旧約聖書物語 犬養道子著 新潮社
p71~
ヤコブ・イスラエルがエジプトの国に移動してから、430年が経っていた。考古学者はこの記念すべき夜を紀元前1290年のこととさだめている。
男だけでも数万の大群が、砂の国境を出ていくのは夜をこめての仕事であった。闇の中から光の朝へ。囚われの苦難から救いの自由へ。夜をこめてのその旅立ちの記念の祭りは、だから世紀を通じて、夜をこめて祭られ祝われるべきものとなったのであった。
p76~
「食べものが恋しい、水はないか」と人々は口々にうめいた。そしてまたもやモイゼとアアロンふたりに飢餓の苦し(p77~)みの責めを帰した。エジプトでの苦難の歳月も、主に救いを求めて祈った日々の悲しみも、過ぎ越しの夜のことも、いま眼前に見ているはずの白い雲の柱のことも、群衆はひたすら忘れて---あるいは忘れることにはっきりきめて---泣き且つ怒った。「いっそエジプトで死んでいたらよかったものを! あそこには肉汁の鍋があった! パンもあった! こんな砂漠に引きずりこんで、われら全部が餓死するのを、モイゼよ、何と思って眺めるのか。眺めたいのか」
モイゼはその日、神の声を耳にした。「あしたの朝まだき、天からのパンを降らせよう。あしたのみならず、日毎日毎。
民に告げよ---各々は、各々の1日分だけを拾って食せ、と。主なるわれ、民のその日その日を慮ろう。その日その日の糧を与えよう。主なるわれへの信頼のほどを試すために、しかし1日分以上を拾う者の糧は、腐らせ取り上げよう。ただし、主なるわたしの安息の日の前日には、すべての民は2日分を拾うのだ。その2日分は腐敗しない」と。
p89~
10 洪水と塔
氷河時代と、のちの学者の呼ぶ時代。
陸地をおおっていた氷が、徐々に溶けはじめる…暖かい時代のはじまりであった。何万年かの間凍てていた氷が溶ける。洪水が至るところに起った。大洪水の物語を、あらゆる地の民---たとえばギリシャやインドの民---の間にのこして。
そのころ、記憶すべくもないはるかな太古にセトを祖として、生じ増えて来た民は、神を主として崇めない、いや、神を知らぬ民々の、娘たちをこの上なく美しいと思うようになっていた。肉だけが、情欲だけが、セトを祖とする民の日々の思いの中心であった。美しい女たちを奪いあって、嫉妬が、争いが、憎しみが、怒りと戦いが生まれた。安らぎも喜びも、愛も平和もない日々が来た。
「悔やむ」と神は言った。
「滅ぼそう。善をひとつも行わぬ民を」
ただひとり、神に認められた、例外の者がいた。ノアと言う名の人であった。
p91~
アララトの山頂で、生きのびた人々は、祭壇を築いた。動物たちの中から、清らかに見えるひとつがいを取って屠り、祭壇の上に捧げた。ノアと3人の息子たちセム、ハム、ヤフェトの3人の捧げ物を神はその日嘉納した。そして言った。
生めよ
増えよ、
地に満てよ。
(略)
虹の立つとき、
それが、神である主の
契約のしるし。
洪水は、おそらく紀元前4000年ごろの出来事であった。ユーフラテスの河のほとりにのこる大洪水の痕跡がその時期を告げるのである。
しかもその痕跡が、20世紀の学者たちの前に、最も明瞭な形で示し出した地点のひとつは、あのウルであった。アブラハムの父テラが一度住んでいたウル。スメールのウル。
〈来栖の独白 2020.3.6 Fri〉
>「悔やむ」と神は言った。
今の世相、そのままではないか。人々の関心は「情欲」「食欲」だ。女性は、これでもかと言わぬばかりに色(媚態)を売り、TV番組でも「食べる」ことが多い。