30分頃、自宅に近い公衆電話ボックス前で、榎本に1億5000万円入りの段ボール箱を。3回目は翌年の1月21日午後4時30分頃、1億2500万円入りの段ボール箱がホテルオークラの駐車場で、伊藤から榎本に渡された。そして、同年3月1日午前8時頃、伊藤の自宅を訪れた榎本が、1億2500万円が入った段ボール箱を受け取ったとされている。
 最後の伊藤の自宅での受け渡しはともかく、他の3回は、誰が見ても大金の受け渡し場所としては不自然です。とくに3回目のホテルオークラは、検察のでっちあげ虚構としか思えない。
 伊藤の運転手だった松岡にインタビューしたところ、検察によって3回も受け渡し場所を変更させられたと言う。もともと松岡は、受け渡しに対して記憶はまったくなかったのですが、検事から伊藤の調書を見せられ、そんなこともあったかもしれないと、曖昧なまま検察の指示に従った。
 検事が、最初、3回目の授受の場所として指定してきたのは、ホテルオークラの正面玄関です。松岡は検事の命令に添って、正面玄関前に止まっている2台の車の図を描いた。
 でも考えてみれば、こんなところで1億2500万円入りの段ボール箱の積み下ろしなどするわけがない。正面玄関には、制服を着たボーイもいれば、客の出入りも激しい。おまけに、車寄せに2台車を止めて段ボール箱を運び込んだら、嫌でも人の目につく。
 検察も実際にホテルオークラに行ってみて、それに気が付いたんでしょう。体調を崩して大蔵病院に入院していた松岡の元に検察事務官が訪ねてきて、「ホテルオークラの玄関前には、右側と左側に駐車場がある。あなたが言っていた場所は左側だ」と訂正を求めた。
 それでも、まだ不自然だと考えたのでしょう。しばらくしたら、また検察事務官がやってきて、今度は5階の正面玄関ではなく、1階の入り口の駐車場に変えさせられたと言います。
 それだけならまだしも、おかしなことに、伊藤が描いた受け渡し場所も変更されていた。最初の検事調書では、伊藤も松岡とほぼ同じ絵を描いている。松岡の調書が5階の正面玄関から1階の宴会場前の駐車場に変更後、伊藤の検事調書も同様に変わっていた。
 打ち合わせもまったくなく、両者が授受の場所を間違え、後で揃って同じ場所に訂正するなんてことが、あり得るわけがない。検事が強引に変えさせたと判断するしかありません。百歩譲って、そのような偶然が起りえたとしても、この日の受け渡し場所の状況を考えると、検事のでっち上げとしか考えられない。
 この日、ホテルオークラの宴会場では、法務大臣や衆議院議長などを歴任した前尾繁三郎を激励する会が開かれていて、調書の授受の時刻には、数多くの政財界人、マスコミの人間がいたと思われる。顔見知りに会いかねない場所に、伊藤や田中の秘書、榎本が出かけていってカネをやり取りするのは、あまりにも不自然です。
 しかも、この日の東京は記録的な大雪。調書が事実だとすれば、伊藤と田中の秘書が雪の降りしきる屋外駐車場で、30分以上立ち話をしていたことになる。しかし、誰の口からも、雪という言葉が一切出ていません。
 万事がこんな調子で、榎本にインタビューしても、4回目の授受は検察がつくりあげたストーリーだと明言していました。
 もっとも、丸紅から5億円受け取ったことに関して彼は否定しなかった。伊藤の自宅で、5億円を受け取ったと。それは、あくまでも丸紅からの政治献金、田中角栄が総理に就任した祝い金だと。だから、伊藤は、せいぜい罪に問われても、政治資金規正法だと踏んだ。そして、検察から責め立てられ、受けとったのは事実だから、場所はどこでも五十歩百歩と考えるようになり、検察のでたらめにも応じたのだと答えた。
 つまり、検察は政治資金規正法ではなく、何があっても罪の重い受託収賄罪で田中角栄を起訴したかった。そのためにも、無理やりにでも授受の場所を仕立てる必要があったというわけでしょう。
p83~ 法務省に事前に送られる筋書き---田中
 ロッキード事件のカネの受け渡し場所は、普通に考えておかしい。またそれを認めた裁判所も裁判所ですよ。ロッキード事件以来、ある意味、検察の正義はいびつになってしまった。
 政界をバックにした大きな事件に発展しそうな場合、最初に、検察によってストーリーがつくられる。被疑者を調べずに周りだけ調べて、後は推測で筋を立てる。この時点では、ほとんど真実は把握できていないので、単なる推測に過ぎない。
