「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」日曜美術館 2019/5/12 〈来栖の独白〉ああ、一遍もイエスも同じではないか

2019-05-12 | 日録

  5月12日日曜  NHKEテレ1  午前9時00分~ 午前9時45分 

「踊らばおどれ~一遍聖絵の旅~」

 国宝・一遍聖絵は鎌倉時代の時宗の祖である僧侶・一遍の生涯を描いた絵巻。最先端の技法以外にも当時の人々の暮らしを知る貴重な資料となっている。作品の魅力をひもとく。

 日本最古の絹本絵巻である聖絵は、裏からも彩色されることで肌の濃淡など細かな表情を生み出した。そして爆発的な信者を生み出した一遍の布教の様子がわかる。救いがないとされた物乞いや病人でも念仏を唱えれば極楽浄土に行けると説いた一遍。その究極の祈りの形が踊り念仏。踊り念仏とは何か?そしてなぜ生まれたのか?一遍の生き方に心酔してきた舞踊家の田中泯さんが絵巻に描かれた発祥の地を旅しながら一遍の思想に迫る。

  

【ゲスト】舞踊家…田中泯,政治学者・作家…栗原康,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

    ◎上記事は[NHK日曜美術館]からの転載・引用です

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〈来栖の独白〉

 札幌の友人と連絡を取りながら日曜美術館を見る。番組を見終わったら直ぐに友人が「あの聖絵は誰が描いたのかしら」と。うっかり者の私は一遍上人が描いたものと思い込んでいたが、そんなはずはないだろう。早速調べてみる。以下のようなことが…。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

「 一遍聖絵(いっぺんひじりえ)または、一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん) は、伊予国(現在の愛媛県)に生まれ浄土宗を修めたのち、新しく独自の宗旨である時宗を興した開祖一遍(遊行上人)を描いた絵巻国宝。 」

作者:奥書により、1299年正安1年)一遍の弟子にあたる聖戒が詞書を起草し、法眼の地位にあった画僧円伊が絵を描いた。

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〈来栖の独白〉続き

 庶民が生きることに難渋する時代。また、ハンセン病など患い、人々から忌み嫌われ蔑まれて生きる。そういう人々が踊念仏で救われていく姿を描いている。ハンセン病と聞いて、私のような者は直ぐに聖書の群像を思う。らい病を病み、蔑まれて生きる婦人にイエスは手を差し伸べる。神は救いをもたらす。ああ、一遍もイエスも、同じではないか....。

 田中泯さんが聖絵ゆかりの信州小田切の里、佐久市を訪ねる。小田切の里では、人々が念仏を踊っていた。

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ルカによる福音書5章12~16 (旧約 レビ記13:45~46)

12 イエスがある町におられたとき、そこに、全身重い皮膚病にかかった人がいた。この人はイエスを見てひれ伏し、「主よ、御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」と願った。 13 イエスが手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」と言われると、たちまち重い皮膚病は去った。 14 イエスは厳しくお命じになった。「だれにも話してはいけない。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたとおりに清めの献げ物をし、人々に証明しなさい。」 15 しかし、イエスのうわさはますます広まったので、大勢の群衆が、教えを聞いたり病気をいやしていただいたりするために、集まって来た。 16 だが、イエスは人里離れた所に退いて祈っておられた。

 


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