オバマ大統領広島訪問 中国の歴史「日本は加害者」カードを砕く一撃だった 湯浅博 産経新聞2016/5/28

2016-05-28 | 政治

2016.5.28 08:56更新
【オバマ大統領広島訪問】それは中国の歴史「加害者」カードを砕く一撃だった 特別記者・湯浅博

   

  広島市の平和記念公園での演説で「核兵器なき世界」への決意を表明するオバマ米大統領=27日午後5時49分(代表撮影)
 米大統領の被爆地・広島への初訪問は、日米関係を戦争の痛手から強固な同盟に変えた。オバマ氏は自ら被爆地に足を運び、献花した。多くの言葉よりたった一つの行動が、被爆者の悲願を満たし、勝者と敗者の間にある心のミゾを埋めていく。
 オバマ氏は献花後に行った演説で、過去よりも未来への希望を多く語った。「核なき世界」への理想を掲げ、核削減への道が示された。
 オバマ氏は2009年4月に、プラハで「核廃絶」の演説をした。すると、世界中から称賛の嵐が起きて、ノーベル平和賞まで受賞した。だが、核不使用への意識は高まっても、「核ゼロ」につながるほど現実の世界は甘くない。実際、この7年余で核の脅威は逆に増えている。
 政治指導者が国益を背に語る「核廃絶」の理想主義ほど怪しげなものはない。時間がたつうちに国際社会はその真意をいぶかり、隠された意図をめぐる論争が起きた。
 保守の論客、福田恆存が存命なら「悪魔は二度と地下には潜らぬよ」と冷笑したに違いない。米国でも元国防長官のシュレジンジャー氏は「核廃絶を願うのはかまわない」が、核なき世界が実現すると、良心的でない核開発者の影におびえなければならないと厳しい現実を米紙で突いた。
 日本の周辺は腹黒い国家ばかりである。中国はもとより、北朝鮮の核開発、ロシアの拡張主義も止まらない。米国に望むのは、核削減といえども力の均衡を崩さないように減らすこと。米国の「核の傘」に信頼がおけなくなれば、日本は核オプションを論議せざるをえなくなるからだ。
 私自身は演説に盛り込まれた言葉より、献花に訪れたオバマ氏の行動の方がより重要であると思う。それは任期の間際に成し遂げたオバマ氏の外交遺産になり、日本を「米中共通の敵」とする江沢民元中国国家主席の外交遺産を打ち砕く一撃でもあったからだ。
 反日を体制維持に利用する中国指導部には、日本が被害者の立場になっては都合が悪いのだ。中国は主要国の中で、いまも核の増強を続ける唯一の国であり、日本の「被害者イメージ」が高まると、日米分断の切り札にこの「加害者カード」が使えなくなる。
 1989年の天安門事件で、共産主義イデオロギーの凋落(ちょうらく)に直面し、江主席が頼ったのがナショナリズムの高揚であった。反日教育を現場に取り入れ、ことあるごとに「日本軍国主義の足音がいまも聞こえる」と繰り返した。以来、反日ナショナリズムは、共産党体制を維持する最強のイデオロギーになった。
 忘れられないのは、江主席が97年訪米に際してハワイに立ち寄り、真珠湾記念館で献花したことである。江主席はこのとき、「真珠湾の教訓を忘れるべきではない」として日本を「米中共通の敵」とする記憶を呼び起こした。戦勝国は正義が邪悪に勝ったとの認識だから、その熱狂が人々を鼓舞するとの狙いである。
 後に、江主席が訪日したときの宮中晩餐会でも、過去ばかり語って日本国民のひんしゅくを買った。以来、彼のいう「日本を戦争犯罪でたたき続けろ」との指示は、中国の外交遺産になった。現在の習近平主席も、二言目には「歴史をかがみに」といって、贖罪意識の強い日本人を金縛りにする外交術は変わらない。
 習氏は過去を語るが、オバマ氏は未来を語った。米国はたたきのめした相手国にわびることはしないし、日本も謝罪を求めるような品位のないことはしない。日米戦争は米国にとっての「義戦」であり、大量殺戮の現場を訪れることは難しかったのだ。だからこそ、オバマ氏の広島訪問によって、日米同盟は感情のくびきから解放され、同盟関係は一段と強化されるのである。

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です
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