「横浜事件」 国の賠償責任認めない判決 東京地裁
NHK NEWS WEB 6月30日 15時50分
太平洋戦争中の言論弾圧事件「横浜事件」で、当時の警察から拷問を受けた元編集者などの遺族2人が国に賠償を求めた裁判で、東京地方裁判所は、当時の警察や検察官、裁判官の行為がいずれも違法だったと認めました。一方、「当時は国に賠償責任を負わせる法律がなかった」として、訴えを退けました。
太平洋戦争中に起きた横浜事件では、雑誌の元編集者などおよそ60人が共産主義を宣伝したとして治安維持法違反の疑いをかけられ逮捕され、当時の警察による激しい拷問で4人が獄中で死亡しました。
元被告の一部の訴えで、平成15年に再審・裁判のやり直しが認められ、その後、実質的に無罪とする判断が示されました。
このうち2人の遺族は、国には当時の警察に拷問を行わせた責任や、裁判の記録を失わせ再審開始を遅らせた責任があるとして、賠償を求める裁判を起こしました。
30日の判決で、東京地方裁判所の本多知成裁判長は「当時の憲法の下でも拷問による取り調べは明らかな違法行為で、拷問の事実を認識していた検察官や裁判官の対応も違法だった。保管が義務づけられていた裁判の記録も裁判所の職員の関与によって廃棄されたと推測できる」として、さまざまな違法行為が行われていたと指摘しました。
一方で、「当時は公務員の違法行為について国に賠償責任を負わせる法律が施行される前で、国が責任を負う根拠がない」として、訴えを退けました。
*太平洋戦争中の言論弾圧事件
「横浜事件」は、太平洋戦争中に起きた言論弾圧事件です。
横浜事件では昭和17年から終戦の直前にかけ「共産主義を宣伝した」として出版社の編集者や執筆者など、およそ60人が当時の治安維持法違反の疑いで逮捕されました。
思想事件を捜査する「特高」と呼ばれた当時の警察による激しい拷問で4人が獄中で死亡し、およそ30人が有罪とされました。
治安維持法が廃止されたあと、元被告や遺族の一部は再審=裁判のやり直しを求め、平成15年に横浜地方裁判所は再審を認める決定を出しました。しかし、やり直しの裁判では治安維持法が廃止されたことなどを理由に「刑は効力を失った」として裁判を打ち切る「免訴」の判決が言い渡され、無罪かどうかの判断は示されませんでした。
遺族たちは補償金を求める手続きを行い、平成22年に横浜地裁は実質的に無罪だったとして、5人の元被告の遺族に請求どおり4700万円余りの支払いを認める決定を出しました。
決定では「当時の裁判記録の大部分が人為的に消失させられた疑いが濃い」と指摘しましたが、誰がなぜ消失させたのかは分からないままで、2人の元被告の遺族は、国の責任を明確にするため裁判を起こしていました。
*原告は事件の記録消失の責任を追及
裁判の原告が強く訴えたのは、言論が弾圧された横浜事件の記録が終戦の直後に失われ、検証が不可能になった責任です。
裁判の原告の1人、木村まきさん(67)の夫、亨さんは、共産主義を宣伝した疑いをかけられ、竹刀でたたかれり踏みつけられたりするなど厳しい拷問を受け、裁判で有罪とされました。
亨さんは「自白を強要された」として昭和61年に再審・裁判のやり直しを求めましたが、裁判所は「裁判の記録が残されておらず判断できない」として再審を認めませんでした。亨さんが亡くなった後、まきさんが再審請求を引き継ぎ、平成15年に裁判のやり直しが認められ、有罪判決は効力を失いました。
また、まきさんたちが補償を求めた手続きでは、裁判所が補償を認めるとともに、亨さんたちは実質的に無罪だったという判断を示しました。しかし、まきさんは、裁判の記録が残っていれば、亨さんが生きているうちに無実を証明できたのではないかという思いから、記録を失わせた国の責任を問うため、今回の裁判を起こしました。
裁判で、国は「記録がなくなった経緯は分からない」などとして責任を否定しました。
これに対して、まきさんは「裁判所の職員が書類を燃やす様子を見た」という弁護士の証言が記された本を証拠として提出し、「責任があるのは明らかだ」と訴えてきました。
*原告「司法の姿勢疑う」
原告の1人で、横浜事件で夫が拷問を受けた木村まきさん(67)は、判決の後の会見で、「ほとんど得るものがない判決で、がく然とした。司法の姿勢を疑わざるをえない」と批判しました。
一方、裁判所の職員の関与によって裁判の記録が廃棄された可能性が認められたことについては、「これまでの判決では裁判所職員の関与という具体的な言い方はなかったので、その点だけは少しよかった」と話しました。
そのうえで、「司法の犯罪は司法の手で裁かないと浄化されない。今後も被害者の名誉を回復させるために闘い続けたい」と述べ、控訴する考えを示しました。
*専門家「記録を残さないことは罪」
戦時中の公文書の管理に詳しい国文学研究資料館の加藤聖文准教授は「戦時中は紙の不足や空襲の影響で公文書の管理がずさんになっていたほか、終戦直後には国が機密文書が敵国に渡るのをおそれ、多くの公文書を廃棄していた」と話しています。
そのうえで、「記録がないから被害者の訴えを認めないとなると、記録をなくした行政機関が優位に立ち、言い逃れを許してしまう。記録を残さないことは罪だという意識を社会的に作らなければならない」として、公文書を長期間保管する必要があると指摘しています。
◎上記事は[NHK NEWS WEB]からの転載・引用です
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◇ 横浜事件、無罪の判断 元被告に刑事補償認める---「無罪」決定が確定2010年2月13日
◇ <横浜事件>4遺族が横浜地裁に刑事補償を請求 2009-05-29
◇ 4人獄死の「横浜事件」再審開始を決定 2008-10-31
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◇ 小林多喜二(蟹工船)=特高による拷問で体を「墨とべにがら」色に変えられ、なぶり殺された
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