赤く、朱く、紅く、より緋く---秀男の瞼に、この世にない色が満ち始めた『緋の河』 最終回 2019.2.8

2019-02-09 | 日録

〈来栖の独白 2019.2.8 Sat〉
 本日で「緋の河」終り。桜木紫乃さん、素晴らしい小説をありがとう。
 もう少し長く秀男の生き方を見ることが出来る(読める)と思っていたので、残念だけれど、いやいや、この作品世界は、完結している。桜木紫乃さん、素晴らしい作家だ。
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緋の河<371>桜木紫乃 作  赤津ミワコ 画 2019/2/9 夕刊
 その夜、一階の通り側にある四畳半に繁子が二組の布団を用意した。章子と並んで体を横たえると、早朝からの緊張や体の強ばりが血管の一本一本から抜けて解けてゆく。目を瞑(つむ)ると、豆電球の朱色が瞼(まぶた)の裏側に残り、海に沈む夕日を思わせた。
「ショコちゃん、誘ってくれてありがとう」
「こちらこそ。ヒデ坊がそばにいてくれると、たいがいのことは頑張れる気がするの」
 章子には章子にしか分からぬ痛みがある。わかり合えなくてもいいのだ。そんなことは、大きな問題ではない。
「あたし、かあさんにおっぱい見せた」
「かあさん、なんて?」
「自分の若いころより立派だって」
 章子は「かあさんらしい」とひとしきり笑い、そのあと一度洟をすすった。
「ショコちゃん---あたしたち、本当に姉妹になっちゃうかも」
 おどけて言うと、章子が今日いちばん軽やかな声で応えた。
「わたしはずっとヒデ坊のこと、妹だと思ってたよ」

       

 章子が、明日の夜は盆踊りがあると言った。
「かあさんを誘って、みんなで一緒に踊ってこようよ。ヒデ坊に髪を黒くしてもらって、なんだかすごく嬉しそうだったもの」
「わかった。かあさんに浴衣着せてあげようか」
 明日のことを考えると、頭の痛みも薄れてゆく。母と章子が笑いながら踊りの輪に入るところを想像して、秀男はいっとき幸福な思いに包まれた。
 明日にならねば、開かぬ扉がある。誰かが開けてくれるのを待つのはもどかしかった。
 瞑った瞼が夕陽に染まる。緋色の河が海に向かって流れてゆくのが見える。 呼吸を止めてでも泳ぎきらねばならない太い河が横たわっていた。
 河口から向こう、水平線には血の色に染まった太陽が沈もうとしていた。
 赤く、朱く、紅く、より緋く---
 ああ、なんてきれいなんだろう。
 秀男の瞼に、この世にない色が満ち始めた。
 この緋色の河を沖に向かい泳いでゆくのだ。
 怖がることはない。緋に染まる、空と海の境目だ。
 あの緋色の水平線だ---。
 (終)
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* 自分の生んだ子がどんな姿でも、誰かを幸せにしているのならそれでいいよ 『緋の河』 2019/2/8
* 性別を超えて「貴方自身が尊い」というのが、桜木紫乃さんの小説『緋の河』だろう 〈来栖の独白 2018.11.20〉
* 人間には性別の前に個人が在るんだよ。それに勝る仕切りはないはずなんだけどね 『緋の河』 2018/10/2
「緋の河」 …「生まれつき」に小賢しい是非を言わず なにがあっても死ぬようなことはいけないよ 2018/9/6 
*  叔父を同性愛者としてもってくる才筆「緋の河」  こういう、常識の狭間に苦しむ人をこそ救わねばならないのに、聖書は。
私の実質人生は終わっている。 夕刊は「緋の河」を読む。 〈来栖の独白 2018.9.5〉
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