死刑判決を考える /奈良

2006-10-27 | 死刑/重刑/生命犯

支局長からの手紙:死刑判決を考える /奈良

 「三つ子の魂百まで」と言いますが、奈良市女児誘拐殺害事件で9月26日、地裁が小林薫被告(37)に言い渡した判決のなかで奥田哲也裁判長は「30歳代後半の壮年の域にある被告が、人格を矯正し、更生することは極めて困難であるといわざるを得ない」と断じました。その内容が支局に伝わると、被告と同世代の記者が「えー、そんな」と思わず大声を上げました。
 判決をまた読み直しました。そして、このくだりは昨年4月から今年6月の結審まで計10回の公判で、真正面から被告の挙動、発言、表情を見てきた裁判長が行き着いた「小林薫という名の37歳」に投じた表現であり、その世代の大勢を矯正不可能とするものではないと感じました。
 死刑判決について、専門家の間でも議論百出ですが、私は肯定的に受け止めています。作家の高村薫さんは本紙に「幼い子が犠牲になったからと言って、感情で判断してはならない。踏襲されてきた最高裁判決の永山基準を変えるなら国民的合意が必要だ」と3年後の裁判員制度にも触れ、反対の立場を唱えました。支局司法担当の高瀬浩平も矯正プログラムが開始した時期に更生不可能と判断した判決内容に「視点」や「記者の目」で疑問を呈しました。
 しかし、永山基準は被害者が1人の場合死刑は選択しないと強調している訳ではなく、事件の罪質、動機、執よう・残虐性、遺族感情、社会的影響、被告の前科、情状――を総合的に配慮する、としています。さらに被害者1人でも身代金や生命保険金を奪う目的や前科によって、死刑が選択されてきました。性的暴行に加え、遺体の写真をメールで親に送りつけ、妹も標的にしようとするメッセージ。この事件で子を持つ親や地域の人たちは、ほとんど遭遇する可能性のない恐怖のために登下校に付き添い、前科ある被告は最後まで謝罪もなかった――。一つ一つを前記項目に当てはめて、さらに金品に代えがたい子どもの人権を思うと、「矯正、更生は極めて困難」と言えまいか。同じ1人殺害でも今年7月に無期懲役判決が出た広島市のペルー人被告の事件と比べても死刑相当と判断するのが妥当ではないでしょうか。
 ご存じの通り、日本には終身刑がありません。無期懲役でもその多くはやがて社会に出てくるという現実。それは死刑確定後に女児の父母が公表した「今後、小林被告により、他の子どもたちが同じ被害を受けることはありません」というコメントにも色濃くにじんでいます。
 裁判員制度をすぐそこに控え、今、私たちメディアにできることは、死刑制度の存廃をはじめ、事件発生から判決まで多様な情報や意見を正確に読者に伝える。これに尽きます。【奈良支局長・井上朗】10月15日朝刊
(毎日新聞) - 10月15日17時1分更新


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