原口一博×郷原信郎 菅政権を語る「仙谷官房長官”改革の情熱”はなぜ消えたのか」

2011-01-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

原口一博×郷原信郎 菅政権を語る 第1回「仙谷官房長官”改革の情熱”はなぜ消えたのか」
民主党政権の内幕を知る二人がホンネを語った

2011年01月07日(金) 永田町ディープスロート

郷原: もう6~7年前になりますか、私が長崎地検から東京地検に異動になって、私が「長崎の奇跡」と言っている自民党長崎県連事件などをやった後のことです。
 ちょうどその時期にある人を通じて、当時、民主党政調会長をされていた仙谷さんと知り合いになり、いろいろ話しをするようになった。それから間もなくだったと思いますけども、確か六本木で昼食をご一緒したんですね。
原口: はい、鮮明に覚えています。お昼ご飯でした。
郷原: いろいろお話しをした。その後、直接原口議員から頼まれていろいろ関わったこともありました。でも、どちらかというと私は仙谷氏からいろんな協力を求められて、いろんな案件に対応してきたんです。その当時、ある意味ですごく純粋だったような気がするんですね。日本には改革が必要だと、その改革を大いに語り合ったような印象が残っていますね。
原口: 仰るとおりです。あの時、私たちはマーケット・アビューズ、独禁法を変えようということも一生懸命考えていたわけです。
郷原: そうでしたね。
原口: その中でも、先生は地検をお辞めになって、その後の話もありました。一番最初にお会いしたのはまだその前・・・。
郷原: まだ法務検察組織にいたときですね。
原口: 法務検察組織の中ですね。それにしても、日本の問題点がどこにあって、そこをどう変えなきゃいけないっていうのは、非常に熱くお互いに議論した。私は議員会館で仙谷さんの隣の隣の部屋だったもので若い頃から引き上げていただいて、菅政権になる前も一生懸命にやってきたんですね。
郷原: 最初の案件が確かに独禁法の改正でした。あの時、郷原さんは確か独禁法の改正の問題に直接関わられていました。
原口: 私がPTの座長で、独禁法改正の民主党案をいろんな学者や実務家の方にお話しをいただいた。その中でも先生は傑出した*リニエンシーの考え方を打ち出した。
(*リニエンシー:公正取引委員会の調査前に違反行為を申告すれば課徴金などが減免される制度)
郷原: 独禁法の問題は公取にいたときから個人的にもずっと研究をしていまし。私は公取の打ち出していた独禁法の改正の方向に対して、かなり反対の意見を持っていましたから、民主党に頑張っていただきたかったんですね。公取の案に対抗した、しっかりとしたものを是非対案として作っていただきたいということで、私もいろいろご協力をしました。
 あの時は仙谷さん自身も水面下で保岡(興治)前法務大臣(当時)といろんな話をして、妥協案を作られることに関して相当密接にお話しした記憶があるんですね。
原口: 仰るとおりです。法令遵守=コンプライアンスという考え方では、それこそ先生の論文の中にもありますけども、単に虫だけ捕ってもその構造は残るっていうことになりかねない。あの頃、官製談合もそうですし、独禁法もそうですけど、ずいぶん先生のご本を参考にさせていただきました。
郷原: あの時に民主党で作られた対案が、その後の改正にずいぶん大きな影響を持ちましたね。
原口: 大きく関わってます。
郷原: 事後審判制度にすることが突然出てきて、これは絶対に後で問題になる、とんでもない制度だということで、民主党案ではそこを除外した案を作ってもらった。あの時は仙谷さんもずいぶん喜んでおられましたね、立派な対案が出来たと。
原口: 新しい時代の、新しいパラダイムを引き出す案が出来たということで、仙谷さんに褒めてもらった経験があります。
偽メール事件の教訓を活かしていない
郷原: その後です。例のメール問題があって・・・。
原口: そうです。
郷原: あの時、民主党が危機的な事態に陥りました。あのメール問題に関しては、民主党の党内での調査チームとは別に、弁護士による徹底した調査が行われたんです。私は仙谷さんから徹底した調査をやりたいっていうことで依頼を受けて、確か赤松(幸夫)弁護士に話を繋いだ。いまの民主党の幹部のほとんどがヒアリングを受けたんだと思いますね。
