アウシュビッツ解放75年 虐殺の証拠 後世に 2020/1/27

2020-01-27 | 文化 思索

アウシュビッツ解放75年 虐殺の証拠 後世に
 2020年1月27日 東京新聞 夕刊

 【オシフィエンチム(ポーランド南部)=近藤晶】ナチス・ドイツが第二次大戦中、ユダヤ人らを虐殺したアウシュビッツ強制収容所がソ連軍に解放されてから二十七日で七十五年。年月の経過とともに、収容者の所持品など収蔵品の劣化対策が課題となっている。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の史実を後世に伝えるため、保存・修復作業は時間との闘いが続く。
 収容所に連行されたユダヤ人らは到着後、すぐに所持品を没収された。現在、博物館が収蔵する所持品は、靴約十一万足、スーツケース約三千八百個、鍋一万二千個以上、義手・義足四百七十本、衣服など六百点以上に上る。
 膨大な数の所持品も、かつては一つ一つに持ち主がいた。保存・修復スタッフの女性は「半透明のくしの内部にフルネームを見つけた時、持ち主が分かるのではと思ったが結局、特定できず取り乱してしまった。自分の感情をどう抑えるかを学ばなければならなかった」と振り返る。
 白衣に身を包んだ女性が保存作業をしていたスーツケースには、夫婦とみられる名前とベルリンの住所が書かれていた。作業中に靴の中からヘブライ語で書かれた紙片が見つかるなど、新たな発見につながるケースもあるという。
 現在の保存・修復作業室が開設されたのは二〇〇三年。二十人のスタッフが従事する。作業で重要なのは、元通りに復元することではなく、腐食やさびなど劣化が進まないように保存すること。ホロコーストの証拠としての信頼性を維持するためだ。保存部門のアンジェイ・ヤスジェボスキさん(42)は「日用品は数十年もの耐用年数は想定されていない。私たちは七十五年たっても、なおそれらを現存させようとしている。非常に難題だ」と語った。
<アウシュビッツ強制収容所>
 ナチス・ドイツが1940年、占領下のポーランド南部オシフィエンチム(ドイツ語名アウシュビッツ)に建設。連行した130万人のうちユダヤ人ら110万人をガス室などで殺害した。ドイツ敗戦前の45年1月27日にソ連軍が解放。収容所跡はポーランド国立アウシュビッツ・ビルケナウ博物館として保存され、79年に世界遺産に登録された。

  
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オランダ、ユダヤ人に謝罪 政府初「迫害 守らなかった」
  2020年1月27日 夕刊

 【ブリュッセル=共同】オランダのルッテ首相は二十六日、第二次大戦中にナチス・ドイツに占領されたオランダの政府がナチスに従い、ユダヤ人を迫害から守らなかったことを「政府の名において謝罪する」と述べた。戦時中のユダヤ人への行為を巡り、政府が公式に謝罪したのは初めて。欧州メディアが伝えた。
 ルッテ氏はナチスによるユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の犠牲者追悼式典で「政府機関は正義と安全の守護者として行動しなかった。多くの公務員は占領者の命令を遂行した」と指摘した。式典は首都アムステルダムで開かれた。
 ユダヤ人を追放し、悲惨な末路をたどらせたことについて「十分認識されてこなかった」とも強調。戦後七十五年たっても「反ユダヤ主義がわれわれの中にある」と訴えた。
 第二次大戦中のオランダには約十四万人のユダヤ人が暮らしており、約十万二千人がナチスに殺害された。迫害を逃れ家族とドイツからアムステルダムに移った「アンネの日記」の作者の少女、アンネ・フランクもいた。
 国営のオランダ鉄道はユダヤ人らの収容所移送に加担したとして二〇〇五年に謝罪し、その後、賠償金を支払うと発表した。
 
 ◎上記事は[東京新聞]からの転載・引用です
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ユダヤ人はなぜ、ナチス・ドイツの標的にされたのか アウシュビッツで身代わりとなったコルベ神父 「PHP online 衆知」 

  
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