「ステゴロのケンカは苦手だった」工藤會・野村悟被告【死刑判決】 高裁に控訴

2021-08-29 | 死刑/重刑/生命犯

「ステゴロ(素手)のケンカは苦手だった」工藤会トップ・野村悟被告の礼節と執念深さ【死刑判決】〈週刊朝日〉
 2021/8/29(日) 10:00配信 AERA dot.

  
  野村被告を乗せて自宅(北九州市小倉北区)を出る警察車両=2014年9月/朝日新聞

 福岡県内であった一般市民殺傷4事件で、福岡地裁が国内で唯一の「特定危険指定暴力団」工藤会(本拠・北九州市)のトップに死刑を言い渡した。長く暴力団事件や捜査を取材してきた緒方健二・元朝日新聞編集委員と朝日新聞記者がトップの実像に迫った。

「公正な判断をお願いしたけど全然公正じゃない。こんな裁判あるんか。あんた生涯ねえ、このことを後悔するぞ」
 8月24日午後4時すぎ、福岡地裁101号法廷で、直前に求刑通りの死刑判決を言い渡された男は裁判長に向かって、そう断続的につぶやいたという。
 男は全国で唯一の特定危険指定暴力団・工藤会トップの野村悟被告(74)だ。傍聴していた朝日新聞記者によると、大声ではなかったが、怒りをにじませていたように聞こえたという。
 1998年2月の元漁協組合長(当時70)射殺や2012年4月の元福岡県警警部銃撃など市民襲撃4事件で、工藤会ナンバー2の田上不美夫被告(65)とともに殺人などの罪に問われ、一貫して無罪を主張していた。無期懲役を言い渡された田上被告も「ひどいねえ、あんた、〇〇さん」と裁判長の姓を挙げて呼びかけるように言ったという。
 一連の事件捜査にかかわった元警察幹部は、報復予告とも取れる両被告の発言を「意に沿わない者を許さない本性が現れたのではないか」ととらえる。
 朝日新聞の司法担当記者によると弁護団は26日、記者団に野村被告の発言について説明した。接見した弁護団に野村被告は「こんな判決を書くようでは裁判官としての職務上『生涯後悔することになる』という意味で言った。脅しや報復の意図で言ったのではない」と話したという。
 工藤会は「日本一危険な暴力団」とされる。福岡、長崎、山口の3県を勢力範囲とし、警察白書によると、昨年末時点の組員は約270人。九州・沖縄では最大規模だが、山口組(本拠・神戸市)の約3800人、住吉会(東京)の約2600人、稲川会(東京)の約2千人には遠く及ばない。
「だが自分たちのシノギ(資金集め)を侵そうとする敵対勢力や、要求を拒む市民・企業、摘発に励む警察には冷酷に牙をむく。その攻撃性は、全国24指定暴力団の中でトップクラス」
 長く工藤会捜査を担った福岡県警の元幹部はそう話す。
 その実例として元幹部は、判決対象の4事件とは別に、暴力団追放に積極的だった北九州市内のクラブに手榴弾が投げ込まれ、女性従業員ら12人が負傷(03年)▽福岡県警警察官舎駐車場に時限式爆発物設置(02年)▽暴力団排除の標章を貼った飲食店経営女性らへの相次ぐ襲撃(12年以降)などを挙げた。
 工藤会の起源は、戦後間もない1946年に小倉市(現北九州市)にできた「工藤組」とされる。60年代には九州進出をもくろむ国内最大勢力の山口組と抗争になった。分裂、内部抗争を経て87年「工藤連合草野一家」となり、99年に「3代目工藤会」と名称を変えた。いまの工藤会は5代目と呼ばれている。
 野村被告は2000年に4代目会長となり、11年に退いて「総裁」に就いた。5代目会長は田上被告だが、捜査当局はいまもトップは野村被告とみている。
 野村被告はどんな人物なのか。
 筆者は会って直接話をしたことはない。昨年8月の公判を傍聴して初めて間近に見た。短い白髪に黒いスーツの上下姿の被告の言動を数時間にわたって注視した。それまでに見聞きしていた印象とは違い、どこにでもいる穏やかそうな初老の男性に見えた。
 その公判で語られた証言や捜査資料、筆者や朝日新聞記者が野村被告を知る人たちに聞いた話を総合すると……。
 1946年11月、小倉市の裕福な農家に生まれた。6人きょうだいの末っ子だった。10代から非行が目立つようになった。中学時野村野村被告を知る男性は「ステゴロ(素手)のけんかは苦手で、木刀を持ち歩いていたため『木刀の野村』と呼ばれていた」と話す。
 間もなく賭博にのめり込み、公判でも自身が「ひと晩に2千万~3千万円を稼ぎ、最高で2億円ほどあった」と語った。工藤会は元々、賭博を主な生業とする博徒集団だ。やがて組織の目にとまり、20代初めに傘下組織幹部の「舎弟」になった。やくざ人生の始まりだ。
 内紛をめぐる「活躍」や資金集めの「実績」が評価されて86年、傘下組織の主流とされる「田中組」トップに就く。以後は90年に「工藤連合草野一家」若頭、99年に3代目工藤会理事長と組織内の階段を上っていった。
 そもそも人物像なんて語る人によって異なるのだから、ひとつに結べるわけがない。いくつか並べると……。
「象徴」「神」「天皇」(工藤会幹部、傘下組織組長)
「複雑な思いを押し殺して『上』に仕え、念願のトップ就任を果たした。人間的な魅力を備えていた」(元捜査幹部)
「ワイン大好き。自宅に立派な業務用ワインセラーをつくった」(飲食店関係者A)
「単独でふらりの前任トップと違い、大勢を引き連れて飲みに来ることが多かった。売り上げ増にはつながるが周囲に威圧感を与えた」(飲食店関係者B)
「家族思いで、家族写真の撮影をプロのカメラマンに頼んだ」(自営業者)
「礼儀正しく振る舞うが、担当した凶悪事件で狡猾さや執念深さを感じた」(福岡県警元幹部)
「やり方に疑問を持っていたが、下手に動いた際の結果を恐れて黙る者が少なくなかった」(組織関係者)
 野村、田上両被告は判決を不服として25日、福岡高裁に控訴した。14年9月の福岡県警による「頂上作戦」で逮捕されてから7年。さらに「社会不在」が続くが、組織運営や幹部人事は依然として両被告が差配し影響力を保持しているという。
 福岡県警によると、工藤会関与が疑われる事件は03年以降で86件あり、うち殺人事件を含む54件が未解決だ。工藤会関係者は「死刑判決が出ても組織はなあんも変わらん」と話す。壊滅を目指しながら果たせないでいる警察当局にとって一審判決はひとつの節目に過ぎない。
 ※週刊朝日9月10日号に掲載

