鈴木邦男さんを悼む [言論の覚悟]示した人生篠田博之 2023.2.8.

2023-02-08 | 文化 思索 社会

鈴木邦男さんを悼む 「言論の覚悟」示した人生
 篠田博之 
 中日新聞 夕刊 2023.2.8.Wed.

 1月27日、鈴木邦夫さんの訃報に衝撃を受けた。パーキンソン病と疑われてこの2年ほど、コロナ禍ということもあって面会謝絶が続いていた。
 かつては右翼とされ、その後はリベラルの立場となり、右翼陣営からは「裏切り者」と非難されていたが、やく三十年間付き合ってきた私から見ると、そう単純なことではない。
 日本全体の思想の座標軸が右へずれたせいで鈴木さんの立ち位置が相対的に変わってしまった。本人もそんなふうに言っていたと思う。言論界では独特の立ち位置だっただけに、鈴木さんがいなくなってしまったのは本当に残念だ。
 鈴木さんが新右翼と呼ばれてマスコミに登場したのは1975年に出版した『腹腹時計と<狼>』がきっかけだった。三菱重工爆破事件を起こした極左と呼ばれたメンバーが逮捕後、服毒自殺した。自分の思想や行動に命を懸けていたというその点に鈴木さんは共感したらしい。当時は極左と極右の共鳴などと取り上げられた。
 鈴木さんは「言論と覚悟」という言葉が好きだったが、その原点は変わらなかったと思う。
 かつて私の編集する月刊『創』(86年4月号)に書いた原稿でこう言っていた。「活字だって立派な凶器だ。人を斬りもすれば殺しもする。その自覚もなくて人を傷つけておきながら、ちょっと抗議されると本を回収し、『これは右翼の暴力だ』『言論統制だ』『タブーだ』などと泣き言をいう。いい大人が余りにもミジメだろう」。鋭いマスコミ批判だ。
 長い間鈴木さんは、全ての著書に自宅の住所と電話番号を載せていた。まさに「言論の覚悟」を示していたわけで、実際に自宅が放火されたこともあった。
「ネトウヨ(ネット右翼)」と呼ばれる人たちが目立つようになってからは、鈴木さんは彼らと激しく対立した。2010年以降、日本のイルカ漁を批判した米映画「ザ・コーヴ」が「反日」だとして激しい上映妨害を受けた時には、映画館前でよく鈴木さんと顔を合わせた。
 鈴木さんのすごいところは、上映中止を叫ぶ抗議の隊列に割って入り、「映画を観もしないで上映するなと言うのはおかしいだろう」「君たちがやっているのは弱い者いじめだ」と説得したことだ。時には現場が騒然となって顔面から出血したこともあった。
 抗議の隊列に割って入る鈴木さんの背中を何度も見て、そのたびに私は「言論の覚悟」という言葉を思い出した。右翼からリベラルに変わったと言われながらも、鈴木さんの原点はたぶん変わっていなかったと思う。
 19年頃から鈴木さんは体調を崩し、20年には執筆もできなくなった。鈴木さんの連載「言論の覚悟」は、終了でなく休載だとして復帰をずっと待っていたのに、今回の逝去は残念でならない。

 (しのだ・ひろゆき=月刊『創』編集長)

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 民族派団体「一水会」元代表の鈴木邦男さんは1月11日死去、79歳。

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 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し


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