裁判員裁判、消極派80% 実施後も不安解消されず
2010年4月16日 21時41分(共同)
昨年8月の裁判員裁判スタート後、初の国民意識調査を最高裁が実施したところ、「義務であれば参加せざるを得ない」「義務でも参加したくない」との答えを選択した“消極派”が80%に達したことが16日分かった。
調査は今年1~2月、全国の20歳以上、2037人(男性988人、女性1049人)に面接して行われ、うち2010人から回答を得た。
スタート前の2008年に1万500人に面接した前回調査では消極派が83%。サンプル数が異なるため単純比較はできないものの、実際にスタートした後も不安が解消されていない実態が浮き彫りとなった。
今回の調査結果によると、「参加したい」などと答えた“積極派”は計19%。若いほど前向きで、60代が11%だったのに対し20代は30%。性別でみると、男性は26%で女性より約14ポイント上回った。
参加が心配な理由(複数回答)は「被告の運命が決まり責任が重い」が76%と最多。「素人だから」「意見表明の自信がない」「安全が脅かされる」「仕事に支障」「秘密を守れるか自信がない」などが続いた。
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裁判員裁判の量刑、殺人や性犯罪で重い傾向
昨年8月に始まった裁判員裁判では、プロの裁判官のみによる裁判(裁判官裁判)と比べて、殺人や強姦(ごうかん)致傷といった事件では、量刑が重くなる傾向がみられることが、最高裁が16日に公表した裁判員裁判の実施状況の集計で分かった。国民の常識を判決に反映させることが目的の裁判員裁判で、量刑に変化が表れるか注目されていた。
今年3月までに判決が言い渡された裁判員裁判412件と、2008年4月以降の判決で裁判員法の施行(昨年5月21日)よりも前に起訴された裁判官裁判2908件の量刑を罪名別に比較した。執行猶予か実刑かを分けたうえで、実刑については死刑と無期懲役のほか、懲役30年以下の有期刑は2年ごとに分類して件数を比較した。
この期間の殺人事件は、裁判官裁判で計453件あり、最も多かった量刑は懲役9年超11年以下の69件だったが、裁判員裁判の63件では、同15年超17年以下が11件と最も多かった。傷害致死では裁判官裁判の場合、3年超5年以下が109件と最も多かったのに対し、裁判員裁判では5年超7年以下が11件で最多だった。
性犯罪である強姦致傷や強制わいせつ致傷でも同様の傾向がみられ、強姦致傷では、裁判官裁判では3年超5年以下にピークがあったが、裁判員裁判では5年超7年以下が最多だった。
一方、事件数の最も多い強盗致傷や、覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)では大きな差がみられなかった。
こうした傾向についてある刑事裁判官は、「裁判員は被害者の状況を自分に置き換えて受け止める人が多く、生命にかかわる犯罪や性犯罪では、やや量刑が重くなりつつあるのではないか」と指摘する。
一方、執行猶予付き判決では、裁判員裁判の方が多く保護観察を付ける傾向があることも鮮明になった。裁判官裁判では計383件のうち、保護観察を付けたのは36・6%に当たる140件だったが、裁判員裁判では計71件のうち42件に保護観察が付き、59・2%に上っていた。(2010年4月16日21時47分 読売新聞)
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「裁判員裁判の重い刑、尊重すべきだ」と控訴棄却
覚せい剤取締法違反(営利目的輸入)などに問われ、1審・千葉地裁での裁判員裁判で懲役10年、罰金500万円の判決を受けたスペイン国籍のオルキン・モンポ・フェルナンド被告(38)の控訴審判決が14日、東京高裁であった。
金谷暁裁判長は「国民の感覚を反映させる裁判員制度の趣旨を考えると、これまでの量刑傾向よりもやや重く処罰すべきだとした1審判決を尊重すべきだ」と述べ、被告側の控訴を棄却した。
1審判決は「密輸行為を将来にわたり抑え込むという強い意思を示す必要がある」として、同種事件の量刑傾向よりも重い刑を言い渡していた。
判決によると、フェルナンド被告は昨年5月、革靴靴底などに覚せい剤約1・2キロを隠し、南アフリカから持ち込んだ。(2010年4月14日21時18分 読売新聞)
◆弁護側の質問制限「一審が裁判員裁判だから」高裁裁判長
〈来栖の独白〉三審制の意味が無い。「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される」(憲法76条3項)との裁判官の独立に反する。
ところで、2010年1月26日、名古屋高裁で岐阜 中津川の家族5人殺害〈原平被告〉の判決があった。家族とはいえ5人を殺害した事件だったが、高裁は1審判決を支持、死刑を選択しなかった。命を尊重した判決、名判決と私は深い感慨を覚えた。が、裁判員裁判を配慮して1審判決を尊重した結果であることに気づいたとき、ひどい興ざめに襲われた。三審制の意味は、裁判所の独立ではないのか。いま、司法の場から、福音も情も、滅多に聞かれなくなった。