早川紀代秀死刑囚「量刑判断には不満です」 端本悟死刑囚--母の後悔 「オウム死刑囚」13人の罪と罰(5)

2018-04-05 | オウム真理教事件

“入信を止めて止めて止めたんだけど…” 「オウム死刑囚」母の後悔
社会週刊新潮 2018年4月5日号掲載
「オウム死刑囚」13人の罪と罰(5)
 坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯の1人である岡崎一明は、事件直後の90年にオウムを脱走、麻原を恐喝し大金をせしめるなど、他の12名の死刑囚とはまったく異なった存在である。そして岡崎とは別の意味で“特別”な存在だったのが、早川紀代秀である。麻原より6歳年長。数少ない年上の主要幹部だった。先日、福岡拘置所に移送されている。
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 1949年、兵庫県生まれ。神戸大を経て大阪府立大学の大学院で緑地計画工学を学び、卒業後はゼネコン「鴻池組」に就職した。しかし、麻原の著書に出会い、87年に出家。教団では「建設省大臣」の地位に就き、土地の買収に奔走。プラント建設の指揮などもしている。
 オウムの「車両省大臣」だった野田成人氏は言う。
「年長者ということもあり、麻原からも一目置かれていました。麻原は、例えば新実なら“ミラレパ”とホーリーネームを呼び捨てにするのですが、早川については、“ティローパ大師”などと階級を付けて呼ぶし、敬語も使う。若い出家信者からは“オヤジ”と呼ばれることも。ただ、しばしば彼らを怒鳴りつけ、怖がられてもいました」
 オウムは90年代に入り、ロシアへ進出。「オモテ」で信徒を拡大する一方で、武器や薬物の調達を行うが、その「ウラ」仕事も早川の役割だった。
 2009年、死刑が確定。オウム事件に詳しいフォトジャーナリストの藤田庄市氏が言う。
「オウムには社会人経験のない、学校を出てすぐの若者も多かった中、自然と渉外の仕事を任されることになったのでしょう。拘置所で何度も面会しました。精神的に安定していて、麻原からは離れても、仏教からは離れず、瞑想などの修行はしている、と」
 最後の面会は確定直後。別れ際、早川は、「また同じことが起こりますよ」と述べていたという。
「麻原というグルがすべてを発しているということが、裁判では認定されていない。それでは同じ事件が繰り返されるだけだ、と言っていたのが印象的でした」(同)
 本心か、あるいは、年かさながらも、麻原の暴走を止められなかったことへのアポロジーなのか。
 2011年には、死刑廃止団体のアンケートに答え、〈私の量刑判断には不満です〉〈死刑制度について、廃止すべきと思います〉。どうやら「生への執着」は人一倍あるようだ。
■面会では昔の話
 他方、同じ坂本事件の現場にいながら、早川の18歳年下、当時、20歳そこそこの若者だったのが、端本悟である。

   

 1967年、東京生まれ。早大法学部に進学するも、オウムに入信した友人を取り戻そうとするうちに、自ら信仰にのめり込んでしまった。
 空手の経験者で、腕を買われて坂本事件に参加。後に松本サリン事件でもサリン噴霧車の運転をした。秘密を知ったその代償か、恋愛禁止の教団の中で、美人4姉妹「オウムシスターズ」の次女との交際を黙認されていた。
 ジャーナリストの江川紹子さんは、一連の事件発覚前からオウムを厳しく批判、麻原に暗殺指令を出され、自宅に毒ガス「ホスゲン」を撒かれた経験を持つ。その実行犯のひとりが端本だった。
 江川さんが言う。
「しかし検察はそれを捜査しなかった。それなのに、彼の情状を悪くするためだけにいきなり法廷でこの件を持ち出したのです。傍聴席にいた私は驚きました。そこで、弁護人を通じて彼に“法廷で証言すると情状が悪くなるからそれはしなくてもよい”“手紙で良いから、何があったか教えてくれ”と伝えました。すると、彼は“法廷で言います”と、弁護人の質問に答える形で自分の知っていることを話してくれたのです。とても誠実な態度でした」
 その端本の実家を訪れると、彼の母が言葉少なに応対してくれた。
「今もひと月に1度は面会しています。向こうも普通に振る舞っていますし、刑の執行とか、そういう話は一切しません。もう本人もわかっているでしょうけど。いつも親の体調を気遣ってくれたり、家族の話。結局は昔の話ばっかりですよ。あの時はああだったね、とか、あの時は楽しかったね、とか。いかに普通に暮らしたかったか、ってことをね」
 端本が入信したのは、大学3年生の時だった。
「止めて止めて止めたんだけどね。出て行く時は正座して“21年間幸せに育ててくれてありがとう”“でも戦争を止めなきゃ”って。馬鹿みたいな話なんだけど、ああいうところに行くとそうなっちゃうんだろうね。子どもの頃からこういう恐ろしいものがあるんだよって教えられていれば……」
「あなたいくつ?」「ちゃんと育てられて良かったね」。記者にそう語りかける母。悔恨の念は尽きないようだ。
 (6)へつづく
 短期集中連載「13階段に足をかけた『オウム死刑囚』13人の罪と罰」より

 ◎上記事は[デイリー新潮]からの転載・引用です
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