和時計、令和の目覚め 岐阜、信長の菩提寺で修復進む 2019/5/11

2019-05-12 | 文化 思索

和時計、令和の目覚め 岐阜、信長の菩提寺で修復進む 

2019/5/11 中日新聞 夕刊

 画像;やぐら型の和時計の修復に取り組む沢田平さん。重りが徐々に下がる力で針を動かす=岐阜市の崇福寺で

 織田信長の菩提(ぼだい)寺として知られる岐阜市長良福光の崇福(そうふく)寺で、百年以上使われていなかったとみられる和時計の修復が進んでいる。和時計研究家の沢田平さん(84)=大阪市東成区=が定期的に訪れてさびの除去や歯車の調節を続け、時刻を告げる鐘を鳴らせるまでになった。「明治」に止まった時を「令和」に動かす試み。寺は、今秋にも公開を検討している。 (形田怜央菜)

 「カーン、カーン」。信長が心のよりどころとしたとされる寺の本堂に澄んだ鐘の音が響く。「これまで百台ほど修理してきたが、こんなに大変なのは初めて」。複雑に絡む歯車と格闘する沢田さんの額に、汗がにじんだ。    和時計は江戸時代の日本でもちいられた「不定時法」で時を刻む。昼と夜の時間を別々に等分して時を示す方式。針の速さは昼夜で異なり、時刻の分け方も季節で変える必要があった。

 崇福寺に残るのは、1700年前後製とみられる高さ約180㌢の「やぐら時計」。重りが下がる力で上部の「棒天府(ぼうてんぷ)と呼ばれる部品を振り子のように動かし、針を進める。昼夜で2本の棒天府が自動で切り替わるからくりがあり、昼も夜も正確。「目覚まし機能」も備えていた。

 沢田さんによると、こうした時計は工芸的価値が高く、有力な大名家や寺院で使われていた。1873(明治6)年、政府が昼夜をまとめて等分する西洋式の「定時法」を導入したため廃れていったという。

 寺には長らく、この時計が「信長が愛用したポルトガル伝来品」という伝承があった。7年ほど前に沢田さんが鑑定し、その可能性は低いと指摘したが「国内に残る和時計としては大型で、大変貴重。ロマンに満ちた伝説も大事にしたい」と無償で修理を申し出た。

 誰かが無理に直そうとしたためか部品が曲がるなどし、日常的に使えるまでには戻らないというが「鐘がひび割れていないのは奇跡」と沢田さん。「特別な行事で披露し、かつての日本人の知恵と技術を感じてもらえれば」と願う。  寺では今年10月、住職が東海康道さん(69)から息子の宏徳さん(41)へと代替わりする。康道さんは「寺に入って40年以上、動いているのを見たことがなかった。退山の記念になる」と感慨深げ。「時代が何度改まっても変わらない鐘の響きを、多くの人に感じてもらいたい」と公開できる日を待っている。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)

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