 でも、初めに組み立てた推測による筋書きが、検察の正義になってしまうのです。なぜ、そんなおかしなことになるかと言えば、政界や官界に波及する可能性がある事件の捜査については、法務省の刑事課長から刑事局長に、場合によっては、内閣の法務大臣にまであげて了解をもらわなければ着手できない決まりになっているからです。とくに特捜で扱う事件は、そのほとんどが国会の質問事項になるため、事前に法務省にその筋書きを送る。
 いったん上にあげて、了承してもらったストーリー展開が狂ったら、どうなりますか?検察の組織自体が否定されますよ。事件を内偵していた特捜の検事がクビになるだけでなく、検察に対する国民の信頼もなくなる。
 本当は長い目で見たら、途中で間違っていましたと認めるほうが国民の信頼につながる。それは理屈として特捜もわかっているけれど、検察という組織の保身のためには、ごり押しせざるを得ないのが現実です。
 特捜の部長や上層部がなんぼ偉いといっても、一番事件の真相を知っているのは被疑者ですよ。その言い分をぜんぜん聞かず、ストーリーをどんどん組み立てる。確かに外部に秘密がまれたり、いろいろあるから、その方法が一番いいのかもしれないが、だったら途中で修正しなければいけない。
 ところが、大きい事件はまず軌道修正しない。いや大きい事件になるほど修正できない。だから、特捜に捕まった人はみんな、後で検察のストーリー通りになり、冤罪をきせられたと不服を洩らす。僕を筆頭として、リクルート事件の江副浩正、KSD事件の村上正邦、鈴木宗男議員と連座した
外務省の佐藤優、村上ファンドの村上世彰(よしあき)、ライブドア事件の堀江貴文・・・全員、不満たらたらで検察のやり方を非難している。
 これを特捜が謙虚に反省すればいいのですが、特捜はそんなことはまったく頭にない。「あのバカども、何を言っていやがるんだ」という驕りがあり、最初にストーリーありきの捜査法は一向に改善されません。
p85~ 尋問せずに事実関係に勝手に手を入れる---田中
 とくに東京の特捜では、まずストーリーありきの捜査しかしない。被害者を加害者に仕立て上げてしまった平和相銀事件がいい例ですよ。
 東京に来て驚いたのは、調書ひとつをとっても、上が介入する。調書作成段階で、副部長や主任の手が入ることも多く、筋書きと大幅に異なったり、筋書きを否定するような供述があると、ボツにされる。だから、検事たちも、尋問をするときから、検察の上層部が描いた筋書きに添う供述を、テクニックを弄して取っていく。
 僕も手練手管を弄して自分の描いた筋書きに被疑者を誘導することはありましたよ。しかし、それは、あくまでも現場で捜査に携わっている人間だから許されることだと思う。捜査をしている現場の検事は、こりゃあ違うなと感じれば、軌道修正する。被疑者のナマの声を聞いて判断するので、自分の想定したストーリーが明らかに事実と違えば、それ以上はごり押しできない。人間、誰しも良心がありますから。
 しかし東京では、尋問もしていない上役が事実関係に手を入れる。彼らは被疑者と接していないので容赦ない。被疑者が、これは検事の作文だよとよく非難しますが、故のないことではないと思った。恐ろしいと思いましたよ。冤罪をでっち上げることにもなりかねないので。
 だから、僕は東京のやり方には従わなかった。大阪流で押し通した。上がなんぼ「俺の言う通りに直せ」といっても、「実際に尋問もしていない人の言うことなんか聞けるか」で、はねのけた。
p86~ 大物検事も認めた稚拙なつくりごと---田原
 4回目の授受の場所を特定したのは誰か---ロッキード事件に関わった東京地検特捜部のある検事にこの質問をしたところ、彼は匿名を条件に「誰にも話したことはないが」と前置きして、次のように当時の心境を語っていた。
「ストーリーは検事が作ったのではなく、精神的にも肉体的にも追いつめられた被告の誰かが・・・カネを受け取ったことは自供するけれども・・・あとでお前はなぜ喋ったんだといわれたときのエクスキューズとして、日時と場所は嘘を言ったのじゃないか。
 そして、それに検事が乗ってしまったのじゃないか、と思ったことはある。田中、榎本弁護団が、それで攻めてきたら危ないと、ものすごく怖かった」
 この元検事の証言を、事件が発覚したときに渡米し、資料の入手やロッキード社のコーチャン、クラッターの嘱託尋問実現に奔走した堀田力元検事にぶつけると、「受け渡しはもともと不自然で子どもっぽいというか、素人っぽいというか。恐らく大金の授受などしたことがない人たちが考えたとしか思えない」と語っていました。
