五木寛之著『親鸞』 われらは他の命をいただくことでしか生きられない存在

2011-08-24 | 仏教・・・

五木寛之著『親鸞』227回 2011/8/21Sun.
「そして、苦しみながら生きている人びとの心を、さらに深く苦しめる思いがあった」
 と、親鸞は語った。
「それは、後生、ということだ」
「ゴショウって、なんだっぺな」
 前列に坐った女がきいた。親鸞は答えた。
「後生とは、死んだあとのことをいう。そなたは自分が死んだあと、どこへいくと思うていなさる?」
〈中段略〉
 道場内の人びとにむかってたずねた。
「この中に、いっそ死にたい、と思いながら暮らしているかたは、おられるだろうか」
 みなが顔を見合わせて黙り込んだ。
 一人の若い女がためらいがちに手をあげた。

五木寛之著『親鸞』228回 2011/8/22Mon.
 歳のころは23,4というところだろうか。化粧はしていないものの、堅気の暮らしではないことが一目でわかる女だった。
「そなたは?」
 と、親鸞はきいた。女は周囲の好奇の目にさからうような口調で答えた。
「わたしは、船宿で遊び女として稼いでいる女でございます。他国から流れてこの地へやってまいりました。好きで卑しい仕事についたわけではございません。親と家族のために身を売って、生きてまいりました。でも、いまの暮らしがつくづくいやになり、何度も死のうと思いながら、それができずにすごしております」(略)
「死ぬのがおそろしい、のは、なぜかの」
 と親鸞はきいた。女はきっと顔をあげて、いった。
「こんな業のふかい仕事をしていて、罰があたらぬわけがないじゃありませんか。わたしは地獄へおちるのがこわいのです。子供のころ、お坊さまが地獄の絵をみせて、話してくださったことがありました。生前、罪ぶかい暮らしをしている者(やろ)は、死んだら地獄へおちる。そう思うと眠っていても胸が苦しくなってまいります。親鸞さまは、念仏をとなえたら地獄へいかずともすむと教えておられるのでしょう? その念仏をいただきたくて、こうして恥をしのんでやってきたのです」(以下略)

五木寛之著『親鸞』229回 2011/8/23Tue.
〈前段略〉
「ここにいる連中の中には、殺生を生業としている者たちが大勢いる。川や湖や海で綱をひき、魚をとる漁夫たちもそうだ。また野山で獣を追い、鳥を捕(とら)まえる漁師もいる。しかし、本当は世間に武士といわれる者たちほど業のふかい仕事はないのだ。主君のために敵と戦い、人間を殺すのが役割だからな。このわしも、若いころから幾度となく合戦にくわわっては、大勢の敵を殺してきた。年老いたいまでも、事あらば戦をし、人を殺すだろう。思えばつくづく業のふかい大悪人だと、ため息をつくばかりじゃ。親鸞どのは、そのような者でも、御仏を信じて念仏すれば、浄土へ往生できるといわれる。そなたたちも、武士だのなんだのと肩をそびやかすのはやめて、おのれの業のふかさを噛みしめるがよい。わしの言葉に納得がいかなければ、この場を去れ。いつかはそのことに気づく日もあろう」(中略)
「親鸞さま」
 と、さきほどの遊び女が声をあげた。
「念仏すれば、本当にわたしたちのような賤しい女でも、地獄へおちずにすむのでしょうか」
 親鸞はいった。
「法然上人が山をおりて念仏をとかれたころも、そなたと同じ思いで生きている人びとが大勢いたのだ。そんな人びとの中から、こんな歌がうまれた。むかし流行った今様をひとつ、きいてくだされ」
 そして親鸞は目をとじて、うたいだした。
  はかなきこの世を過ぐすとて
  海山稼ぐとせしほどに
  よろずの仏にうとまれて
  後生わが身をいかにせん

五木寛之著『親鸞』230回 2011/8/24Wed.

   

