日本維新の会は分裂するのが自然だ 「永田町異聞」

2013-06-20 | 政治

「永田町異聞」 日本維新の会は分裂するのが自然だ
‎2013年6月20日0:19:03
 自然の成り行きなのだろう。「日本維新の会」の亀裂が深刻になってきた。石原慎太郎にとって、逆風にさらされる橋下徹など、一銭の値打ちもないと見切ったのか、「終わったね…この人」。
 上昇を続けてきた「橋下相場」が急落するきっかけをつくった当の本人からそんな風に言われたら、いくらその甘言にほだされてご老体とその連れを迎え入れた自業自得とはいえ、橋下も切れやすい性分を丸出しにせざるをえなかったのだろう。
 「では、代表を辞めればいいんですか」と、売り言葉に買い言葉。
 いやはや、政治家もこのレベルになると、落語の「熊さん・八っつぁん」と話の中身は似通っていても、愛嬌もなく、人情もない分、どうにも始末に負えない。
 人間、絶好調のときがいちばんの危機だというが、橋下維新の会はその見本だった。
 人気があったり、カネをたっぷり持っていたり、とにかく勢いがある人間の周りには、どこからともなく、いい話だというふれこみで、人がすり寄ってくる。
 「橋下さんは義経、私は弁慶だ」と大阪市長を持ち上げ、「彼は首相になるべきだ」と甘言を弄してにじり寄ったのが石原慎太郎だった。
 何のことはない、早くも弁慶が頼朝に豹変したようだ。もっとも、天下などとれそうにもない頼朝ではあるが。
 選挙目的でにわかにくっついた烏合の衆は、いずれ分裂するのが通り相場だ。橋下が慰安婦発言などで落ち目と見るや、今度もまた選挙を前に、「終わったねこの人」と、自分を棚に上げたまま唯我独尊の境地にひたりきる。
 衆院選で石原と組むために「脱原発」の旗を降ろし、改革派というより守旧的な色を自らに塗りたくってしまったうえ、戦前の日本軍の慰安婦制度を容認するがのごとき発言をしてしまう橋下の自損行為は、その粗暴と稚拙さゆえにまだ同情する余地がある。
 しかし、石原慎太郎は狡猾で悪質だ。都知事をやめた今となっては、地方分権など彼にとってはどうでもいいのだ。とにかく、憲法9条を改正し、核兵器を持ち、軍事力を背景に米国や中国と渡り合う国にしたいのだ。
 戦前の日本軍の行動を「侵略」ではなく「防衛」だと主張する。それが「侵略」を認める橋下と決定的に違うところだと、今になって言う。だが、そんなことはハナからわかっていたはずである。とにかく人気のある橋下にあやかり、「維新」の看板が欲しかっただけであろう。
 もし橋下が、有名人と手を組もうなどとせず、大阪の改革を一つ一つ着実に成し遂げる姿をメディア通して発信し、国政への未知の期待感を高めてゆくことに徹していたら、「維新」という言葉が簡単に色あせることはなかったかもしれない。
 大阪市長を一期、しっかりとつとめあげ、市政改革の目標を遂げたうえで国政選挙に打って出る。それまで「維新」は地方に徹する。その当たり前の筋道をはきちがえ、国政にはやったから、焦りが生まれ、石原らすでに「終わっている」人たちをどさくさに紛れてすべり込ませる隙をつくってしまったといえる。
 「日本維新の会」はいったん解体し、新たに出直すほうがいいのではないだろうか。
 なお、慰安婦発言についての筆者の感想は「永田町異聞メルマガ版」5月23日号に「橋下徹氏への手紙」というタイトルで書いたので、ご参考のため下記に転載しておきたい。(ツイッターアカウント:aratakyo)

