PC遠隔操作事件 佐藤博史弁護士の発言について考える〈来栖の独白〉

2014-05-21 | 社会

videonews.com プレスクラブ(2014年05月20日)
  【「死のうとしたが死にきれなかった」と片山氏は私に語った 一連の犯行を認めた片山祐輔被告の佐藤弁護士が会見】
 遠隔操作ウイルス事件の弁護人の佐藤博史弁護士は5月20日、記者会見を行い、被告の片山祐輔氏が一連の事件の犯行を認めたと語った。同日、東京地裁が保釈の取り消しを認める決定を出したため、東京地検は同日、片山氏の身柄を拘束した。
  自治体や企業などに相次いで脅迫メールが送られ、4人の誤認逮捕を生んだ遠隔操作ウイルス事件では、昨年2月に逮捕・起訴された元IT企業社員片山祐輔氏が、自身のパソコンも遠隔操作されており自分は被害者であるとして、一貫して無罪を主張していた。
  しかし、今月16日に真犯人を名乗るメールが報道機関などに届き、その送り主が片山氏だったとの疑いが出ていた。
  この日の会見で佐藤弁護士は、19日午前から音信不通になっていた片山氏から同日深夜になって連絡があり、16日の真犯人メールを送ったのが自分であることを認めた上で、一連の遠隔操作ウイルス事件の犯人も自分であると語ったという。
  片山氏は16日の「真犯人メール」を送ったスマートフォンを荒川の河川敷に埋めていたが、報道を通じてそれが捜査当局に押収されたことを知り、その電話の中に他の事件の証拠も残されていることから、「自分が犯人です」と佐藤弁護士に認めたという。
  片山氏の逮捕直後から一貫して氏の無実を主張し、前日の会見でも「片山氏がそのようなメールを送ることはあり得ない」と断定していた佐藤氏は、「片山氏から申し訳ありませんと言われたが、裏切られたという否定的な感情は沸かなかった。私たちを解任して国選の弁護人にしたいと言っていたが、私は見捨てたりはしないと伝えた」と語った。
  片山氏の無実を信じた理由として佐藤氏は、片山氏が可視化を条件に取り調べに応じるとしていたにもかかわらず検察が可視化を拒んで取り調べを行わなかったことや、押収した片山氏の携帯電話から決定的な証拠となる江ノ島の猫の写真が見つかったとされる報道が、実際には虚偽だったことなどをあげた。
  特に取り調べの可視化について佐藤氏は、可視化をした上で検察が片山氏の取り調べを行い、主張の矛盾点をきちんと指摘していれば、氏は犯行を認めざるを得なくなっていたかもしれないと語った。
  「もし検察が可視化して(直接片山氏に取り調べを行って)いたら、もっと早く片山さんに罪を認めさせることができたのではないか」と佐藤氏は述べた。
  無実を信じていた依頼者が真犯人だったことについて佐藤氏は、「これは弁護士をしていれば必ず起きること。それで被疑者を非難するようでは弁護する資格はない」と語った。
  佐藤氏はまた、昨日からの片山氏との会話の中で、片山氏が自分は平気で嘘をつけてしまう病的なサイコパスであると自らを分析していたと語り、今後の公判では片山氏の精神鑑定なども視野に入れていくことになるとの見通しを示した。
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〈来栖の独白 2014/5/21 Wed. 〉
 佐藤弁護士の発言を引用しながら、感想を述べてみたい。 

片山氏の逮捕直後から一貫して氏の無実を主張し、前日の会見でも「片山氏がそのようなメールを送ることはあり得ない」と断定

 これはおかしい。何をもって逮捕直後から無実と判断するのか。逮捕され、弁護人となって、そこからすべてが始まる。会話、顔つきなど、被疑者の全体から、真相を探っていくのではないのか。頭から「無実」と決めてかかってはいけない。全身全霊で真実を掴む努力をするのではないのか。

裏切られた

 なぜ、そういった情緒的な言葉が出てくるか。まぁ、頭から無実だと決めつける大雑把な感性ゆえに、「裏切られた」などと痴話喧嘩の如き言葉(センス)となるか。 

「もし検察が可視化して(直接片山氏に取り調べを行って)いたら、もっと早く片山さんに罪を認めさせることができたのではないか」

 検察に転嫁するな。先入観で無実と決めつけ、被告人をして「真実を告白したい」という気持(弁護人に対する尊敬、信頼)に至らせなかった己が無能に気付くべきだった。尊敬なくして誰が真実(秘中の秘)を明かすだろう。

依頼者が真犯人だったことについて・・・「これは弁護士をしていれば必ず起きること。それで被疑者を非難するようでは弁護する資格はない」

 警察が2カ月半に及ぶ執念の尾行で片山氏を「真犯人」と、つきとめた。警察の努力がなければ佐藤氏は、裁判所が有実の片山氏に「無罪」を与えるという誤判の片棒を担ぐことになったかもしれない。「被疑者を」ではなく、御自分を非難すべきではないのか。頭から無実と決めつけて被疑者に舐められ、真相解明に尽くさなかったご自分を省みるべきではないか。
 安田好弘弁護士はよく、被告人の「有利、不利を越えて、まず真実を明らかにすること」と言う。有実か、無実かではなく、被告・弁護人側と検察が共に事件の真相を正しく解明し、それに則って裁判所が相当の(正しい)判決(量刑)を下す。そのような裁きの庭からのみ、被告人も被害者も明日に向くことができる、そのように私は思う。
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光市事件 死刑判決で弁護団記者会見2008.4.22 真実を明らかにすることで被告の本当の反省と贖罪が…