〈前段略〉
「わたくしは、百姓たちつかって田ぁたがやし、米つぐってます。殺生などしてねえです。むかしから百姓は良民、大御宝といわれで、だいじな国の宝とされできました。われらはすべて海山稼ぎの者、といってっけど、どうも納得がいがねえですが」
「ご不審はもっともです」
 親鸞はうなずいていった。
「しかし、虫を殺さずに田を耕すことはできますまい。また、稲は人に食べられようとして実をつけるのでしょうか。山川草木すべてに命がある、と思えば、われらは他の命をいただくことでしか生きられない悲しい存在なのです。そうは思われませんか」
「思わねなぁ」
 と、一人の日焼けした男がいった。
「とったばっかしの魚食ったり、うめえ飯食ったときは、うれしくてたまんねよ。牛馬(うしうま)は、人につかわれるために生まれてきたんだっぺ。稲も、野菜も、人が食って、なんぼのもんだっぺな」
 あちこちからいっせいに笑い声がおこった。
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関連:五木寛之著『親鸞』 阿弥陀仏もイエスも、よろずの仏から疎まれた罪人を深く憐れみ、彼らをこそ救う  
 五木寛之著『親鸞』164回
 〈前中段 略〉
  はかなきこの世を過ぐすとて
  海山稼ぐとせしほどに
  よろずの仏にうとまれて
  後生わが身をいかにせん
 親鸞はこの歌を思いだすたびに、胸がぎゅっとしめつけられるような気持がするのである。
 よろずの仏にうとまれて、というところが、なんとも切ない。
 親鸞の幼いころ、さまざまな出来事が続いた。大火があり、疫病がはやり、合戦がおこり、地震があった。さらに歴史にのこる大飢饉もおそってきた。
 人びとは生きるために戦い、殺生をかさね、だましあい、争いあってその日を生きなければならなかった。世間で悪とされる行為を、だれが避けることができただろう。
 そして人びとは死後の世界をおそれた。無間地獄の恐ろしさを世にひろめたのは仏門の僧たちである。
 生きて地獄。
 死んで地獄。
 救いをもとめて仏にすがろうとすると、よろずの仏は皆、さしだされた人びとの手をふり払って去っていく。 おまえたちのような悪人を救うことはできない、と。
 去っていく仏たちを見送り、呆然とたちすくむ人びとにむかって、法然上人はこう力づよく語りかけたのだ。
〈よろずの仏にうとまれた者たちよ。あれを見よ。すべての仏たちが去っていくなかを、ただ1人、こちらへむかって歩いてこられる仏がいる。あれが阿弥陀仏という仏だ。よろずの仏に見はなされた人びとをこそ救う、と誓って仏となられたかたなのだ〉
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■ヨハネによる福音書9章1~
1 イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。
2弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。
3イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。
■マタイによる福音書9章1~ 
1 さて、イエスは舟に乗って海を渡り、自分の町に帰られた。
2すると、人々が中風の者を床の上に寝かせたままでみもとに運んできた。イエスは彼らの信仰を見て、中風の者に、「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」と言われた。
3すると、ある律法学者たちが心の中で言った、「この人は神を汚している」。
4イエスは彼らの考えを見抜いて、「なぜ、あなたがたは心の中で悪いことを考えているのか。
5あなたの罪はゆるされた、と言うのと、起きて歩け、と言うのと、どちらがたやすいか。
6しかし、人の子は地上で罪をゆるす権威をもっていることが、あなたがたにわかるために」と言い、中風の者にむかって、「起きよ、床を取りあげて家に帰れ」と言われた。
7すると彼は起きあがり、家に帰って行った。
8群衆はそれを見て恐れ、こんな大きな権威を人にお与えになった神をあがめた。
9さてイエスはそこから進んで行かれ、マタイという人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると彼は立ちあがって、イエスに従った。
10それから、イエスが家で食事の席についておられた時のことである。多くの取税人や罪人たちがきて、イエスや弟子たちと共にその席に着いていた
11パリサイ人たちはこれを見て、弟子たちに言った、「なぜ、あなたがたの先生は、取税人や罪人などと食事を共にするのか」。
12イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である
13『わたしが好むのは、あわれみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、学んできなさい。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招くためである」。
14そのとき、ヨハネの弟子たちがイエスのところにきて言った、「わたしたちとパリサイ人たちとが断食をしているのに、あなたの弟子たちは、なぜ断食をしないのですか」。
15するとイエスは言われた、「婚礼の客は、花婿が一緒にいる間は、悲しんでおられようか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その時には断食をするであろう。
16だれも、真新しい布ぎれで、古い着物につぎを当てはしない。そのつぎきれは着物を引き破り、そして、破れがもっとひどくなるから。
17だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。そうすれば両方とも長もちがするであろう」。
18これらのことを彼らに話しておられると、そこにひとりの会堂司がきて、イエスを拝して言った、「わたしの娘がただ今死にました。しかしおいでになって手をその上においてやって下さい。そうしたら、娘は生き返るでしょう」。
19そこで、イエスが立って彼について行かれると、弟子たちも一緒に行った。
20するとそのとき、十二年間も長血をわずらっている女が近寄ってきて、イエスのうしろからみ衣のふさにさわった。
21み衣にさわりさえすれば、なおしていただけるだろう、と心の中で思っていたからである。
22イエスは振り向いて、この女を見て言われた、「娘よ、しっかりしなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」。するとこの女はその時に、いやされた。
23それからイエスは司の家に着き、笛吹きどもや騒いでいる群衆を見て言われた。
24「あちらへ行っていなさい。少女は死んだのではない。眠っているだけである」。すると人々はイエスをあざ笑った。
25しかし、群衆を外へ出したのち、イエスは内へはいって、少女の手をお取りになると、少女は起きあがった。
26そして、そのうわさがこの地方全体にひろまった。
27そこから進んで行かれると、ふたりの盲人が、「ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」と叫びながら、イエスについてきた。
28そしてイエスが家にはいられると、盲人たちがみもとにきたので、彼らに「わたしにそれができると信じるか」と言われた。彼らは言った、「主よ、信じます」。
29そこで、イエスは彼らの目にさわって言われた、「あなたがたの信仰どおり、あなたがたの身になるように」。
30すると彼らの目が開かれた。イエスは彼らをきびしく戒めて言われた、「だれにも知れないように気をつけなさい」。
31しかし、彼らは出て行って、その地方全体にイエスのことを言いひろめた。
32彼らが出て行くと、人々は悪霊につかれて口のきけない人をイエスのところに連れてきた。
33すると、悪霊は追い出されて、口のきけない人が物を言うようになった。群衆は驚いて、「このようなことがイスラエルの中で見られたことは、これまで一度もなかった」と言った。
34しかし、パリサイ人たちは言った、「彼は、悪霊どものかしらによって悪霊どもを追い出しているのだ」。
35イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。
36また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた


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