 堀田さんは取り調べには直接タッチしていない。だからこそ言える、正直な感想なんでしょうけれど、どう考えても、あの受け渡し場所は稚拙なつくりごとだと認めていましたよ。
p88~ 検事は良心を捨てぬと出世せず---田中
 検事なら誰だって田原さんが指摘したことは、わかっている。その通りですよ。田原さんがお書きになったロッキード事件やリクルート事件の不自然さは、担当検事だって捜査の段階から認識している。
 ところが引くに引けない。引いたら検察庁を辞めなければいけなくなるから。だから、たとえ明白なでっち上げだと思われる“事実”についてマスコミが検察に質しても、それは違うと言う。検事ひとりひとりは事実とは異なるかもしれないと思っていても、検察という組織の一員としては、そう言わざるを得ないんですよね。上になればなるほど、本当のことは言えない。そういう意味では、法務省大臣官房長まで務めた堀田さんの発言は非常に重い。
 特捜に来るまでは、検察の正義と検察官の正義の間にある矛盾に遭遇することは、ほとんどありません。地検の場合、扱うのは警察がつくっている事件だからです。警察の事件は、国の威信をかけてやる事件なんてまずない。いわゆる国策捜査は、みんな東京の特捜か大阪の特捜の担当です。
 特捜に入って初めて検察の正義と検察官の正義は違うとひしひしと感じる。僕も東京地検特捜部に配属されて、特捜の怖さをつくづく知りました。
 検察の正義はつくられた正義で、本当の正義ではない。リクルート事件然り、他の事件然り。検察は大義名分を立て、組織として押し通すだけです。
 それは、ややもすれば、検察官の正義と相入れません。現場の検事は、最初は良心があるので事実を曲げてまで検察の筋書きに忠実であろうとする自分に良心の呵責を覚える。
 しかし、波風を立てて検察の批判をする検事はほとんどいない。というのも、特捜に配属される検事はエリート。将来を嘱望されている。しかも、特捜にいるのは、2年、3年という短期間。その間辛抱すれば、次のポストに移って偉くなれる。
 そこの切り替えですよ。良心を捨てて、我慢して出世するか。人としての正義に従い、人生を棒に振るか。たいていの検事は前者を選ぶ。2年、3年のことだから我慢できないことはないので。ただそれができないと僕のように嫌気がさして、辞めていくはめになるのです。
..................................
5000万円を渡しました---「陸山会事件」のキーマンが法廷で証言!
現代ビジネス「ニュースの深層」2011年04月28日(木)伊藤博敏
 5000万円は宅急便の袋に入れて折りたたみ、それをひと回り大きい紙袋に入れ、全日空ホテル(現ANAインターコンチネンタルホテル)で会った石川(知裕現代議士)秘書に、床をスライドさせるような形で渡しました。フロント前ロビーの椅子に2人でハス向かいに座り、渡す際、『これを大久保(隆規秘書)さまにお渡しください』と、申し添えました。それから2~3分、世間話をして石川秘書が先に出て行きました---。
 4月27日午前10時開廷の陸山会事件公判で、水谷建設前社長・川村尚氏は、検事の質問を受け、よどみなく「裏ガネの提供」について語るのだった。
 法廷には、石川、大久保の両被告に池田光智元秘書を加えた3被告が検事席と対峙する形で座り、営業で鍛えた少し野太い川村氏の証言を静かに聞いていた。
 小沢氏が代表を辞任、民主党の権力構図から弾かれるきっかけとなった陸山会の政治資金規正法違反事件は、3秘書が逮捕起訴され、今年2月7日から公判が開始された。
 起訴事実は、1.04年10月、小沢氏の自宅(都内世田谷区)に近い土地を約3億5000万円で購入しながら、04年ではなく05年の報告書に記載したこと、2.土地代金の原資となった小沢氏からの借入金4億円を、04年の報告書に記載しなかった、というものだ。
 一見、「うっかりミス」や「期ズレ」で、地検特捜部が乗り出すような事件ではないように思われる。だが、特捜部は「水谷マネー」にこだわった。「平成の政商」と呼ばれる水谷功元会長が率いる水谷建設が、小沢氏の地元・岩手県で行われた胆沢ダム建設工事に絡み、裏ガネを提供したという「水谷証言」を引き出した特捜部は、贈収賄事件や政治資金規正法違反事件に結び付けようとしたが頓挫、最後の手段として「献金の怪しさ」を法廷で暴こうとした。