     

 (抜粋)
安田弁護士「加害者が右手で逆手で押さえたものとしか認定できないにもかかわらず、裁判所は逆手であることを全面的に否定した。こういうふうな認定はあちこちにあった。被告人の新供述は死刑をまぬがれるためにやった虚偽の供述と断定しているが、事実と反している。むしろ彼はひとつひとつ事実について思いだして、記憶に忠実に話してきたんです。死刑を免れるというものではなく、有利不利を問わずすべてを話という気持ちから話しているのに、裁判所は被告人の心を完全に見誤っている」
--1審と控訴審で無期懲役になっていたことを考えると、被告の利益を考えてあえて新供述を出さずに、今までの供述を変えない法廷戦略もあったのでは
安田弁護士「それは弁護士の職責としてあり得ない。真実を明らかにすることで初めて被告の本当の反省と贖罪が生み出されると思う。そうすることでようやくこの事件の真相が明らかになる。なぜこの事件が起こったのか。どうすればこういった不幸なことを避けることができるのか。そしてどうすれば被害者の許しを請うことができるのか。戦術的に物事をとめるとか不当に終わらせることは決してやってはいけないことだ」
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弘中惇一郎著『無罪請負人』 と三浦和義さんのこと 2014-05-07 | 本/(演劇) 
PC遠隔操作事件 スマートフォンから片山被告のDNA/弁護人の胸中、相当、苦しいと思う〈来栖の独白〉 2014-05-19 | 社会
PC遠隔操作 片山被告「私はサイコパス」/佐藤博史弁護士「完全に騙された」/母「真犯人でも受け入れる」 2014-05-20 | 社会 
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2 コメント

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弁護士の役割 (iina)
2014-05-31 08:55:56
弁護士には、事件を立件する立場になく、反対に本人が無罪というのに基づいて、当人に優位になるよう導く役割なので、
本件の弁護士のスタンスは、お仕事ですからやむを得ないと考えます。

拙ブログで扱った「墓穴とは ケータイ電話 埋める穴」では、本件とは無関係の者が、冤罪だと積極的に運動することに
ついて採り上げました。冤罪と訴える根拠をどこで拾うのか? 新聞等の報道を見ての印象だけで冤罪といっているに
過ぎぬ気配しかしないので、その不審を書きました。
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Re;弁護士の役割 (ゆうこ)
2014-05-31 22:33:39
iinaさん
>本件とは無関係の者が、冤罪だと積極的に運動することについて採り上げました。
>その不審を書きました。
 諒解です。
>弁護士には、事件を立件する立場になく、反対に本人が無罪というのに基づいて、当人に優位になるよう導く役割なので
 刑事弁護の役割を、そのように受け止めている人が多いようですね。しかし、どうでしょうか。
 光市母子殺害事件 差し戻し控訴審判決後の記者会見(2008.4.22)で、私の印象に残っている言葉があります。
 記者から「1審と控訴審で無期懲役になっていたことを考えると、被告の利益を考えてあえて新供述を出さずに、今までの供述を変えない法廷戦略もあったのでは」との質問を受けた安田好弘弁護士の言葉です。
“ それは弁護士の職責としてあり得ない。真実を明らかにすることで初めて被告の本当の反省と贖罪が生み出されると思う。そうすることでようやくこの事件の真相が明らかになる。なぜこの事件が起こったのか。どうすればこういった不幸なことを避けることができるのか。そしてどうすれば被害者の許しを請うことができるのか。戦術的に物事をとめるとか不当に終わらせることは決してやってはいけないことだ ”
 安田弁護士はよく「有利不利を問わず」という言い方をします。
“ 裁判所は…被告人の新供述は死刑をまぬがれるためにやった虚偽の供述と断定しているが、事実と反している。むしろ彼はひとつひとつ事実について思いだして、記憶に忠実に話してきたんです。死刑を免れるというものではなく、有利不利を問わずすべてを話すという気持ちから話しているのに、裁判所は被告人の心を完全に見誤っている ”
 「有利不利」の前に、「真実」「真相」といったものに先ず襟を正す。そこから正しい裁きの庭が発現し、正しい裁きが下され、人間回復が可能になる、私もそのように考えます。
 弘中惇一郎さんは『無罪請負人 刑事弁護とは何か?』のなかで、次のように云います。
“ 2003年に最高裁で検察の上告が退けられて三浦氏の無罪が確定した。無罪判決を底の方で支えたのは、私と三浦氏との信頼関係だったと思う。弁護人を引き受けた当初は、私は、周りから「長持ちするはずがない」と言われたりもした。しかし、拘置所での面会、手紙のやりとりなどを通じて、私はそんなふうに感じたことは一度もなかった。三浦氏の考え方は合理的で気遣いが行き届いていた。いつも私は楽しく会話を交わすことができた。そればかりか、ずいぶんと元気を与えられた。”
 片山被告の佐藤博史弁護人を思いますと、あまりにもお粗末だな、と感じてしまいます。何をもって、逮捕直後から軽々に無罪と信じたのか、断定したのか。杜撰というしかありません。警察の執念の尾行がなかったなら、不毛の審理が続き、裁判所の誤判を招いたかもしれません。
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