          ◇◇◇◇◇◇

日本維新の会共同代表 大阪市長 橋下徹 殿
 拝啓
 青葉の間から目の覚めるようなシャクナゲの花が開いています。微風さわやかな季節、大阪の改革は順調に進んでおりますでしょうか。
 いつもながらの舌鋒で、マスコミをこき下ろしつつ、巧みに利用する貴方の手法。興味深くテレビ画面を拝見しております。
 さて、このたび貴方の慰安婦に関する発言がマスコミに大々的に取り上げられました。中国、韓国はおろか、アメリカやヨーロッパのメディアからも批判の矢を浴びていること、そしてその釈明に追われておられること。ご心痛、いかばかりかと、お察し申しあげます。
 最初に申し述べておきますが、私は貴方を非難するためにこの手紙を綴っているわけではありません。貴方はたいへん勇気のある人だと思っております。タブーに挑戦する言説に、爽快感をおぼえる人も多いでしょう。
 人間の本能とモラル、そして政治の問題を混同されたのでしょうか、今回の「慰安婦発言」も、まるで何も知らない少年のようなある種の無邪気さが感じられて、私個人としては微笑ましくもありました。
 兵隊には慰安所が必要で、他国の軍隊にもそういう所があった。なのに、なぜ日本だけが非難されなくてはならないのか。侮辱され続けるのは嫌だから、言うべきことは言う。そうおっしゃりたいお気持ちはよくわかります。私も日本人ですから。
 ただ、この考え方は失礼ながら、いささか幼稚だとも思えるのです。なんで、僕らだけいじめられるのだと、駄々をこねている子供のように見えるのです。あるいは、どんなに悪いことでも、みんながやっているのだから、自分もやっていいというふうにも聞こえます。悪いことは、やはりやってはいけないのです。他人がどうであろうと。
 貴方のこだわる教育論においても同じでしょう。戦争は人殺しです。人の命は何より大切です。性の売り買いをするのは、とても人に言えない恥ずかしい行為です。それは自明の理のはずです。
 しかも、重要な問題は貴方が子供ではなく、政治家であること、しかも大きな政党の党首であることです。つまり、子供じみた戯言ではすまされないということ。政略、戦略を必要とする立場にあるということです。
 貴方は男の本能、すなわち性的欲望の処理が兵士にとって必要だとして、戦前の日本軍の慰安所を容認し、今の沖縄の米軍に風俗店の利用を勧められました。その後、ツイッターで弁明、強弁にいそしみ、テレビに出演して真意の説明、イメージ修正につとめられておりますが、要は上記のようなことだと思います。
 確かにおっしゃることも、一つの理屈です。戦地で女性にふれあうことのない若い兵隊さんたちにとって、もてあます性的エネルギーをどう発散するかは、かなり切実な問題でしょう。中には自己抑制が利かない者がいて、一般女性への暴行事件にもつながりかねません。
 ですが、私にはどうしても合点がいかないことがあるのです。「慰安婦」という売春制度を設けてまで、進めていかねばならなかった「戦争」とはいったい何なのでしょうか。
 もちろん、「売春」という行為は現在に至るまで人間の歴史のなかでたえず行われてきた。その事実は直視しなければなりません。きれいごとで解決できるものではないでしょう。
 私の知り合いの市役所職員は、さる英語圏の姉妹都市からやってきた市会議員団のメンバーに依頼されて、看板だけ料亭ながらいまも営業を続けている有名な遊郭へ案内したといいます。その外国人たちがプロテスタントか、カトリックか、それ以外かは知りませんが、実態はそんなものです。
 しかし、「慰安婦」は戦争にかかわる制度そのものなのです。戦前の教育で気持ちを高ぶらせ戦場に駆り立てられた大半の日本兵は、国家の指導者たちが進めた政策の、いわば被害者です。
 彼らを癒したいという使命感に燃えたのか、ただカネのためなのか、あるいは貧困の故なのか、動機は何にせよ新聞の募集広告を見て集まってきた女性たちも、軍部がつくった戦争のシステムに組み込まれたのだと思います。
 そのことについて、現代の日本国民としての冷静な省察を抜きに、慰安婦はどこの軍隊にもつきものだという理由で、日本だけを批判するなと主張するのは、やはり政治家の発言として、いささか品位に欠けるのではないでしょうか。
 勝った国は侵略にならず、負けた国だから侵略の汚名を受け入れなければならないという考えにも疑問があります。勝っても負けても侵略は侵略です。連合軍に加わった国々も侵略をしてきたのです。どちらの側にしても、戦争をすること自体が悪なのです。
 勝者の側にいるから、戦犯として軍事裁判にかけられ罪に問われることがなかったというだけのことです。
 張作霖爆殺事件、満州事変、そしておそらく上海事変も関東軍の謀略で引き起こしたものです。この一連の事変を経て日中戦争が起こり、泥沼化して、対米英の戦争につながりました。言わずもがなの歴史的事実です。
 貴方は「実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことは間違いない」と言います。ですが、あの戦争が間違っていたと思っているのでしょうか。ほんとうに思っているのなら、慰安婦という制度も否定しなければなりません。
 ソ連は慰安婦の制度はありませんでした。スターリンは戦地での強姦を黙認しました。これは犯罪行為です。満州で日本人女性も被害に遭いました。ですが、ソ連がそうだからといって、強姦を防ぐために軍が慰安所を設けたのだと、正当化することはできないはずです。
 政治家は建前でものを言います。嘘もつきます。インチキ政治家はほんとうに数多い。その点、貴方は正直だと思います。しかし、政治家は大衆をリードするために、愚痴や怒りではなく、高邁な理念を掲げることも必要です。