●プロフィール
 おがた・けんじ 元朝日新聞編集委員。1958年生まれ。82年に毎日新聞、88年に朝日新聞入社後は東京本社社会部で警視庁公安、捜査一課担当・キャップ、デスクなどを経て、事件・警察・反社会勢力担当の編集委員。2021年5月に退社 

 最終更新:AERA dot.

 ◎上記事は[Yahoo!JAPAN ニュース]からの転載・引用です


 あわせて4人の市民を死傷させた事件で殺人などの罪に問われ、死刑を言い渡された北九州市の特定危険指定暴力団「工藤会」のトップの被告が1審の判決を不服として、福岡高等裁判所に控訴しました。
 北九州市の特定危険指定暴力団「工藤会」のトップで総裁の野村悟被告(74)は平成10年から26年にかけて北九州市や周辺の地域で漁協の元組合長が射殺された事件のほか、元警察官や看護師ら3人が拳銃や刃物で襲われけがをした事件に関わったとして殺人などの罪に問われました。
 野村被告は無罪を主張していましたが、福岡地方裁判所はおととい、4つの事件すべてに組織トップの被告が関与したと認め、死刑を言い渡しました。
 野村被告はこの判決を不服としてきょうまでに福岡高等裁判所に控訴しました。
 また、無期懲役の判決を言い渡された組織のナンバー2で会長の田上不美夫被告(65)も控訴しました。
 一方、野村被告の弁護士は、野村被告が判決後に裁判長に向けて「公正な判断ではない。生涯、後悔する」と発言したことについて「野村被告は接見した際に『脅しのつもりではない』と話していた。裁判官として職務上、後悔するという意味の発言だと思う」としています。

 ◎上記事は[NHK  NEWS WEB]からの転載・引用です
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死刑言い渡された「工藤(くどう)会」トップ 弁護士以外の人と面会禁止 2021/8/28 
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死刑判決で裁判長に「後悔するぞ」 工藤会トップ「野村悟被告」の素顔と意外な評判 2021/8/28 デイリー新潮

  
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