反骨の弁護士が見た戦後
ひまわりと羊 第五部 罪と罰 ■ 5 ■
「自分の命が奪われることになって、初めて他人の命というものに向き合ったんだろう」。内河恵一(よしかず)らとともに、「大高緑地アベック殺人事件」の主犯とされた被告=犯行当時(19)=の弁護団の一員だった雑賀正浩(60)は、一審で死刑判決を受けた被告と接見し、そんな印象を抱いた。
控訴審判決を前にした時期。弁護団は量刑見直しを求めていたが、名古屋高裁がどう判断するのかは見通せない。たびたび「生きて償いたい」という言葉を耳にした内河は、その意味を考えた。
「何をもって償うのか。奪った命をよみがえらせるわけにはいかない。限界がある中で、事件に向き合い続ける。それも償いだと思う」
雑賀は「君の言う償うとは具体的に何をすることなのか」と被告に問い続けた。「その答えを深めないと、死にたくないというだけに聞こえる」とも伝えた。
1996年(平成8)年12月、名古屋高裁は死刑判決を破棄して無期懲役を言い渡した。
精神的に未熟な少年たちが虚勢を張り合った末に最悪の結果に至ったとする弁護団の主張を取り入れ、「場当たり的な集団犯罪で、矯正による罪の償いを長期にわたり続けさせる余地がある」と判断した。
「控訴審の公判でも命の尊さ、犯行の重大性、一審の死刑判決の重みを再認識して、反省の度を深めている」とも指摘した。
名古屋高検は最高裁への上告を断念。二審判決を覆すことはできないと判断したとみられる。内河は当時の中日新聞にこう語っている。
「本人は反省し、生きている限り償いたいと話していた。刑が確定することで、それをどう実現するか模索することになる」
(文中敬称略)
◎上記事は[中日新聞]からの書き写し
* 反骨の弁護士が見た戦後 「大高緑地アベック殺人事件」 突然の依頼