 そのキーマンが、実際に現金を渡した川村氏だった。この日まで、川村氏はマスコミに一切、登場しなかったし、法廷に証人として出るのも初めて。微に入り細を穿つ「川村証言」は、「東北のゼネコン談合を仕切る」といわれた小沢事務所の実力を十分に知らしめるとともに、小沢氏がカネを背景にのし上がった政治家であることを思い起こさせた。
 政治資金規正法違反事件で、裏ガネの有無は問われない。だが、こうした法廷証言は、検察審査会で強制起訴された小沢氏の公判にも微妙な影響を与えよう。また、刑事被告人となって党員資格を停止されている小沢氏の復権にも関わってくる。それだけに、「川村証言」に具体性があればあるだけ、小沢氏は追い詰められていく。
 03年11月、水谷建設の社長に就任した川村氏は、大久保秘書の長年の友人である日本発破技研の山本潤社長に伴われ、同月内に衆院議員会館の小沢事務所を訪問したのだという。狙いは胆沢ダムの工事に、ゼネコンの下請けとして入ること。
「具体的には、本堤盛立工事と原石山採取工事に参加したいというお話を大久保さんにしました」
---大久保秘書の反応は?
「『他の同業者より遅い!』とご注文を受けました」
---遅いとはなにか。
「小沢事務所への挨拶が、遅かったという意味です」
 出遅れを指摘された川村氏は、必死の巻き返し工作に入る。03年12月31日の大みそかには、わざわざ大久保氏の自宅を訪ねて、松阪牛肉と現金100万円を届けたのだという。翌年からは接待攻勢をかけ、04年8月の「料亭接待」を皮切りに、これまでに5~6回は接待、場所は向島だったという。
 そのように人間関係を構築したうえで、04年9月、鹿島JVが胆沢ダムの本堤盛立工事を受注する直前、山本社長とともに議員会館を訪れた川村氏は、大久保秘書からこんな具体的な指示を受けた。
「胆沢ダムの本堤盛立工事のゼネコンが決まったら5000万円、原石山採取工事の入札の後に5000万円、合計1億円の要求を(大久保秘書から)受けました」
---要求された時期は?
「胆沢ダム工事の開札の前でございます」
---指示に従ったのか。
「お支払いをしました」
---日時は?
「平成16年(04年)10月15日のことでございます。それが1回目の5000万円。2回目は平成17年(05年)4月中旬ぐらいと記憶しております」
 受注金額は二つの工事で約100億円が想定され、予定通りに本堤盛立工事の鹿島JVと、原石山採取工事の大成建設JVから受注できれば、荒利が10%は見込まれるので、裏ガネ1億円は、無理なく支出できる金額だったという。
 鹿島JVが工事を落札したのは04年10月7日。その前日、大久保秘書と5000万円の現金の受け渡しについて議員会館で話し合った川村氏は、10月13日まで北京出張であることを伝え、受け渡し日を15日にしてもらったという。
 そのカネの作り方、三重県津市から東京支社まで現金を運んだ方法、川村氏の13日から15日までの詳細な行動について質疑がなされた後、受け渡しは、所要ができた大久保秘書に代わって石川秘書が全日空ホテルに現れることになり、約束の時間にフロント前ロビーで待っていたら、何度か面識のある石川秘書が現れ、冒頭の現金授受の場になるのだった。
 さらに検事の尋問は続いて05年4月中旬の次の5000万円へと移る。ここでも細かな描写が続くがそれは省略する。また、法廷でも1回目の5000万円に比べれば、簡略に切りあげられていた。
 それは、2回目の授受には山本氏と言う「同席者」がいて、次回、5月10日の公判では山本氏が検察側証人として出廷するためだろう。1回目の授受は1対1。石川氏は現金授受を頑強に否定、検察側としては、川村氏から詳細な供述を引き出す必要があった。
 現在、検察に突き付けられている国策捜査の是非や、シナリオに沿った供述を引き出す捜査手法の問題については、ここでは問わない。ともあれ、5000万円を2回にわたって「工事受注に対する謝礼」として小沢事務所に渡したという証言が、偽証を問われる法廷の場で飛び出した意味は大きい。
 「菅降ろし政局」の主役として登場するなど、小沢氏の政治家としての力量に衰えがないだけに、「水谷献金」は、これからも小沢氏の行方を阻むことになりそうだ。


コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。