「死刑100年と裁判員制度」死刑の公的な性格や危険な本質が骨抜、私的なものになった

2009-12-12 | 死刑/重刑/生命犯

特集「死刑100年と裁判員制度」2009年8月22日、港合同法律事務所にて
オウム事件以降の国家秩序の再編が完了した
安田 僕に与えられたテーマは死刑の露出ということなんですけど、たとえば露出がどういうふうに進んでいるかということを数字にとってみても、1990年代からの10年と2000年からの10年を比べてみますと死刑判決だけでも3倍から4倍に増えているわけです。死刑執行は1980年代は年間1、2件程度だったんですが、この10年分の死刑執行が今では去年1年の間に行われる。つまり、10倍になっているわけです。
 増加とか変動があるというのは、だいたい10%、20%のレベルのことだろうと思うんです。ところがこれが300%、400%、1000%になるというと、もう激増という言葉をはるかに超えていると思うんです。その背景には意図的なものがあるのですが、このかんほとんど見落とされてきたというか、問題にされてこなかったのですが、この数字の変動を押さえるだけでも、死刑が政治的に使われているということがよくわかるだろうと思います。
 先ほどおっしゃった戦後の日本の歴史が東京裁判の死刑から始まっているというのは全くその通りだと思います。戦前の刑法というのは、今もそうですけれども、治安優先の刑法だったわけです。そしてその要として存在したのが死刑だったわけです。たしかに戦後、大逆罪などはなくなったわけですけれども、要としての死刑というのは依然として残っています。ですから、刑法の危険性は戦前と全然変わっていないと思います。そして、その要の死刑が現在濫用されているわけです。
 先ほどおっしゃった、魂までも殺してしまうというのは、僕なんかは光事件をやってきてすごくよくわかるんです。彼に死刑が宣告されると、そのときに言われたのは、死刑でも物足りない、反省して真っ当な人間になった上で処刑しろというわけですよ。魂までも殺してしまいたいという発想が実は政治犯に対してだけではないんですね。
 もっと言えば、死刑の露出の最たるものは、数だけの問題じゃなくて、実は死刑の中身そのものが露出化しているんですね。というのは、死刑はもともと政治的なもので、しかもそれは危険な方向でしか運用されてこなかったし、死刑そのものが社会に平安をもたらしたことは、過去なかったわけです。常に緊張と不安と、差別と排除を死刑はもたらしてきたんだけれども、そうではなくて、むしろ死刑が平安とか安心をもたらすとして、死刑の骨抜き、つまり死刑の公的な性格や危険な本質が完全に骨抜きにされてしまって、死刑が私的なものになったように錯覚させられて、露出してきている。だから、誰も死刑の数の激増に危機感を感じないんですね。
 もう一つは、死刑のとらえ方の変化です。今まで死刑は必要悪だとされてきた。死刑はない方がいいが、犯罪がなくならない現状ではやむを得ないとされてきた。しかし、死刑の日常化とともに、これに積極的な意義付けがなされてきて、今では、死刑は犯罪抑止に必要だというだけでなく、むしろ、正しい罪の償い方だとまで言われ始めてきているんです。他人の命を殺めた者は自分の命でもって償うのが当たり前とされているんです。死刑は、将来にわたっても恒常的に存在し続けるもの、つまり公是とされつつあるわけです。死刑に対する8割の支持の中身はこういうものだと思うんです。ここまでくると、死刑囚に対する思潮が代わったと思うんです。何人の命も奪ってはならないという倫理観が何人の命も絶対ではないという倫理観に、そして命ほど大切なものはないという倫理観が命より大切なものがあるという倫理観にとって代わられたわけですね。
 ところで、私は、これらの死刑の量的・質的変化は、自然に起ったものではなく、意図的に起こされたと思うんですね。先ほど連続企業爆破事件における天皇暗殺計画についての話がありましたが、私はこの事件ではなくて、オウム事件が契機となっていると思うんです。オウム事件では、裁判では封印されてしまいましたが、1万人という組織の下に、誰が指示したかは別として、天皇を退位させて朝権を簒奪する構想の下に、銃器の製造や自衛隊でさえ持っていない生物化学兵器の製造が行われていたわけですし、レ-ルガンという最新兵器の研究も行われていました。また、その一部は松本サリン事件や地下鉄サリン事件で現実に使われていたわけです。当然、国家としてはこれに対応する政策をとるわけでした、地下鉄サリン事件をきっかけとして、これに対応する対応する国家政策、つまり、治安と刑罰の強化政策がスタートするわけです。そして、地下鉄サリン事件から約15年経って、これがいよいよ成功して、治安意識や刑罰感情が日常の個人的な感覚にまで浸透し、死刑と死刑執行の濫用、死刑に対する世論の絶対的支持、そして、裁く側つまり死刑の側からする国家総動員体制がいよいよ完成の域に達したと思うんです。それが今度の被害者参加・裁判員裁判だという気がしています。
