“グーグル・パニック”

2009-06-06 | 社会
「新聞案内人」 歌田明弘 コラムニスト
2009年06月03日
“グーグル・パニック”
 新型インフルエンザによるパニックが心配されているかたわらで、グーグルのブック検索訴訟和解も、作家や出版社のあいだでパニックのような騒ぎになっている。
 いろいろなメディアがすでに伝えているように、この訴訟は、グーグルがアメリカの大学などの大きな図書館の蔵書をごっそり電子化し、ブック検索の対象にしようとしたことから起きた。
 アメリカの作家や出版社は、権利者が許可していない複製は著作権侵害にあたると主張し、裁判になった。昨年秋にまとまった和解案は、両者の対立の中間をとったなどという折衷的なものではなくて、和解案を裁判所が認めれば、本の世界を一変させる可能性を持った驚くべき内容のものである。
 グーグルは、著作権者の反対がない絶版本を、ブック検索を通して有料閲覧させることができるようになる。作家や出版社は、絶版になっていた本から新たに収入を得られるし、読者も、書店で入手できない本をネットで簡単に見つけて読めるようになる――。
 グーグル、作家や出版社、読者の誰にとってもメリットのある、まさに画期的な和解案のはずだった。
○本の世界一変させる和解案のはずが…
 アメリカの作家団体は、こうして矛先(ほこさき)をおさめようとしていたが、日本も含めた米国外の作家団体はそうはいかなかった。
 和解案での取り決めは、アメリカ国内でのブック検索にのみ適用されるものではあったが、日本も含めた世界中の本も電子化され対象になる。新聞公告などを通して、日本も含めた世界中の著作権者にそのことが知らされ、一方的に対応を求められることになった。
 和解案には、アメリカで流通していない本は絶版本扱いになると書かれている。日本の権利者団体は、日本で流通している本も絶版本扱いされてしまうと反発した。
 5月28日の朝日新聞朝刊によれば、全米作家協会の事務局長らが来日してその内容を説明したところ、和解案に反発していた文芸家協会の副理事長も「協力したい」と歩み寄る姿勢を示したという。来日した米団体側は、日本で流通している本は絶版本扱いにしないと説明したとのことで、一転してあっさり納得し始めたようなのには驚いた。
 しかし、グーグルのブック検索には、いくつもまだ問題が残っている。
 たとえば、ブック検索和解のサイトで、補償金の請求や今後の著書の扱いなどを登録できるようになっているが、そうした請求や登録は、権利者本人でなくてもできてしまう。嘘の申告をすれば何らかのペナルティの対象にはなるのかもしれないが、自己申告なので、ともかくネットで簡単に嘘の申告ができるのだ。
 嘘の申告が相次いで起これば、申告期限間際になって大混乱を来すことも考えられる。
○NHKはニュース報道でどう伝えたか
 こうした管理サイトなどの実際面の問題はともかく、和解案それ自体は、内容を知ると「なんでそんなに反対するのか?」と思うかもしれない。
 しかし、たとえば4月30日夜9時のNHKのニュース番組を見た人は、この和解案についてまったく異なる印象を持ったはずだ。
 「本の著者や出版社の権利はどうなるのでしょうか」というキャスターの言葉で、5分ぐらいの時間をかけてかなり詳しく伝えられたニュースは、この和解に対する不信感を明らかに高めるものだったように思う。
 「本の全文ネットで公開 作者は…」というテロップを画面左上に掲げ、世界的なベストセラーになっている村上春樹の『ノルウェイの森』も電子化され公開される可能性があると伝えた。
 実際、和解サイトのデータベースで検索すると、講談社から発売された『ノルウェイの森』は、「米国内で市販されていない書籍に該当します」と表示され、著者側が何もしなければ、全体の20パーセント以下(小説の場合はさらに連続した5%以下もしくは15ページ以下の少ないほう)が検索表示され、それ以上は有料閲覧される。
 先に書いたように、「絶版本」の定義が「アメリカの伝統的な販売経路で手に入るかどうか」だからそのようなことになるわけだ。この点は、軌道修正が行なわれる方向になってきた。
 しかし、NHKのニュースは「本の全文ネットで公開」というテロップを掲げていたし、またネットの検索は無料というイメージもあるので、この番組を見た人の多くは有料閲覧どころか、全文が無料で読めると思ったのではないか。
 公開するのは原則的に絶版本で、和解に賛成している作家もいると、そうした作家の一人である佐々木譲氏の談話映像を流したりはしていた。しかし、赤と緑の『ノルウェイの森』2巻本の印象は強烈で、作家や出版社が反対するのも当然と感じさせる内容だった。
○作家団体の意見と正反対の日経の主張
 NHKのこのテレビニュースに比べると、新聞報道はバランスのとれたものが多かった。
 朝日新聞は、2月23日という早い時点で、2面で大きくこの問題を報じ始め、読売新聞も4月27日の社説に続いて5月4日の朝刊でこの問題を大きく扱い、グーグルへの反発を伝えながらも、和解のメリットについても触れていた。
 日経新聞はこの問題についてさらに一歩進んで旗幟(きし)を鮮明にしていて、興味深い。
 4月30日の社説で、日本でも電子図書館作りを急ぐだけでなく、フェアユースの明確な規定を導入すべきだと主張している。フェアユースというのは、権利者に重大な害をおよぼさず社会の役に立つことについては著作物の利用を認めようという法規定だ。
 日本の著作権法では、権利者の許可なく著作物を利用できる場合を列挙し、それ以外は認められない。これではネットのように想定していなかった技術が次々と出てくると対応できない。
 たとえば、検索サービスを提供するためにはあらかじめウェブページをコピーしてデータベース化する必要があり、日本国内に検索サーバーを設置することすらできない。著作権法の改正案が今国会にかけられ、衆議院は通過して参議院で審議しているようだ。
 アメリカのIT企業は、しばしばフェアユースを法的な根拠として事業を進めている。日本も自由度を高くして急速な変化に対応できるようにしようということで、フェアユースの導入も議論されている。
 しかし、文芸家協会などはそれに猛反対している。日経は、こうした作家団体の主張と大きく異なる社説を載せたわけだ。
 5月4日の日経は、長尾真・国立国会図書館長の電子図書館構想も紹介していた。日本には納本制度があって、発行された本は国会図書館に納める決まりになっている。国会図書館はさらに出版社から本のデジタルデータも集め、「電子出版物流通センター」と仮に名付けた外部組織を通して有料配信をするアイデアを長尾氏が語っているという。
 昨年、私も長尾氏のこうした構想を聞いて、これはとてもおもしろい考えだと思った。グーグルの有料閲覧が始まるとなれば、グーグルの独占にならないためにも、こうしたアイデアを実現させることがいよいよ重要になってくる。
○ツケ払うのは結局、社会全体
 作家の著作物が勝手に使用され、生活もできなくなるようでは創作活動が衰退していくと思うが、公にした出版物はもはや作家だけのものではない。経済的な損害がなければ、できるかぎり自由な利用を認めるべきだと思う。
 すでに書いたように、グーグルのこのブック検索は原理的には作者や出版社にも経済的なメリットをもたらすはずのものだ。そうした特徴を理解されず、受け入れられなくなれば、社会にとっても大きな損失だ。
 そうなりかねない第一の責任は、きちんと説明せず、乱暴な進め方をしたグーグルと和解管理者側にある。しかし、過剰な反発によっていつまでたってもすぐれたブック検索が日本では利用できず、英語圏との情報格差が開けば、そのツケは結局、社会全体にまわってくる。

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