 政治家が掲げるべきは、戦争のない社会をつくるためにどうするかというビジョンです。戦争をしないための方策、戦争にかかわる犠牲者をつくらないための処方ではないでしょうか。
 加害者が加害を過少に申告し、被害者が被害を過大に申し立てるというありきたりのことにいちいち反応していては、きりがありません。
 とはいえ、マスコミはしばしば事実を歪めます。
 たとえば、吉田清治なる元日本軍人の怪しげな告白本により、朝鮮人女性を拉致して強制的に慰安婦にしたという話が世界中を一人歩きしました。朝日新聞がよく調査もせず、この問題を執拗に取り上げたことが一人歩きの原因です。
 そうこうしているうちに被害者を名乗る女性が現れ、補償請求裁判や支援運動が活発化し、日韓の深刻な政治問題になっていったのは、両国にとってまことに不幸なことです。
 私も吉田氏の記述には強い疑いを持っております。日本の軍人や慰安婦を集めた業者には不埒な輩もいっぱいいたでしょうが、朝鮮側や運動家たちが主張するほど多くの女性が強制的に連行されて慰安婦にされたとは容易に信じられません。
 ただ、強制があったかどうかという問題と、軍に慰安婦は必要だったということとは、全く別次元の話です。
 慰安婦にするために誰かが女性を拉致したとすれば、それは犯罪です。制度ではありません。
 一方、戦争を遂行する便宜のために慰安所をつくり女性の性を用いたというのは、制度の問題であり、それを裁可した国家や軍の指導者たちのモラルが劣悪だったということです。
 いまや影響力のある政治家になった貴方が、過去のこととはいえ戦争に付随する慰安婦制度を肯定的に語ることは、それこそ日本が世界にさらに誤解される材料となっても、理解につながるということはありえません。せいぜい国内外の反日勢力に利用されるのがオチでしょう。
 それと、米海兵隊に風俗店の利用を勧めたという件。貴方はその後の記者会見で「国際感覚が乏しかった」と、表現のまずさを認めたようですが、そもそも、そんなことを政治家が言わなくとも、利用したい兵士は利用しているでしょう。
 つまるところ、あの慰安婦や風俗店についての発言は、守旧的な思想の匂いをプンプン漂わせるものとなってしまいました。
 維新の会の綱領の下記の第一項が、いかに石原慎太郎氏の偏狭なナショナリズムにむりやり押し込まれたものであるにせよ、共同代表である以上、あなたの考えも同じとみられます。
 「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」
 この、いかにも明治憲法に憧憬と郷愁を抱くかのような国家主義的綱領をもとに憲法を改正し、戦争放棄をうたった現行の憲法第九条を捨て、自衛隊を普通の軍隊として働かせるおつもりでしょうか。まさに貴方が米軍に提案したように、風俗業を利用して隊員の士気高揚をはかるというシステムが必要になるのでしょうか。
 決めつけるわけではありませんが、貴方にはどうしても二面性を感じてしまいます。改革者としての顔と、守旧的な面影です。
 この国の中央集権的な官僚統治機構を解体して、地方分権を進めるという姿勢には共感します。権力に群がって利をはかる欲張りな連中をのさばらせてきた霞ヶ関体制を破壊していただきたいと思うのです。
 しかし一方で、血判状で徒党を組むことに美を見いだす石原慎太郎という国粋主義的な政治家と結び、憲法改正を唱え、安倍晋三氏と同じように、古めかしい教育論をぶつ貴方の姿を見ていると、反動のための改革ではないかと疑いたくもなるのです。
 それにしても、貴方がいかに否定しようと、改革とは対極にある石原慎太郎氏とその連れのベテラン政治家を組み入れた「維新の会」は、大方の予想通り自民党の補完勢力になり果て、参院選を前に特徴がすっかり消え失せて、貴方と松井幹事長の苦りきった顔ばかりが思い浮かびます。
 平気で差別発言をして恥の上塗りをした西村真悟という札付きの極右政治家が、石原氏や平沼赳夫氏らに紛れ込んで維新の会に入っていたというのも、もとはといえば、貴方と松井幹事長の判断が甘かったということなのでしょう。
 いまさら彼らと決別するのは難しいかもしれませんが、貴方には今一度、しっかりと政略を練り直す必要がありそうです。
 もはや改革派の過去官僚は遠ざかりつつあり、貴方の周りにへばりつくように残っているのは、貴方の人気を当てにしている者ばかりに見えます。
 そういう意味では、貴方の人気がいったん凋落することこそが、彼らをふるい落とすチャンスとなるでしょう。そこから、政策を練り直して、一から再スタートするのもいいかもしれません。
 いや、これは長々と差し出がましいことを申してしまいました。これから暑い、熱い、夏の陣を迎えます。どうか、ご自愛いただき、大阪のために、国のために、ご尽力いただきますよう、切にお願い申し上げます。
  2013年5月
   新 恭

 *上記事の著作権は[永田町異聞]に帰属します
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〈来栖の独白 2013/6/20 Thu. 〉
 これまでいつも共感を覚えながら読ませて戴いてきた「永田町異聞」。今回は異論との感を禁じ得ない内容であるが、ゆっくり読ませていただきたく、転載させて貰った。
 石原慎太郎評に加え、「西村真悟という札付きの極右政治家」との言辞は、失当である。WiLL7月号には、西村真悟氏の至極まっとうなコラムが掲載されている。理があり、人間性、客観性に富んだ評論である。偏っていない。

      

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