 死刑を支えているというか、いわゆる市民的な受け手のほうからすると死刑はどんどん私的化している。死刑の公的性というのは、どんどん希釈化されていく。そこにあるのは結局感情主義というか、あるいは非合理主義というか、そういうものにほとんど支配されている。実はそれの典型的なものが被害者感情だと思うんです。これがどんどん支配的になってきている。
 もし、今、政治的に完全にコンクリート化されてしまった死刑制度を突き崩すとすれば、それは、国際的な動向とか人道主義とかの公的なものだけでは力不足で、私的化された死刑の中の被害者感情に対峙できるほどの私的なもの、そういうものではないかとも考えているんですけどね。
 戦後の歴史を見ると、ロッキード事件、そしてこれに続く金丸事件で、政府あるいは国会が検察に全く刃向かうことができなくなってしまった。その結果、日本の国家権力で一番強いのが検察になってしまったと思います。そして、その内実は、徹底した保守主義なんですね。
 僕なんかは、検察官に将来なっていく人たちと司法研修所で一緒だったわけですけど、そういう人たちの多くは政治的なんですね。検察官という職業に対して、政治的な意味づけをしている。腐敗した政治や行きすぎた経済を正さなければならない。それができるのは自分たちだけだという感覚を持っている人がわりあい多くて、もっと言ってしまえば、実に小児的であったんです。
 たとえば、ある特捜部長は、就任の際、検察は額に汗をかく人たちのために働かなければならないという趣旨の発言をするんですね。青年将校なのか、風紀委員なのか、実に幼いんです。こういう青年将校的な発想しか持ち合わせない寄せ集めが、今の検察の実態ではないかと思うんです。
 しかもそれがすごく大きな権力を持っているものですから、これは警察と一体となって行っているのですが、対処療法的に次々と治安立法を作り上げていく、たとえばオウム以降、破防法がだめだったら即、団体規制法を作る。あるいはサリン防止法を作る。あるいはその後に少年法を変えていく、内閣に犯罪防止閣僚会議というようなものを作って、刑罰を1、5倍に重刑化して、刑法全体の底上げをやるわけですね。
 彼らは、社会の実態をほとんど知らない、犯罪の原因も知らない、あるいは相対的な価値観や複眼的な視点もない、というのが正しいんでしょうけど、どんどん風紀委員的に対応するんですね。その最たるものが、1997年の死刑事件に関係する連続五件の上告だったと思うんです。あのときに最高検の幹部が談話を発表して、裁判所は腰抜けだということを言うわけです。つまりこのままでいけば、死刑判決を出せる勇気のある裁判官はいなくなると。彼らを鍛え直すために上告をしたというわけです。ところが死刑判決があの時期に減ってきたというのは、社会全体のマインドだったんですね。しかし、そういうものを理解する能力がなくて、彼らには腰抜けと映ったわけです。
 他方、検察は、被害者感情を利用し、それに乗っかって、重罰化を進めてきたんですね。例えば、光事件ですと、検察は少年を死刑にすることを被害者遺族に誓い、そのために共同戦線を張り、1、2審とも無期であったのに、死刑を求めて異例の上告をしたわけでして、検察官そのものが公的な立場から私的なものに転換してしまった。私的というのは個人的という意味よりも、公の大きなことを忘れてしまって些末な価値観の中にしか存在しなくなった、という意味で申し上げているのですが。
 もう一つは、検察は社会的な批判に弱い、言い換えると、社会に迎合して非難をかわすわけです。これは、厳罰化のもう一つの側面だと思います。
 戦前においては、為政者側に国体というバックボーンがあった。しかし、これが失われてしまった。そうなるとそのバックボーンをいったいどこに求めてくるかということになると、検察がいう国家の秩序というものになってくると思うんです。たとえば経済危機とかあるいはバブルの崩壊とかに直面するとこれに対応する形で検察のいう秩序主義が登場するんですね。彼らの中に、自分たちが踏ん張らなきゃならない、自分たちこそ日本の根幹を握っているんだという発想があるんだと思うんです。


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