原口: 私も受けました。実際に永田(寿康 元衆議院議員)さんがお話を聞いた7割は、いま振り返ってみると本当でしたね。ただ3割の部分で踊らされた。そして彼は亡くなるわけですけども、本当に民主党にとっても危機的な状況でした。
郷原: あの時に私は、政党としてまず民主党は責任野党にならなければいけない、そのための私なりの政党コンプライアンスというのを考えて、ちょっとした論考をまとめて仙谷さんにお送りしたんですね。
 ただ残念ながら、その後そういうまず責任野党に、それから与党にというステップを、十分に民主党の本体が踏んできてないような気がするんですね。
原口: 私もあの論文を熟読しました。ある意味私も当事者であったわけです。やっぱり危機の時にどうするか、危機対応をどうしていくのか、それは政権政党であれば尚更ですが、500日プランを岡田さんの下でつくった。
 政権をとって1ヵ月後、100日後、何をするか全部決まっていたわけです。しかしそれは必ずしも実行には移っていません。
郷原: あの中で一番民主党として反省しなければいけないことは、最終的なアウトプットを行う上での事実の詰めが非常に甘かった、しっかりした調査の検証を行わないまま、ああいう質問をしてしまったことにあるわけですね。
 あの時の民主党を代表する立場の人も含めて、前原さんらも含めて、経験として教訓として活かしてもらわないといけないと思ったんです。残念ながら最近のいろいろな問題を巡る動きを見ていると、メール問題の反省が、いまの民主党政権、民主党の幹部に十分活かされていないような気がするんですね。
 やはり、まず事実を基本的にしっかり見通しを付けてから、それから重要なアクションをしていくということが、あれほど重要だと感じないといけない問題はなかった。それがますます最近、そこは後で詳しくお話しすることになると思いますけでも、そこがフワフワフワフワした状態のまま事が進んでいるような気がするんですね。
「仙谷さんと話したのはあれが最後です」
原口: いまの民主党に引き戻して言うと、部分的に正しい、それぞれ部分的に正しいことを、みんな言ってるわけです、野党時代と同じような姿勢で。しかし、合成の誤謬と申しますか、全体としたらそれは決して正義でもないし国民のためにもならないことをやってしまっている。そこを僕らは鳩山内閣が潰れるときに、イヤというほど経験をしたはずなんです。
郷原: 私もその後、公共調達の問題でいろんな提案を仙谷さんにしましたし、消費者庁の設置法案に対する対案に関しても、特別委員会にまで参考人として・出席もした。
原口: マニフェストに入っています。
郷原: 公共調達の問題に関しては、政府調達監視等委員会をつくるという、これは完全にわれわれの仲間が仙谷さんに提案をした、それがいつの間にかマニフェストにそのまま載っていた。私も見てびっくりしたんですけども・・・。
原口: 僕もその前の消費者担当ネクスト大臣ですけども、彼が消費者担当でしたからね。
郷原: 公共調達はマニフェストのどこでしたか・・・。
原口: 1の「ムダづかい」のところ。「国が行う契約を適正化する」・・・。
郷原: 一番最初にあるんですね、「契約の事後的検証と是正措置を担う政府調達監視等委員会を設置する」。
 ここで言っている趣旨は、無駄遣いも本当に重要なんですけども、やっぱり質の高いものを作っていくために、契約制度が硬直化していると却っていろいろなマイナスが生じてしまう。場合によっては、発注する工事によっては指名とか随契とか、そういったものも柔軟に活用していく。
 そのために知恵を出していくことのほうがトータルではプラスになるんじゃないか。---そういうことで、政府調達監視等委員会を設けた。だから監視だけでなくて監視以外の面でもいろんな役割を果たしていく、場合によってはそういう柔軟な発注方式を承認するとか、そういう構想なんですよ。まさにそのとおりに書いてあるんですね。
原口: そうです。
郷原: 去年の総選挙で民主党が圧勝した後に、電話で仙谷さんとお話ししたんですよ。このまま載っているんで、当然すぐに実行することになるんじゃないかと思って、「われわれはどういう協力したらいいですか」とお話ししたのが、確か私が仙谷さんとお話しした最後なんです。
原口: エエッ!?
郷原: それから大臣になられてからはまったく何の連絡もなくなった・・・。
なぜ人の見切りが早いのか
原口: 僕は総務大臣で顧問にもなっていただきましたし、コンプライアンス、それから特に郵政事業の国民の権利を保障する部分で、郵政で何が起きたかというのも郷原先生に詳らかにしていただきました。
