「国民の知る権利」をないがしろにした官僚体質。ついに国も認めた「日米密約問題」の真相を追うNHK「追跡!AtoZ」取材班
DIAMOND online2010年4月16日
――民主主義の基礎は、まず「情報公開」から
4月9日、密約に関する文書の公開を求めた裁判で、歴史的な判決が下った。国に対して、調査をやり直し、国民に文書を公開するよう命じたのだ。およそ50年にわたって、密約はないとしてきた政府。しかし、民主党政権が誕生し、国は初めてその存在を認めた。
密約――それは日本政府がアメリカ政府との間で国民に隠して結んだもの。日本の国是「非核三原則」に反して、核兵器を積んだアメリカの艦船が日本に寄港することを密かに認めていた。さらに1972年、沖縄返還をめぐり、当時の日本政府は、基地の撤去費用はアメリカが支払うとしていたが、密約によって、実は日本がその費用を「肩代わり」することになっていたのだ。
密約文書の公開を求め、38年間闘った元新聞記者
密約文書の公開を国に求めたのは、作家やジャーナリストたち25人。訴状では、この「肩代わり」が、いまに続く在日米軍に対する巨額の財政負担に繋がっていると指摘。さらに、「国民に情報を与えない政府は、真に国民の政府とはなりえない」と訴えた。
この密約は、38年前、1人の新聞記者のスクープによって、明るみに出た。新聞記者は、国家機密である密約文書を入手。国民に事実を伝え、政府に真相を追及しようとした。しかし、国は文書の存在を認めず、情報源が外務省の女性事務官だったことを問題視し、そのことを追及した。記者は国家公務員法「そそのかし罪」で逮捕された。
この記者のモデルになったのが、元・毎日新聞記者の西山太吉さん。密約を告発した後、新聞記者の職を失った。西山さんは、国民が知るべきことを知らせない国の現実を少しでも変えようと、訴えを起こした。西山さんは、「主権者である国民に知らせないままに、勝手に自分たちが決めて、それを国会にはからずに全部やっていく。こんなことが構造化したら、大変なことになる」と語った。
密約を裏付けるアメリカ公文書の存在
原告側は、アメリカの外交文書を証拠として裁判所に提出。それは、西山さんがスクープした密約を裏付ける文書だった。この文書をアメリカで発見したのは、国際政治が専門の我部政明教授(琉球大)。研究のため、アメリカの公文書館を頻繁に利用する中、日米の密約に関する資料を発見したのだ。
《アメリカで密約に関する文書を発見した、琉球大学・我部政明教授。写真右は、我部教授がアメリカ公文書館で実際に発見した、日米密約に関する公文書。》
我部教授は、法廷で、「アメリカの文書には日本の代表者のイニシャルがあることから、同じものが日本にもあるはずだ」と訴え、文書が公開されない弊害についてこう語った。
「公開しないということによって、自分たちが何をやってきたか知ることができず、教訓が読み取れない。教訓がなければ、次の行動でまた同じ過ちを繰り返してしまう」
一方、国は、「文書は発見できなかった」「一般論として、交渉途中の文書は廃棄することがある」と主張した。
文書を封印させた官僚の体質
原告側にもう1人、密約の文書を公開すべきだという証言者が現れた。アメリカの密約文書にサインをした日本側の責任者・元外務省アメリカ局長の吉野文六さん。吉野さんは、密約が問題になった38年前、国会の答弁で密約の存在を否定した。しかし、アメリカで密約の文書が次々と見つかる中、吉野さんはこれ以上密約を隠してはおけないと思い直したという。
原告側の依頼に応じて法廷に立ち、こう証言した。「アメリカの文書にサインをしたのは私です」「日本側にもこの文書はあったはずです」
なぜ当時、情報を公開できなかったのか? 吉野さんは、官僚の体質に原因があったと語った。「外務省で育った奴が、本来持っている習性に従ったわけですよ。つまり隠せと。正直なことを言ったらクビになったでしょう」
一方、国はこの証言に真っ向から反論。「吉野氏の証言は、推測による供述にとどまり、重要文書として現在まで保管されていることをうかがわせるような具体的な供述は一切していない」