郷原: 民主党政権では原口総務大臣に一番協力をしてかもしれません。それがいまの仙谷さんのところでまったく活かされてないというのが非常に残念ですね。
原口: ある意味彼は責任ある立場にいますんで、オーバーフローしているところがあります。
 それと、これを言うとあれかも分からないけど、ある一定の人たちには内部分裂っていうか内輪揉め、もっと言うと内ゲバ的なそういう・・・。
 世代でいうのは僕は卑怯だと思うから、これにも必ずしも与しませんが、郷原先生と僕は歳が近いですけども、その上の人たちはたくさん(人数が)おられた方々が多くて、人の見切りが早くて、人の切りが早くて、そして人に対する諦めが早いんだと言う人がいる。
 そうかなあ? と思うけども、実際に現実的にいま起きてるものは、自分と違うから排除しよう、自分と違うから力を借りるのを止めようと、多様性を包含するよりもむしろ自分たちの中に閉じ籠もる、そういう性質があるんじゃないんですかって、心理学の友人から言われた。
 私は専門が心理学なものですから。それは外れてればいいなって思ったんですけどね。
 拉致問題を巡る激論
郷原: いつも私と、仙谷さん、原口さんとお会いして話しているときは、だいたい和やかなんですけども、一回だけすごく意見が対立していたことがあって、私はいまでも覚えているんです。拉致問題について仙谷さんが非常に後ろ向きのことを言われて、それで原口さんが「そんな考え方は絶対にあり得ない」と言われたことがある。いまも私は鮮明に記憶に残っているんですよ。
 この間、沖縄問題に関して、負担を甘受してもらわなくてはいけないという言葉で、すごく批判を受けていました。あの時、そういう現実主義的なところがあるのかなと、ふと思って・・・。理念とかフィロソフィーってものに対して非常に反応する人だったんですけども、それとは別の面もある。
原口: あの時のことは私も鮮明に・・・。私は1990年代の半ばに拉致議連を立ち上げてこれまでやってきました。日本人を救出するための行動議員連盟ですね。
 絶対に生きていらっしゃる、絶対に日本に帰すんだということでやってきたわけです。ただ、一部のある意味では意図的に流される情報に洗脳された人たちは、「もうそんなものはないよ」と言ったりもしていたわけです。僕は仙谷さんがそうだとは言わないけども、非常に心底怒った記憶があります。
郷原: そうでしたね。それともう一つは、仙谷さんが弁護士だということを認識するような発言って、あまりなかったような記憶がするんです。
原口: (笑)
郷原: 法律問題については基本的に私からいろいろお話しをして、それを受け入れていろんな形で実行したり案にしたりということはやられてた。
 法律問題に関して仙谷さんと議論を戦わせた記憶もあまりないですし、やはり政治家だなという認識を私は持っていた。弁護士資格を持って昔は弁護士でも活躍されたんだろうけども、あまり弁護士ということを意識することはなかったんですね。ところが最近の仙谷さんのいろんな発言を見ていると、やたら法律が出てきますね(笑)。
 やたら法律が出てくるし、それがむしろ私が言っている法令遵守の世界みたいな発言が多いんです。法律は法律なんだから、それはそれでしょうがないんだとか。なんかちょっと違うんじゃないか。私の考え方にあれだけ共鳴してくれてた仙谷さんが、なぜそういう考え方になっちゃったのかなと、不思議なんです。
原口: ちょっと守りに入ったのかも分かりませんね。
 郷原先生をご紹介いただいた、その数ヵ月後ですか、世界的な平和学者で駐日韓国大使であった崔相龍(チェサンヨン)先生も仙谷さんから紹介してもらったんです。いまでも僕は崔相龍先生から民族や宗教を超えた繋がりをいただいていますが。
 そういう、いま仰るように理想を追い求める面と、少し閉じてしまってその中で自分のフィールドで戦おうとしている面とがある。
 仙谷さんは責任感が強いんで、仕事がやっぱり集中しすぎていますね。中国は7人のトップのうち、何人かが常に外を回っています。ところが官房長官は外に行けませんし、あそこで仕事が止まるということはあってはならないと思いますけどね。ちょっと僕は同情的に見てます。
                                 以下次回へ(近日公開予定)


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