判決は、原告側の全面勝訴。密約の存在を認めた上で、国が「密約文書がない」として開示しなかった処分を取り消し、公開を命じる判決が下された。我部教授が発見したアメリカ側の密約文書、そして、日本にも密約文書があるはず、とした吉野さんの証言が原告の訴えを認める決め手となった。
国は文書を廃棄したことをきちんと説明できなければ、文書を保有していると見なされることになる。この判決に国は、「徹底的な調査をおこなったことが反映されていない」として控訴する姿勢を見せている。
40年前から密約問題を取材してきた原告で作家の澤地久枝さんは、判決をこう見た。「外交交渉のさなかでは、秘密も必要であろうけれども、一定年数が経ったときに、こういうやりとりがあってこうなった、ということを歴史に対してきちんと証言を残す義務が国側にあると思うのです。この国では、それがなされなかった。そういう大きな戦後の歴史の中の一部ですね、今回私たちが争ったのは。でもそこで敗れ去っていたら、本当に闇から闇でしたから。良かったなと思いますね」
機密文書が廃棄された疑いも
さらに判決では、「外務省は国民の知る権利をないがしろにしてきた」と指摘。密約に関する機密文書が、外務省内で廃棄された疑いが出てきている。
先月、国会での参考人質疑。元外務省条約局長の東郷和彦さんが密約に関して証言し、大きな衝撃を与えた。外務省の中で、核兵器の持ち込みに関する機密文書が、一部廃棄された可能性があると語ったのだ。
東郷さんは1998年、条約局長になって、密約に関する文書を初めて読むことになったという。もし密約が明るみに出た場合には対応が必要だと感じ、この文書の整理を行ない、年代順に分類して5つの赤いファイルに収めたという。東郷さんは当時の状況を語った。「この文章をどういう風に扱うかというのは、非常に大きな問題だったわけですね。外に出せば、場合によっては、内閣が倒壊するわけですよ」
東郷さんは、この赤いファイルを後任の条約局長に引き継いだ。しかしその後、文書の一部が廃棄された可能性が出てきている。
2001年、情報公開法が施行され、国民が求めれば、文書を公開しなければならなくなった。そのために事前に密約の文書が廃棄されたかもしれない、と東郷さんは聞かされた。廃棄された疑いについて、「寂しいというか、残念というか。非常に重要なものをちゃんと受け継いで、それが次の人に使えるようにして伝えていく。ちゃんと歴史の中に残して、その上で、みなさまで考えていく。これが僕の責任だと思う」と語った。
「国民の知る権利」を行使し、歴史から学べる社会に
国家が国民に対し情報を公開しないとき、一体何が起こるのか? この問題を考えるとき、忘れることができない事件がある。
今回の密約問題が起きるちょうど1年前、アメリカで起きた事件。最高機密文書「ペンタゴンズペーパーズ」が明らかになり、世界に衝撃を与えた。その文書には、アメリカが行なっていたベトナム戦争の悲惨な実態が詳細に記されていた。政府は、国民に知らせないまま戦線を拡大。
その文書を作成したのは、国防総省のスタッフ、ダニエル・エルズバーグさん。「国家の秘密を守るより、国民に戦争の正確な情報を知らせる事の方が重要だ」と、重い罪に問われるのを覚悟で、文書を新聞社に渡した。新聞がこのスクープを伝えると、政府は記事の差し止めを要求。裁判所はこれを認めたが、ほかの新聞社が次々と記事の掲載を続けたのだ。
1人のアメリカ人とメディアによって、国の重要な情報が国民に伝えられた事件。エルズバーグさんは、当時のインタビューにこう答えている。
「これまでは、国民は十分に国に質問をしてこなかった。そして、公職にある人に対して期待も要求もしてこなかったと思います。これからは、私たちが持つ憲法をより効果的に機能させることができるでしょう」
今回の判決では、「政府は過去の事実関係を真摯に検証し、国民に説明する責務を果たすべきだ」として、国民の知る権利の実現を国に強く求めている。では、それだけでいいのだろうか。
そうした国にしていくためには、私たちメディアも含めて、国民1人1人が、常に国に対して情報の共有を問い続けること。国民が知るべきことをきちんと知り、歴史から学べる社会にすることは次の世代への私たちの責任でもある。密約問題は、そのために私たち自身が何をすべきかを問いかけている。(文:番組取材班 小口拓朗)
取材を振り返って
【鎌田靖のキャスター日記】
1972年、沖縄返還協定をめぐって、沖縄の現状回復のための費用400万ドルを日本がアメリカの肩代わりをしていた問題。日米のいわゆる密約問題のひとつですが、この問題をめぐって4月9日裁判所が画期的な判決を言い渡しました。
文書の公開を国に求めていたジャーナリストや研究者の訴えを裁判所が全面的に認めたのです。当日は、私も裁判所で取材しました。私は記者時代、司法担当が長かったのですが、率直に言ってこの判決は予想していませんでした。各社の現役の担当記者も同じだったようで、法廷から飛び出してきた記者たちは、興奮しうわずった声で判決内容をデスクに報告していました。
判決をわかりやすくいうと、こういうことです。
日米の間で密約があったことは間違いない。秘密にしなければいけないものだから外務省は文書を保管しているはずだ。あるいは秘密のものだから、廃棄した可能性もある。破棄されたとすれば幹部も知っていて組織的におこなったはずだ。にもかかわらず、外務省は通り一遍の調査しかおこなっていない。改めてちゃんと調査しなさい。
ということです。極めて常識的な判決といえるでしょう。
特筆すべきことは、裁判所が外務省に対して「国民の知る権利をないがしろにしている」と厳しく批判したことです。外交上の問題については秘密にしなければならないこともあるでしょう。しかし、裁判所は民主主義の基本である「情報の公開」を国に強く求めているのです。
判決後の記者会見は、会場に入りきれないくらいの報道関係者が集まりました。
弁護団が用意したコメントの表題は「Embracing Win」。「勝利を抱きしめて」という意味です。ピュリッツアー賞を受賞したアメリカの歴史家、ジョン・ダワーさんの著作「Embracing Defeat」(敗北を抱きしめて)を意識されたのではないでしょうか。敗戦後の日本人を描いた名著が、敗戦後から続く密約問題と呼応しているのでしょう。
さて番組では、情報公開法の第一人者で一橋大学名誉教授の堀部政男さんと、元外務省条約局長の東郷和彦さんをゲストに迎えました。このうち東郷さんは、密約問題について、自分が作成した資料が廃棄された疑いがあると国会で重大な証言をした人です。印象的だったのは、東郷さんの次の発言です。
「私たちは一生懸命仕事をしてその結果を記録に残してきました。その内容はいずれかの時点で公開され、歴史の審判に委ねなければならないのです」
東郷さんの話から、歴史に対する強い責任感が伝わってきます。にもかかわらず貴重な文書が廃棄されていたとしたら・・・。外務省にはさらなる調査を期待したいと思います。
最後にもう一言。密約と情報公開の問題。視聴者の皆さんにとって、「政府とメディアの問題で自分たちには関係ない」と思われるかもしれません。しかしあえて、「そうではありません」と言いたいのです。
情報がきちんと国民に公開され、1人ひとりが政府の活動をチェックしていくことが民主主義の基礎だと思うからです。2001年に施行された情報公開法では、誰でも公開を国に求めることができることになっています。ジャーナリストだけではありません。さらにいうと、日本人だけでなく外国人でも請求できます。
ですからこの問題。皆さんにもじっくりと考えてほしいのです。
※この記事は、NHKで放送中のドキュメンタリー番組『追跡!AtoZ』第39回(4月10日放送)の内容を、ウェブ向けに再構成したものです。
◆沖縄密約:東京地裁 杉原則彦裁判長 原告評価「気骨ある判決」
◆沖縄密約国賠訴訟(西山記者)
◆墨筆で書いた辞表を懐に判決に臨んだ裁判長の覚悟